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教育者
永渕アサ子は、儒学者として知られた“武富い南”の二女として生まれ、
幼時より勉学に優れていた。

明治21年、豊増一女などと共に“佐賀婦人矯風会”を組織し、
婦人の人権を守る運動を起こした。
さらに、女子教育のため、佐賀市松原町に実習女学校を創立し、
裁縫、習字、国語、漢文などを教えた。
その後、帰郷した大隈重信が、高度な女子教育の必要性を説いたため、
明治32年、佐賀市八幡小路に佐賀女学校を創立。
そして、この両校は合併し、“成美女学校”となる。

戦後、成美女学校は、佐賀中学、佐賀高等女学校と合併し、
現在は、佐賀高校、佐賀西高校となって存続しています。
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