京大の考古学教室で講義を聴講していたころ、大津市と高島郡の古墳台帳作成のことを、滋賀県技師をしていた宇野茂樹氏に依頼されたことがあった。県下でも有数の古式古墳、天王山古墳を、まだ大津市に編入されていなかった真野村にたずねたことがあった。普門(ふもん)の旧家の西条氏に案内され、曼陀羅山(まんだらやま)にのぼった。山頂の松林のなかを延びる前方部の直線に心奪われたことであった。明治時代に発掘された遺物は東京博物館の所蔵となっていることや、村内の別の古墳から発掘された須恵の土器が、氏の御親戚の坂本の寺に存在することなどを聞き書きしたことがなつかしく思い出される。その後、谷口の日花瑛介氏に案内され、春日山の群集墳を見てまわったこともある。考古学的な古さはさておき、真野を文献の面に見ると、
『延喜式』神名帳には、

  滋賀郡  八座
   那波加神社   倭神社   石坐神社    神田神社    小野神社二座(名神大)
   日吉神社(名神大)     小椋神社

とある。このうち、神田神社は、真野の神田神社であることから、真野村が、古くから、ひらけていたことが実証される。
 また、『新撰姓氏録』という書物がある。この書は、弘仁六年七月二十日、中務卿萬多親王が献呈した書で、二十一巻あり、一千一百八十二氏の家系、出自を示している。その第五巻、右京皇別に、真野臣 天足彦国押人命の三世の孫、彦国葺命(ひこくにぶくのみこと)の後なり。男 大ロ納介(おおくたみのみこと)、男 難波宿禰、男 大矢田宿禰、後、気長足姫皇尊(おきながたらしひめのすめらみこと)(謚 神功)に従ひまつりて新羅を征伐(ことむ)けて凱旋(かへ)らむとする日、便ち留めて鎮守府将軍と為たまへり。時に、彼の国王、猶榻(いうたふ)が女に娶ひて、二男を生めり、兄は佐久命、次は武義命(むげのみこと)。佐久命の九世の孫、和邇部臣馬、務大肆忍勝等、近江国の志賀郡の真野村に居住(いへを)へり。庚寅年に真野臣の姓を負ひき。と録されている。当時の先進文化国、新羅とは、まことに深い関係を有し、隣村に居住していた、同族小野氏とも互いに影響しあっていたであろう。それが遣隋使妹子ともつながっていったのではなかろうか。
 さて、本題に戻って、『万葉集』には、地名「真野」をもった歌が十首ちかく存在する。これは、他の一度や二度出てくる地名の比ではなく、相当重要な地名であることは、いわずもがな、万葉びとにとってはひろく知れわたった地名と考えたい。その中には、

陸奥(みちのく)の真野の草原(かやはら)遠けども面影にして見ゆといふものを  笠女郎 巻三

など、明らかに近江の歌でないものも存在する。
滋賀アララギ会編『万葉の近江』には、真野を詠った作品を次のようにあげている

一、  高市連黒人の歌二言(内一首)
   いざ児ども大和へ早く白菅(しらすげ)の真野の榛原(はりはら)手折りてゆかむ  巻三  二八〇

  訳 さあ人々よ。大和へ早く行こう。真野の萩原の萩を記念に折って行こう。

 二、  黒人の妻の答ふる歌一首
   白骨の真野の榛原往くさ来(く)さ君こそ見らめ真野の榛原            巻三  二八一

  訳 真野の萩原を往く時にも来る時にも、きっと君は御覧になることでしょう。美しい真野の萩原を。

 三、  ふぶきの刀自(とじ)の歌二言(内一首)
   真野の浦の淀の縦縞情ゆも思へや妹が夢にし見ゆる                巻四  四九〇

  訳 真野の浦の淀にかけてある継橋のように、続けて心から私を思っているので、私の夢に妹が見えたの    であろうか。きっとそうにちがいない。
 
 四、  羈旅にて作れる
   古へにありけむ人のもとめつつ衣に摺(す)りけむ真野の榛原           巻七 一一六六

  訳 昔の人が、求めては衣に摺ったという、これが真野の萩原である。

 五、  木に寄す
   白骨の真野の榛原心ゆも念(おも)はぬ吾し衣に摺りつ              巻七 一三五四

  訳 真野の萩原を、心から愛していない私が、その萩をとって、衣に摺ったことである。

六、   物によせて思を陳石
   吾妹子が袖をたのみて真野の浦の小菅の笠を着ずて来にけり           巻十一 二七七一

  訳 吾妹子の袖をあてにして、真野の浦の小菅の笠を着ないで来てしまったことだ。

七、
   真野の池の小菅を笠に縫はずして人の遠名(とほな)を立つべきもの       巻十一 二七七二

  訳 真野の池の小菅を笠に縫わないでーまだ深い仲にもなっていないのに−遠くまで人の噂を立ててよい    ものだろうか。
 
 繁をいとわず一首一首についている口語訳も併せかかげたが、「榛原」を「萩原」と解釈したのは如何であろうか。『古典文学大系』(岩波書店)万葉集(1)三三〇ページには、
 (1)古事記雄略天皇の条に鳴鏑(なりかぶら)で猪を射た天皇が、その猪に追われ、はりの木に逃げのぼ    られたこと。
 (2)ここに引いた(例歌五)の詞書に「木に寄す」という表現があること。
 などから、「榛」と表記されているものは「ハリ」と訓じて、花ではなく、木であると認めるべきもののよ うに思ばれる。
と断じている。

