今年もお盆を迎えました。
仏教の『盂蘭盆』行事は、『盂蘭盆経』というお経に説かれた話によっています。
お釈迦さまの弟子の目蓮尊者(もくれんそんじゃ)は修行によって神通力を得て、父母の恩に報いたいと思い、その神通力で探してみたところ、母は餓鬼道に墜ちて苦しんでいた。
目蓮は悲しみ、何とかして母を救いたいと、その方法をお釈迦さまに尋ねてみました。
するとお釈迦さまは、僧たちが修行のまとめをする安居明けの自恣(懺悔)の日に、十方の僧にさまざまな供養をすれば、その苦しみから救われると教えられた。
ここにでてくる目蓮尊者は、お釈迦さまの十大弟子のひとりに数えられる、「神通第一」とされた人でした。
「神通」とは、インドのことばで「すぐれた智慧」ということで、仏・菩薩が禅定を修めることなどによって得る能力のことをいいます。
神通には六種類あって、六神通といわれます。
神足通…欲するところに自由に現れる能力
天眼通…世間のすべての事象を見通し、衆生の未来を予知する能力
天耳通…世間のすべての音声を聞く能力
他心通…他人の考えを知る能力
宿命通…自他の過去の世を知る能力
漏尽通…煩悩を滅尽させる智慧
このうち大切なのは、最後の漏尽通で、人間の苦しみの根源である煩悩を滅して、再び迷いの境涯に生まれない能力、つまりそれが、すぐれた智慧だということになるのです。
したがって、仏・菩薩が禅定を修めることなどによって得る能力は、いわゆる超能力を求めようとすることが目的ではなく、悟りに到るために煩悩を滅するためのものということになります。
ですから目蓮尊者も、神通力をもてあそぶことなく、母の救われる方法を、まずお釈迦さまに尋ねたのだと思います。
このように、人間の苦しみの根源である煩悩を滅して、再び迷いの境涯に生まれないためのすぐれた智慧を説かれたのが『盂蘭盆経』であるといただくことができます。一節には、神通という超能力を得ることや、忠孝のための供養を説かれているのだと解釈する見方もあるようですが、そうであるのならば、神通力や供養が仏教の目的となってしまいます。
仏教は、「智慧の宗教」であります。
『仏説阿弥陀経』には、阿弥陀仏の浄土は餓鬼道などの迷いの六道から完全に解放された姿であると説かれています。
それが私にとって、再び迷いの境涯に生まれないための、すぐれた智慧を説かれたお経なのであって、阿弥陀仏のはたらきのなかに生かされる人生であると、私の生きるよりどころは何かに気づかされる機会ではないでしょうか。
(神戸湊組 宝球寺・鷲尾衛鳳)
盂蘭盆会