近江神宮の御祭神天智天皇は、千三百年の昔大化改新を断行され古代国家の基礎を確立されました。近江大津宮に遷都された天智天皇は、この都に御位され、漏刻(ろうこく−水時計)を設置して時刻制度を開始。法律の原点、近江令の施行。全国規模の戸籍の編纂など、大津京に改新の諸事業を展開され中興の英主と称えられております。また、小倉百人一首巻頭の天智天皇御製「秋の田の…」は古来より広く親しまれており、近江神宮では、かるた祭−かるた開きの儀−が行われております。
近江神宮は、琵琶湖西岸の古都大津、天智天皇の開かれた近江大津宮旧蹟に御鎮座しております。
御 祭 神
御祭神天智天皇の御父君は、舒明天皇。御母君は宝皇女(皇極天皇・斉明天皇)。
諱を葛城・中大兄と申しあげ、孝徳天皇、皇極天皇の御世の皇太子にまします。
 中臣鎌足らと共に蘇我入鹿を誅され、大化改新(645)断行され、古代国家の基礎を確立されました。
 斉明天皇の六年(660)、新羅・唐よりの攻撃を受けた百済から救援の要請を受けた斉明天皇は
「危ふきを扶け絶えたるを継ぐは、恒典に著れたり。」(日本書紀)
と詔され、救援の軍を送られ、翌七年、中大兄と共に筑前(福岡)に朝倉宮に大本営を置かました。しかしながら天皇 は、この地に崩御あそばされます。
 この御時、中大兄皇子は
「天皇ノ崩御ニヨリ皇太子服シテ称制シ給フ」
と日本書紀に記されます如く、喪服のままに西征軍を指揮され、政令を執行して行かれたのでありました。
「白村江の戦い」の後、天智称制六年(667)都を飛鳥より近江大津宮に遷され、ここに御即位をなされます。
 藤原定家卿撰になります「小倉百人一首」巻頭歌「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」の御製は有名であります。
御 由 緒
御祭神・天智天皇は、天智称制六年(667)都を近江大津に遷され、この都に大化改新の理想の完成を目指され、後世の基盤となる諸政策を展開してゆかれ、世に中興の英主と称えられております。
 近江朝より1,300年の歳月を経た、明治の聖代より始まる、天智天皇奉祀神社の御創建を願う、滋賀県民の請願は連綿と続けられた昭和の御代。いよいよその熱請がかない、昭和十三年、昭和天皇の御聴許あそばされるところとなり、近江神宮御創建、御社格を官幣大社と仰せ出されました。
折しも、紀元二千六百年の慶節にあたります、昭和十五年一月七日。琵琶湖を東に望む近江大津宮旧跡に御鎮座されたのであります。
 昭和二十年十二月十五日、近江神宮は勅祭社に御冶定れ、翌昭和二十一年り例祭(4月20日)には御勅使の御差遣を頂いております。
 近江神宮は昭和天皇の御叡慮のなかに、昭和の御代に御創建された唯一の官社であります。
 尚、御本殿以下御社殿は、「近江造・昭和造」と称されておりますが、平成十年には、近代神社建築を代表するものとして国の登録文化財に指定されております。
御 祭 神
天 智 天 皇
(別  名)
天命開別大神
てんぢてんのう
あめみことひらかすわけのおおかみ
御 祭 神
御 祭 神
大化改新
http://www.oumijingu.org
http://www.oumijingu.org
御祭神・御由緒
御皇室と近江神宮 
境 内 案 内
御祈祷案内
年 中 行 事
神前結婚式
時計博物舘
大津京年表 
近 江 暦
近江勧学館
日供神饌講
交 通 案 内
先 頭 頁
近江路の万葉