さて、例歌一について、滋賀アララギ会の『万葉の近江』は、
 「真野」は全国に多く『万葉集注釈』の摂津説は、その根拠が浅い。近江の真野は『倭名類聚鈔』に出て  いて、古くから有名であった。高市黒人には西近江路を旅している歌が多く、琵琶湖も舟行したようであり 、単に旅行者としてではなく、あるいは、官吏としてある期間近江に滞在していたかもしれない。二八〇の 歌の前に、黒人の「吾妹子に猪名野(ゐなの)は見せつ名次山(なすぎやま)角(つの)の松原いつか示さ む」という歌があり、二八一の歌に続くが、同じ作者の一連の作でも必ずしも同時の作でないことは多くの 例が示す通りである。
という解説が付記されている。
 ところが二八〇の歌には、猪名野、名次山、角の松原と三つの地名がうたいこまれ、それらは、明らかに摂津国の地名である。それに隣る二八一の真野も一般には神戸市長田区東池尻町に比定されるが、この説では近江国としようとしている。「同時の作でない」と説明されてはいるものの題詞を同じくしている一連の作は、やはり、一つづきの旅での作品とする方が穏当ではなかろうか。巻十五には、遣新羅使と中臣宅守(やかもり)、狭野弟上娘子の贈答歌が収録されているが、これなどは数年、数か月にわたるひとつづきの作品を一つの項目に集めている。
 私はかつて摂津国の万葉旅行をこころみ、この歌の、式内名次神社をたずねたことがあった。西宮市の水道の水源池をなす池のほとりを歩み、芦屋の処女塚、さては敏馬神社などを歴訪したことがあった。例歌一、二は、やはり通説に従う方が無理のないように思われた。
 しかし、例歌三、六は、『萬葉の近江』の説に加担したい。『古典文学大系』は、この歌の頭注として、二八〇番の歌と同じ土地といったんは述べているが、但し同所でないかもしれないと逃げている。
 ここで、私は、『倭名類聚鈔』の、国、郡、村の名を採録してあるあたりを渉猟する。「真野」という地名をさぐり求める。

   常陸国父慈郡真野      近江国滋賀郡真野      美濃国不破郡真野
   睦奥国行方郡真野      讃岐国那珂郡真野

の五箇所をメモした。だが、例歌三、六のように「真野」に浦を伴うという条件にてらしあわせると、最適なものはやはり近江国とするのがよいようだ。
 一方この歌の作者、ふびきの刀自は、『万葉集』巻一に、「十市皇女伊勢神宮に参赴りし時、波多横山の巌を見てふぶきの刀自の作る歌」という詞書か伴う一首があるが、その左注に、「ふぶきの刀自未詳。ただし紀に曰く天皇四年乙亥の春二月乙亥の丁亥、十市皇女、阿閉皇女、伊勢の神宮に参赴るといへり」とある。歌の詞書から考えれば、十市皇女とは、大変深い関係、たとえば乳母のような関係にあった人物ではなかったろうか。その十市皇女は、天武天皇と額田王を父母とし、弘文天皇の嫡妃となられた。壬申の乱に際し、吉野の父へ淡海の鮒の腹にしのばせた手紙で夫弘文天皇側の情報を知らせたと伝えられる。乱後、生きながらえて飛鳥に移られ、天武紀七年(六七八)天地の神を祭るための行幸の列が動き出そうとするとき、急に病を発して死去。そのため行幸もとりやめになったと伝る。歴史の裏側で、悲しい運命をたどられた女性であるといえよう。こうした皇女の側近だとすればふぶきの刀自と近江はまことに深い関係かおり、この一首の真野を近江としても不思議はないはずである。さらに『近江輿地志略』巻三十一に真野を求めると、
 真野入江 今は埋まりて田地と成れり。浦とも濱ともいへるは此他の事也。鶉(うずら)なくまのの入江の 濱風に尾花波よる秋の夕ぐれ(『金葉集』)
という一節がある。この記事から、現今の真野川の湖へそそぐ一帯は、江戸初期までは入江となって相当深く陸地に湾入していたのではなかろうか。あるとき『地中海』誌全国大会の行事として、近江万葉旅行を実施したとき地元の中村羊雲氏に真野の案内を乞うたことがあった。氏は、真野入江の標示札を説明し、「いまもなお、蒲(がま)が生えています」といって、穂をはらみかけている一群の高草をさし示された。かつて江若鉄道真野駅が存在したところであった。継橋がかけられるにはまことにふさわしい地形と見受けられた。

      ≪真野  国鉄湖西線一「堅田駅」下車・江若バス(堅田ー和迩)「真野浜」下車≫
山村金三郎 著「近江路の万葉」より 編纂[近江神宮]
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