【 あとがき 】
私が、“時敏”に出会ったのは、小学校5〜6年生の頃です。
社会科見学で、国会のそばにある“憲政記念館”を訪れた時でした。
館内に入ってすぐに、何かに導かれるようにたどり着いた先が、
“時敏”の写真でした。(武富時敏のTOPページに掲載)
子供心に、こういう人がいたんだと思い、しばらくそこから動くことなく、
ずっと写真の“時敏”を見つめていました。
その時の情景は、今でも鮮明に、脳裏に焼き付いています。
その後、大隈内閣の名簿を取り寄せたりしましたが、興味が他に移ってしまい、それ以上調べる事もなく、20数年の月日が流れていました。

そして、妹が旧家に嫁ぐ事になり、武富家の事績等をあらためて調べる必要に迫られ、初めて佐賀の土を踏む事になったのでした。
祖父が佐賀を出て以来、80年以上もの月日が経ち、
父や伯母等が果たせなかった佐賀への来訪なのです。
やはり、佐賀の地は、何か懐かしさを感じ、帰って来たという思いがしたのでした。

まず、祖父の出身地である小田(江北町)に行き、
そこで、“武富姓”の多さに驚き、そして、寺院にある墓石に驚いたのでした。
墓石に刻まれている文字が“金箔”なのです。
こんな墓など見たことがない。
静かな古都たる佐賀ですが、何かを誇っている様です。
私には、そう感じたのでした。

次に、県立図書館を訪れたのですが、ここで、『 武富時敏 』の本を発見。
あの時敏が、1冊の本になっている。
ここでも、感動したのでした。
全部を書き写すには無理があるため、全頁をコピーしてもらい、佐賀をあとにしました。
これが、武富家研究の始まりであり、毎年、佐賀を訪れる様になっていったのでした。

時敏の事を調べていくと、逸話の内容が、私の父と似ているのです。
まったく生き様は違うが、やはり同族として同じ血を受け継いでいるのかと思い、何か不思議な感じを覚えたのでした。

武富時敏、彼は、二度と現れる事がないであろう清廉な政治家です。

“佐賀の七賢人”に匹敵する人物であり、
 もっと世の中に知られていい存在であると私は思っています。
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