バングラデシュの習慣 その1

ここバングラデシュでは息子や娘が結婚する時にこの様に建物をデコレーションします。私のアパートの4階の家の息子が結婚するそうで・・。3日間輝き続けるそうです
新しい年が明けました。
日本もバングラも・・世界中が穏やかな年であって欲しいですね。


今日はここバングラに何故“山形”と言う地名が入った病院が出来たのか・・について簡単にご説明したいと思います。(簡単と書きましたが・・少々長文になります)

ラーマン医師は山形大学医学部整形外科学部で学んだのち、山形済生病院に於いて整形外科医としての経験を積み上げました。
「バングラデシュの患者さん達により良い整形外科治療を提供して欲しい」と恩師でもあった「故大島義彦先生」と「濱崎允先生(山形済生病院院長)」が中心となり、多くの協力者の元に1997年7月「山形ダッカ友好病院」が開設されました。

ラーマン先生が尊敬する大島先生は整形外科医としてだけではなく、人間的にも素晴らしい方(多くの追悼・遺稿集からも伝わって来る)であった事を私も知りました。
その事はラーマン先生が書かれた追悼文の中に「大島先生は『医者として患者さんの為に患者さんの気持ちになって、どんな治療を受けたいか、どんな生活をしたいかを考えて仕事をして下さい。患者さんの治療をして下さい』といつも言ってました」と述べられています。


この文章を読み終えて確信しました。
ラーマン先生は素晴らしい医師と出会い、その人間味溢れる医療の本質に触れると共に『受け継ぐ感性』をラーマン先生自身が持ち合わせていたからこそ、17年経った現在も患者さんへの真摯な姿勢を変えること無く医療を続けて来られたのだ・・と。(大島義彦先生は2003年9月に亡くなられました)

その後も単に“山形”の地名がついてるだけでなく、緻密な交流が続いて今に至っています。

かつては大島先生も指導にあたられた手術室の入り口には「OSAIMA MEMORIAL OPERATION SUITE」と名前が付けられています。

患者サイドに立った治療より、ともすれば医療者サイドからの治療が優先されがちなバングラデシュです。そんな日本人的な医療への想いを持ち続けながら日常の診療にあたっている先生を改めて「凄い!」と思いました。
今後も自分に出来る事を見つけながらこれからも頑張って行きたいと強く思いました。

2014/1/5
<レイ子の部屋>
 
「チリンチリン・・」「ブッブッブー・・」 リキシャと車のクラクションと人の声が溢れる朝の風景
ここはバングラデシュの首都ダッカにある”山形ダッカ友好病院”です。
 
1989年に2人の息子達と3人でダッカ北西200kmにあるマザーテレサの病院で1ヶ月ボランティア
をして以来、現地の子供達の輝く瞳に魅せられて通う事19回目にして”山形ダッカ友好病院の
ラーマン先生と出会い、2012年4月から念願だったバングラデシュでのボランティア生活が始まりました。
 
過去ダッカでの滞在は3日を超える事は無かったため、当初は「ホントに365日ダッカに住める??」自信は全く
ありませんでした。
 
しかし・・・気付けば1年8ヶ月が経とうとしています。
45年の看護師経験を生かしてスタッフへのサポートをするべく頑張っております。
 
”地球の歩き方バングラデシュ版”の中の病院紹介で一番始めに紹介されている事もあって、
企業や個人的な旅行で滞在するうちに体調を崩し、来院される日本人の患者さんもここ最近は増えてきております。
 
院長は日本語対応が出来るばかりか、治療方針・経過説明など細やかな気配りのもと、日本的な医療と看護の
提供を常に念頭に置いています。
 
もしも・・・渡航先で体調を崩されたとしても、(あってはならない事ですが)安心して診療を受けて頂けるよう・・・
この部屋を訪れた方に院内の様子をお伝えすると共に、生活の注意点などご紹介して参りたいと思います。
 
2013-12/12
 
バングラデシュは今、建設ラッシュが続いています。 アパートやショッピングモールや病院などなど・・・。
そんな中で今日はバングラデシュにおける看護事情についてお伝えしたいと思います。

バングラデシュの総人口が日本の総人口を3000万人近く上回るこの国の医師総数58,000人(日本295,000人)看護師総数に至っては30000人(日本1,315,500人)となっています。
看護師1人に医師が2人と言う構図は・・・国民5083人に対し看護師1人と言う事になります。

当然首都ダッカだけに限定しても国立病院をはじめ、県立病院・群立病院・私立病院と数えきれない程の病院があります。
そしてダッカ以外の地方都市も同様です。
当然、有資格者だけではそれ等の対応は不可能です。
従って、正規のライセンスを持たない「1~2年間のトレーニングセンター」的な所で勉強を終了した者が多くの医療現場を支えています。
政府はそれを良しとはしてませんが違法ではないのです。

今、政府は“看護師を増やすべく努力をしている”と言ってます。
しかし「国立看護学校」「私立病院附属看護学校」「私立看護学校」の教育レベルには大きな差がある事や、教育側に立つ教員自体の資質やキャパシティーの問題も多く、また看護師は「人の体に触れる卑しい仕事」と見なされた時代があり職業的にも避けられた過去の状況から、資格者が増えなかったと考えられます。
最近は「プロの職業」との認知もされつつありますが、3~4年間の授業料は高額であり誰もが希望すれば進学出来る訳ではありません。

ここ「山形ダッカ友好病院」に来て2年が過ぎようとする頃にある結論に達しました。
「時間が経って頭が固まった人(これからも助言は続けますが)ではなく今から勉強して貰い、卒業後は院長と共に卒後教育を充実させ後輩を指導出来るような人材を育てて行きたい」と。
今まで勉強会をして・・・365日伝えて・・定着した事もありますが、この2年間言い続けやり続けても理解が得られない事の方が多かったのです。

そして・・17年前から会員であるダッカ郊外の「サクラファミリーホーム」の会長に相談しました。
「施設で育った“やる気・根性・看護師になりたい希望”を持つ子供を紹介して下さい。学校での3年間サポートしますので、一人前になったら山形ダッカ友好病院へ就職して欲しい」と。
その後当院の院長からも卒業後の受け入れの確約を貰い、本人との面接による最終確認を済ませ、今年の2月に無事1名が入学出来ました。
育った施設の環境が「清潔」であり、勉強に対する姿勢や根性も施設側で把握しており、何よりも「看護師になりたい!」の想いを持ってる事が決め手になりました。
まだ入学後3ヶ月にも満たない時期ですが「勉強は難しいけど頑張る!」との笑顔に私自身も励まされています。
「貴女が頑張れば後輩も続いて進学出来ると思うから・・頑張ってね!」の言葉に力強く頷いてくれました。
 
2014/4/21
 
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