親鸞聖人を身近に感じたのはいつの頃だったのか、思い起こしてみますと、自分の少年時代までさかのぼることになります。当時、まだ寺院のあり方もよくわからないような、小学校の低学年の頃だったかと思いますが、住職がはじめた「日曜学校」に小学校に通う近所の同級生たちと、競い合って続けて通っていたことから、親鸞聖人を意識したのではないかと思うことです。
 今この話を聞いておられる皆さんも、年齢に開きはあるにせよ、多かれ少なかれ、同じような環境で育った方がたであるのではと推察致します。不思議なご縁でお寺の嫡男として生を受け、この場にたってお話をさせていただくことができるのも、少年時代の親鸞聖人との「出会い」があればこそだろうと、思うことです。

 それから何年か経ちまして、中学高校とは学校の勉強とクラブ活動と塾通いという、今考えてみますと、大変忙しい学生生活を毎日送っていたことであるなと思いますが、その平凡だと思っていた生活の中で、私自身の人生を決定づけるような。大きな転機になる出来事がありました。
 
 まず一つ目になりますが、自分の祖母の死という出来事です。祖母は明治生まれの人間で、京都のお寺から嫁いできた人でありましたが、私にはとても優しく、いろいろと教えていただいたことでした。祖父が早くに亡くなったこともあり、父が大学を卒業するまで女手一つでお寺を守ってこられた方です。

 そんな祖母でしたが、晩年は寝たきりのような状況になり、老人性痴呆症もあって、元気であった頃からは見る影もないほどに、変貌していったことでした。その頃の自分に、「老い」ということについて、マイナスのイメージしかわいてこなかったのは、この祖母の死と、死に至るまでの経緯を見て、
 「自分もいつかはこうなるのか」とか、
 「こんな風にはなりたくない」といった感情的な嫌悪感からだと思うことです。実際にそれからしばらくは、お骨の入った骨壺が安置されている仏間に入る気がしませんでした。 
 
 二つ目は、自分の叔母の死であります。私の叔母は、父の姉になりますが、四十七才で突然に亡くなってしまいました。全く寝耳に水というのはこのことなのだと思うのですが、初めてその訃報を聞きましたときは、自分の耳を疑ったことでした。それまで、私の従兄弟をつれてよく淡路島まで遊びにきてくださっていましたし、私自身もよく遊んでもらっておりましたので、まさかこんなに突然に命を終えるということなど、到底考えられないことだったからです。
 「老少不定」という言葉を知ったのは、それから少し経ってからのことになりますが、まさに今を生きている命というものについて、真剣に考えさせられるご縁となる出来事でした。

 親鸞聖人のお言葉に、
 「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく真実の浄信、億刧にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(『教行信証総序』・注釈版聖典131頁)とあります。
それまでこの世に生を受け、今を生きているということに対して、あまりにも当たり前になりすぎていた私自身が、この二つの出来事により、今を生きているこの命は、
 「限りがある命である」ということと、
 「いつ、いかなる時に命つきるのかは、誰にもわからないことだ」
ということを、嫌がうえにも思い知らされ、気づかされたことでした。
 
 もし、私が寺院の後継者という立場ではなく、聖人のお言葉にも全く無縁な一人の青年という立場であったのならば、この二つの出来事がここまで自分の生き方に影響を与えることはなかったと思います。どのような形であれ、肉親の死を目の当たりにした時、人間はその逃れられない現実から目を背けたいが為に、必死になってそれらの出来事を忘れるようにするのだと思います。また、忘れることで自分自身を周りの人々と何ら変わらない、この世を生きる一人の人間として、それこそ死ぬまで、自分を偽りながらでも、平凡だと思われる生活を続けていたのではないかと、そう思うのです。
 
 翻って、人間の思慮や分別というものを考えてみますと、なるほど他の生き物に比べますれば、すばらしく発達し、その知恵をもって今現代の科学文明を築いてきた訳であります。しかし、物質的には豊かになって、お金さえ出せば欲しい物は何でも手に入るようになって尚、心の貧しさがクローズアップされ、
命の尊厳への軽視や、人間としての個性の埋没など、数え上げればきりがないほどの暗いニュースが話題となっている現実があります。
 
 阿弥陀如来の大悲のお心は、人間の知恵では到底計り知ることのできない、広大な誓願です。
 聖人のお示しくださった、『弘誓の強縁』に値う、もうすでに阿弥陀如来の大慈・大悲のお心の中に救われているのだという意味の深さを思うとき、今ここに聖人と出会えることのできた我が身を、有り難いと感じずにはいられないことなのです。
 
 少年時代・青年時代そして今を生きる私。
私自身が生きている現実は、今変えようのないことですが、聖人と出会えていた自分・聖人と出会うことのなかった自分という二つの自分を思うとき、改めて、自分を導いてくださったいろいろなご縁を有り難いと感じさせていただくことです。
 
 「親の心子知らず」と、ことわざにもありますが、親様である阿弥陀如来さまのお心に背き続けてきた自分です。その私を、ここまで導いてくださったのは、やはり少年時代の自分の両親のお育てや、青年時代の祖母や叔母がその身をもって示してくださった命の尊さ、限りある命ということへの目覚め、そして今まさにこの場でお話をさせて頂いておる我が身に対する、御同行やみなさんからのお育てであることだなと、感じられるのです。
 
 私は現在、自坊にて両親と共に毎日、法務や寺務を勤めさせていただく生活を送っております。毎月第二土曜日には、近所の子どもたちが土曜学校こども会に通ってきてくれます。少年時代の私が聖人に出会うきっかけとなったのも日曜学校からであり、今まさに自分が子ども達に伝えようとしている聖人のお心を、一人でも多くの子ども達、そしてその両親達に伝えることができればと、そう思っております。
 いついかなる時代であっても、仏法の真実は変わりません。仏法を拠り所とし、仏法を伝えていくことが、私の今を生きる使命であり、存在理由となっています。聖人が命がけで伝えてくださった無碍の一道を、今度は自分がお取り次ぎさせていただき、粉骨砕身の覚悟で臨むつもりであります。
 
   「弘誓のちからをかぶらずは いずれのときにか娑婆をいでん
            仏恩ふかくおもひつつ  つねに弥陀を念ずべし」(高僧和讃86)

 一人でも多くの人々が、阿弥陀如来の本願力に出遇い、すでに救われている我が身に対する幸せを共有することができるのならば、また、我が身を省みる手だてとすることができるのならば、それはひとえに聖人の御本意に足りるべきものとなるでしょう。
 聖人との出会いが、自分にとっての生き方の大きな転換となり、聖人の歩まれた道を伝えて参る身とならせていただき、今度は次の時代を生きる人達に、その姿勢のすべてを伝えていくことが、聖人と出会った私の仏恩報謝なのです。 
       
南無阿弥陀仏
『親鸞聖人と私』  副住職  藤榮 亮匡
感想などお寄せください