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心の美容でもっともっと女性は綺麗になれる、と、考えています。。。
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●私の好きな作家、新田論の「空の世界」より引用いたしました。
空の世界
これから説明することは釈迦が弟子たちに教えたもので、最もよく知られた空の理論です。
肉体のメカニズムの理解ではじまり、想像力の力を知ることは、フィロソフィーではなく、テクニック、科学です。
この教えは宗教ではない。科学です。釈迦は「神もない、精神もない、魂もない、あるのは空だけだ」と言いました。
それはいみじくも近代科学の先端をきる量子力学において証明されました。二千五百年前に釈迦が発見した理論は二千五百年を経て科学として証明されました。
あなたは、肉体が実体のあるものと思って毎日生きている。ですから肉体の死を恐れる。
肉体を構成している物質を見て行くと結局回りの空気との境界がなくなってしまう。
そうすると、あなたの肉体とその回りにある空気との境界がないということは、あなたはいないということです。あなたという映像があなたの目と他人の目の交差点にある鏡に映っているだけです。映像は実体ではない。
あなたの体の中を顕微鏡で覗くように見ていくと、結局あなたの体の皮膚が回りの空気との壁になっており、その皮膚の細胞にまで入って行くと境界はなくなって、あなたは空気と一体になる。
そこで「自分はどこにいる?」と聞いたら「自分て、わたして、何?」と質問が帰ってきます。それが空です。
たとえばあなたは会社に勤めていて仕事をしている。それ以外には家でいる。その間を移動している。食事をしている。常に何かをしている。
そのしているあなたは、どこにいるのでしょうか。
あなたはどこにもいない。だけどどこにでもいる。
空であり遍在です。これが至福の状態です。
どこが問題でもなければ、だれが問題でもない。
現在がすべての問題の答えです。
それなのに、あなたはもだえ苦しんでいる。
現在が答えなのに、未来に答えを出そうとしている。結果という答えを。
現在が答えなのに、過去に答えを出してしまっている。原因という答えを。
だから、今苦しいのです。
いや、逆です。あなたは今苦しむから、今を楽しめないから、今を逃しているから、未来か過去に行くしかない。だが未来はまだ来ないし、過去はもう過ぎ去ってしまって戻っては来ないのに、それを今どうにかしようと思っている。これは不可能です。
こんなことを続けていたら、疲れ果てて結局あなたはギブアップです。
ですから、まずあなたの中を空にして、今現在のあるがままの状態を楽しむことです。
それをすぐに24時間することはむずかしいから、一日一時間でいいからその状態に入れる時間を持つことです。
この一時間だけは、まったく別の世界の生活スタイルとして独立させておかなければならない。
そうすれば、あなたは独り至福の世界に浸ることが出来、やがて23時間の世界も至福の世界へ引き込まれて行く。
色即是空・空即是色です。
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●私の好きな作家、新田論の「神の自叙伝」より引用いたしました。
反省編)終わりにあたって
当初
わたしがこの「神の自叙伝」を書くきっかけになったのは「はじめに」で述べましたように宇宙の実体について科学の発達で未知だったものがどんどん解明されていくと、それにともなって人間の精神世界の概念まで変わらざるを得なくなってきたと感じたからです。
精神世界はこれまで、唯物的考えであっても、唯心的考えであっても、人間は考えることが出来るものであるということにおいては意見の違いはなかったはずであります。
その考えることが、肉体の脳で考えるのか、肉体とは別のものがあってそれが心であるのかの違いだったはずであります。
しかし、物質の微少な世界でニュートリノのように人間の目ではとうてい見ることが出来ない素粒子にも、人間の体と同じように質量があることが解明された現在、目にはっきり見えるもの以外は存在しないという唯物論は、その考えが正しいかどうかではなく、少なくとも今までの考えを見直す必要があることは否定できないでしょう。
同じように、目に見えない世界が存在するという唯心論も、目に見えないものも物質であるのだから、やはり今までの考えを見直す必要があることは否定できないでしょう。
結局、唯物論も唯心論も同じであって観点の違いだけだ。というのがわたしの意見です。
見ている自分の場所が違うだけで、見ているものは同じものだということです。
それなら、その考えは各個人の主観であって客観的事実ではないということであります。
ここのところが過去何千年、何万年前に人間が文明をつくった最初にボタンのかけ間違いをした重大なミスであったのではないかと思うのであります。
つまり、人間の思ったり、考えたりすることには、客観性はなく、すべてその人間だけの主観であり、従ってどれが正しいとか間違っているとかの問題ではなく、同じ考えか、違った考えかの問題であり、究極的にはすべて違った考えがあるという事実だけであります。
そのそれぞれすべて違った考えを、ある考えに無理やり客観性を与えて、その考えに収斂させてきたのが宗教であり、神であったように思えてなりません。
だから、当然いろいろな客観的考えがどんどん出てくるといった矛盾が生じてくるのです。
「いろいろな客観的考え」なんて有り得る訳がない。
客観性はただ一つしかないのです。
だから、いろいろな客観的考えが唯一性の争奪戦をやるのです。自分以外の客観的考えは全部間違っているから排斥せざるを得ないのです。
すべての宗教が抱える最大の問題であります。
自分という主観と絶対という客観との相対的関係である。これが結論であります。
みなさんにも、それぞれの主観による神の概念を持って頂きたいという思いからこの「神の自叙伝」というサンプルを創ってみたのです。
神は他人から押しつけられるものではありません。自分が自由に創造すればいいのです。
今回の「反省編」は最初の試みでありました。その途中で分かったことは、人が自分の日記を書くように、自分が対峠する神の日記が、わたしの場合この「神の自叙伝」であり、わたしが生あるかぎり自分の日記と同じように、自分の神の日記を書き綴るべきだと。
「反省編」のあと「改正編」「決断編」「実行編」そしてわたしが死に直面したと同時にわたしの神も直面する死についての「終幕編」と綴っていきたいと思っています。
読者のみなさんも、自分の日記と同時に、自分の神の日記を綴ってみられたらいかがでしょうか。
●(文字数の都合で中略しています)