父は、若い頃、駐留英軍将校宅の勤務を経て、
駐留米軍にて通訳、及び、警備の任務に就いていた。
私は、この父の影響を受けたというか、
武家としての血筋のなせるものか、
高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。
その後、国士舘大学にて政治学を専攻し、
現在は、上場企業に勤めている。

神奈川県在住。
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この言葉を、祖父は、常々、言っていたそうである。
『士族』、つまり、武家であったという誇りを子供たちに植え付けて
いたのであろう。

祖父は、日本郵船の客船の航海士(船長クラス)であった関係で、
大正時代に横浜に定住してしまった。
横浜に寄港すると“人力車”にて帰宅するという富裕な生活をおくって
おり、自宅には、お手伝いさんも雇っていたそうである。

このお手伝いさんというのが、“大隈重信侯爵”の屋敷に勤めていたと
いう人で、どういう関係で、我が家に来たかは定かではないが、
やはり、「佐賀」という同郷の縁があった様に思われる。
また、ステッキを手にした貴顕な紳士達がよく訪ねて来ていたようで、
もしかすると、その中には、佐賀出身者もいたかも知れない。

現在、武富家も四家に分かれ、それぞれが普通の生活をおくっているが、
各家とも、『士族』という誇りを胸に秘めている。
今の時代、『士族』が何なんだ。と言われそうだが、
武家という先祖の血を引き継いでいる以上、これを否定して生きる事は、
できない。

以前、薩摩の“郷士”を先祖に持つ人と接した事があるが、
こちらが武家の出とわかると、うちは郷士だったと言葉少なに語った。
その態度は謙遜しているようであったが、やはり、誇りは失っていない。
同じ境遇をもつ者であるからこそわかる事である。

先祖の地を離れて生活しているからこそ、
どうしてもこだわってしまうのかも知れないが、
先祖の事績を伝えていくのも、我々、子孫のつとめであると思う。
佐賀藩士の家系
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“ 丸に蔦 ”
※ “ 士族 ”とは、明治維新後、旧武士階級に与えられた身分族称である。
  
   ちなみに、先祖の地“下小田村”(当時)の士族数は、下記のとおりです。

     上小田〔 戸籍本数 302戸   士族 23戸   平民 279戸 〕

     下小田〔 戸籍本数 210戸   士族 9戸    平民 201戸 〕
祖父 (明治後期〜大正)
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父と共に(武山駐屯地)
米軍画像
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自衛隊画像
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系 図
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