<05年2月3日更新>
篠田市長だから出来たこと
新潟市の官製談合事件で、新潟市議会(総務委員会)が長谷川義明・前市長と渡辺洋・前助役を参考人聴取しました。
強制力のない委員会ですから、二人が出るのか出ないのか、そのこと自体も注目されたのですが、出席して証言した内容は新聞・テレビで報道された通りです。
皆さんはどんな感想をお持ちでしょうか?
sky360は、「あー、あのとき篠田市長になっていなかったら、政官業癒着の談合体質はいまも続いていたんだなぁー」と、あらためて篠田市長登場の歴史的な意味を考えました。
02年の市長選挙に出ると決断した篠田さんは、そのときから入札改革の必要性を口にしていました。新聞記者として市役所担当もしたことのある彼は、問題の深刻さを知っていたのです。
だから市長になると、公取委が調査に入る前から対策を打ち出しました。そしていま、さらなる対策を積み重ね、自らにも処分を科してけじめをつけようとしてます。
公取委、地検、市調査委が明らかにしている「官製談合の始まり」は「遅くとも91、92年ごろ」です。それから十年以上「談合にとってこれ以上望めないほど」の「官民癒着、もたれあいの完ぺきな談合関与システム」が続いていたのです。
この間ずっと、長谷川氏は市役所のトップでした。「談合が行われていたとは夢にも考えていなかった」というのは、あんまりでしょう。渡辺氏だって“陰の市長”といわれていたくらいですから「談合のうわさは何度か聞いた」のなら、改革する気があれば出来たはずです。
この両氏と、篠田市長の違いの根源は何でしょう。
sky360は、「両氏がなぜ改革に消極的だったのか」よりも「篠田市長がなぜここまでやれたか」と考えることで、その答えを探しています。権力との癒着を拒むジャーナリスト体質、選挙で政党・業界団体の支援を受けなかった無党派志向、市役所内で最大の異議申立人でありたいという改革意欲、これらがその一つと言えるでしょう。
今度の事件は、職員の逮捕・起訴にまで発展し、新潟市に汚点を残しました。「(当時の監督者として)責任はある」。長谷川氏と渡辺氏がこう述べたことは、せめてもの救いでした。
関与があったと指摘されている市議会議員の身の処し方も含めて、大合併前の新潟市が身ぎれいになったと市民に認めてもらえるかどうか。その時間はあとわずかです。