【 紅木屋侯爵 】
“時敏”の行儀の正しいことは、院中第一でした。
常に端然として形を崩さず、もちろん野次を飛ばすことはなく、
反対派の演説を妨害するのでもなく、静かに人の説を聴き、
静かに表決に加わったのです。
議場を沸かす騒ぎがおき、議員が興奮状態の時においてさえ、
独り日頃の形を崩さず、冷然としてその騒ぎを見下していたのでした。

また、院内のみならず、日常の生活においても行儀を乱すことはなく、
常に端然たる姿を失うことはありませんでした。
そして、風貌が貴公子然と端正であった事もあいまり、
『 紅木屋侯爵 』というあだ名が通り名となってしまいました。
これは、京橋(現在の東京高輪)の“紅木屋”という旅館を定宿としていた
からで、他の代議士や政党員ならば、旅館では、冬はどてらを着込むとか、夏は半裸体になるとか、とかく行儀が悪いのですが、
宿にくつろいだ時でも、身なりを崩さないで端座している時敏のさまは、
どう見ても平民ではなく貴族の風であるというので、
このニックネームがつけられたのでした。



〔 逸話@ 〕

大隈重信の国府津(神奈川県)の別荘には、時敏も避暑の為に訪れていましたが、読書するにも談話の際にも膝を崩すことはなく、端然たる生活ぶりは、
別荘にくつろいでいる人とは思えないくらいでした。
それに、夜寝る時でも、電燈を消すようなことはなく、
正しく上向きに寝たまま身体を動かさないので、
眠った時くらいは姿勢が乱れるであろうと思って、
夜中に早撮り写真を撮ってみたのですが、いつ撮ってみても同じ姿勢で、
少しも乱れた所がないのでした。
“聖人に夢なし”とは、この事かと、大隈の秘書官であった山崎氏は、
心から驚嘆したとの事です。



〔 逸話A 〕

郷里の佐賀から汽車で上京する際も、出発の時から東京に着くまで、
食事の時以外は、座席にきちんと座って形を崩さないのには、
同車していた者が驚いたとの事です。
また、時敏が搭乗していた汽車が、脱線か衝突を起こし、
乗客はいずれも驚愕狼狽していたのですが、時敏のみは泰然として、
少しも慌てる様子がなかったとの事です。



〔 逸話B 〕

時敏が、内閣書記官長となった当時の事ですが、
政党員から一躍して内閣書記官長という大官になった事とて、
宮内官(現在の宮内庁職員)などは、礼儀作法なき野人に過ぎまいと思って
いたらしいのですが、ある時、参内(皇居に参上)した時敏を見ると、
他の政党出の大臣や大官などと異なって、大宮人も及ばない人品に驚いた
という事です。
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