レポート
私が見た しのだ選挙
■主役は市民
I
<04年2月12日更新>
「青空政治家」になれ
「(投票箱の)フタが閉まるまで諦めない」
しのだ陣営は投票日(11月10日)も「棄権しないで」と電話を掛け続けた。携帯を使う若者、自宅に戻って掛ける奥さん…。のちに電話会社から思わぬ請求を受けた女性は「あらぁこんなに使っていたの、と自分でも驚いた」という。
ボランティア全員の胸に濃厚な「勝ち負けを超えた達成感」を残して“ド素人集団の戦い”は終わった。
事務所が大歓声に包まれたのは、その数時間後である。
「新潟市長に無党派篠田氏 助役OB支配に幕 市政改革に支持集まる」。朝日新聞県版は「改革を求める強い民意が組織の厚い壁を突き破った」と報じた。
同紙はまた「無党派層をあてにした篠田氏は、出遅れに加え、低い投票率と分が悪いとみられたが、常識を覆した」と書いた。
「新潟市民はいい選択をしましたね」と電話してきたのは、九州のテレビ局である。「新潟も変わってきているんです」。私は胸を張って応えた。
◇
しのだ選挙の特徴は、一言でいえば「権威や組織の力を借りなかった」ことである。
実は、両方ともないのだから、使いたくてもできなかったわけで、ひたすら「篠田はこんな男です」「改革をやらせてみてください」と市民に判断材料を売り込むしかなかった――というのが正しい。
篠田は、政治(市政)を変えるには選挙も変えなければ…と、あえて政党・団体の支援を断った。
私がテレビ局に胸を張ったのは、市民がそれに応えてくれたことを誇りたかったからである。
新潟市の新しいリーダーにふさわしいのはだれか。市民は組織に縛られず、利害を超えて見極めてくれた。このことは、篠田が挑戦した“選挙を変える選挙”の結実でもあったのだ。
今度は篠田が“政治を変える政治”を進め、市民に応える番である。
篠田が当選証書と一緒に受け取った市長のイスは、同時に“権力の座”でもある。時にはセンセイと呼ばれる政治家の地位もまた、これまで無縁のものだ。
しがらみを排して信念を貫く“青空政治家”であり続けるのか、市民感覚とは程遠い政治力学に歩調を合わせて“永田町型”になっていくのか。
篠田の政治には、市民の願いとともにボランティア選挙の命運がかかっている。 (おわり)
(敬称略)
(しのだ昭応援ボランティア・小泉)