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家臣居住地比率
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直 臣
幕末期(1845年)、直臣の佐賀城下居住は、33%に過ぎない。
つまり、家臣団の3人に2人は、城下以外の村・津等に居住している。

 組頭以上の上士は、ほとんどが城下の小路に居住しているが、
 組付の平士となると、城下の小路居住は5割強に過ぎず、
 4割は農村等に居住している。
 手明鑓・徒・足軽は、8割位が農村等に居住している。
陪 臣
 三家・親類・親類同格・家老・着座侍等の家臣、
 つまり、陪臣の佐賀城下居住は、ごく少数である。
 ほとんどが知行地に居住している。
 家  格 家  名 惣人数 知行地 佐賀城下 その他 在住比率(%)
三家
小城   1701   1583  10  92  93.1
蓮池   1005  782  5  218  77.8
鹿島  794  560  4  230  70.5
親類 白石鍋島   804  221  67  516  27.5
 川久保鍋島  562  314  16  232  55.9
 久保田村田  508  387  28  93  76.2
 村田鍋島  472  161  19  292   34.1
親類同格  武雄鍋島  882  757  11  114  85.8 
 多久  884  825  19  40  93.3
 諫早  1221  1144  10  67   93.7
 須古鍋島  316  224   16  76  70.9
家老  鍋島主水  366  117  27  222  32
 深堀鍋島  280  235  12  33  83.9
 姉川鍋島  243  11  10  222  4.5
 神代鍋島  301  267 8  26   88.7
着座  納富  148  77  7  64  52
佐賀藩陪臣知行地在住比率
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※ 上記表の小城・蓮池・鹿島の三家、
  久保田村田・武雄・多久・諫早・須古のいわゆる龍造寺系五家に注目して
  いただきたい。
  各家とも70%以上の者が、知行地に在住しているのがわかる。
  小城・多久・諫早に到っては、93%以上もの高比率である。
  やはり、佐賀本藩との確執が主因であろうか。  
  三家の家臣は、本をただせば直臣系統であり、それが陪臣扱いされれば、
  面白いはずもない。
  また、龍造寺系五家に至っては、鍋島家の主筋である。
  知行地に引っ込んでしまうのも、分かるような気がする。