平成23年 近江神宮の恒例祭典・行事
かるた祭
饗宴祭
漏刻祭
流鏑馬
燃水祭
祭典・年中行事
http://www.oumijingu.org
http://www.oumijingu.org
電話 077-522-3725
日本最初の石油の記録は、1340年をさかのぼる、天智天皇の御代のことした。正月3日、新都大津宮において、御即位の式典を厳修せられた天智天皇7年(668年)の7月のことでした。
越の国 燃ゆる土 燃ゆる水をたてまつる
日本書紀はこう書き記しています。燃ゆる土『燃土』とは天然アスファルトのこととされ、燃ゆる水『燃水』とは石油のことです。『越の国』は、現在の新潟県。なかでも現在の胎内市(旧黒川村)であったといわれます。黒川村は、昔、川の流れが黒くなるほど燃水が湧き出したことから、「黒川」の地名がついたと伝えられています。
その7月、越の国より採掘された燃水と燃土が天智天皇の都に献上されたのでした。科学技術を駆使され国づくりを推進された改新政治を象徴する記事といえます。
毎年7月1日、新潟県胎内市黒川において燃水祭が行われ、その折採油された原油が、6日後の7日、近江大津宮旧跡に鎮座する近江神宮燃水祭において、黒川からの使者により燃水献上の儀が、往時のままに厳修されています。さながら日本書紀の記述を再現するがごとくに。
地球温暖化問題がクローズアップされるなか、化石燃料のマイナス面が強調されることが多くなってきましたが、東日本大震災にともなう原子力発電所の事故以来脱原発への志向が高まり、さりとてただちに自然エネルギー中心に転換するのは現実的ではありません。現代文明を前提とする以上、当面は石油を中心とする化石燃料に頼らざるを得ません。むしろ従来にもまして重要となってきます。
全国石油・エネルギー業界・関連業界関係者多数のご参列の中、石油業界の代表者の手により、ランプに灯をともして献灯の儀を行い、現代文明の基盤である石油への感謝の誠を捧げます。
燃水祭(7月7日)
黒川臭水(くそうず)を献納する新潟県胎内市代表者
ランプを持って献灯するのは各府県石油商業組合代表者
漏刻祭(6月10日)
近江神宮のご祭神・天智天皇は、時を認識することが社会文化の発展に不可欠のものとお考えになり、ご治世の10年、その都・近江大津宮に漏刻(水時計)を創設して時報を開始されました。
『日本書紀』に「鐘・鼓をもちて時を知らす」とあり、この日を記念して、太陽暦に換算した6月10日が『時の記念日』と定められています。
この日、わが国時報の創始を仰ぎ、時の祖神・天智天皇に感謝の祈りを捧げるとともに、社会と文化の発展・産業繁栄・家内安全を祈願する祭典として、近江神宮ご創建以来『漏刻祭』が斎行されています。
当日は王朝装束をまとった時計業界の皆様(本年は栄光時計株式会社社長以下の皆様)と びわ湖大津観光大使の皆様が、各メーカーの時計新製品を御神前にお供えし、時計の歴史の進展を奉告します。
また、祭典では女人舞楽「原笙会」による舞楽の奉納があります。
なお、昨平成22年は、大正9年に時の記念日が定められてより、満90年でした。
新製品時計を献納する漏刻博士と采女
崇福寺鎮魂供養祭(5月17日)
天智天皇7年、近江大津宮の乾の守護寺として、勅願により現在の大津市滋賀里の山中に『崇福寺』が創建され、平安末期まで存続しました。奈良平安時代を通じて十大寺の一つとして崇敬厚く、志賀越え山中の名所として重きをなしていました。
志賀の山寺としてその名も高かりし往昔を偲び、本年も崇福寺鎮魂供養祭を斎行いたします。
昭和14年に崇福寺跡の発掘調査に際して舎利容器が発見されてより40周年にあたった平成元年に、近江神宮神職・園城寺執事合同の鎮魂供養祭を開始してより本年は第23回となります。
崇福寺の根源 金仙の滝と伝説の霊窟
崇福寺跡出土の舎利容器(国宝 近江神宮所蔵 京都国立博物館寄託)
〈1月〉
1日 歳旦祭(午前0時)
1日 日の出遥拝式(午前7時2分)
2日 日供始祭(午前8時半)
3日 元始祭(午前8時半)
7日 昭和天皇祭遙拝式(午前9時半)
8日 かるた名人位・クイン位決定戦(午前10時)
9日 かるた祭・高松宮記念杯近江神宮全国かるた大会
10日
天智天皇祭(午前8時半)
11日 成人祭(午前9時)
15日 古神札焼納祭(午前10時)
〈2月〉
3日
節分祭(午前10時)
11日 紀元節祭(午前10時)
23日 律令祭(午前9時半)
〈3月〉
1日 勧学祭(午前9時)
17日 祈年祭(午前11時)
21日 皇霊殿遥拝式(午前9時半)
〈4月〉
19日 宵宮祭(午後4時半)
20日 近江神宮例祭(午前10時)
24日 近江まつり神輿渡御(午後2時)
〈5月〉
17日 崇福寺鎮魂供養祭
〈6月〉
9日 献茶祭(午前10時)
10日 天大日月地大神祭(午前10時)
10日 漏刻祭(午前11時)
12日 雷神祭(午後4時半)
26日 献菓献煎茶祭(午前11時)
30日 饗宴祭(午前11時)
30日 夏越大祓式(午後4時)
〈7月〉
7日 燃水祭(午前11時)
20日 献灯祭(午前9時半)
23日〜24日 全国高等学校かるた選手権大会
〈8月〉
21日 献書祭(午後1時)
24日 弘文天皇祭(午前11時)
〈9月〉
12日 観月祭
19日 敬老祭
23日 秋季皇霊殿遥拝式(午前9時半)
〈10月〉
17日 神嘗奉祝祭(午前9時半)
〈11月〉
1日 菊花祭(正午)
湖国菊花展
3日 明治神宮遥拝式(午前9時)
3日 流鏑馬神事(12時半)
7日 御鎮座記念祭(午前11時)
11月中 七五三詣
〈12月〉
1日 初穂講大祭(午前10時)
(近江神宮新嘗祭)
13日 正月事始め・門松立て
20日 煤祓祭(午前9時半)
23日 天長節祭(午前10時)
25日 大正天皇遥拝式(午前9時半)
31日 年越大祓式(午後3時)
31日 除夜祭(午後3時半)
毎月1・10・20日 月次祭
(1日 午前9時 10日・20日 午前9時半)
毎月1日 交通安全祈願祭
毎月27日 鎮火祭
毎月28日 水難者慰霊祭
弘文天皇祭(8月24日)
弘文天皇は、天智天皇の皇子。御名を大友(おおとも)皇子、またの御名を伊賀(いが)皇子と申し上げます。わが国最初の漢詩集である『懐風藻』120篇中の筆頭に御作2首が収められ、日本漢詩の祖と讃えられます。
天智天皇は、その10年10月、御不例の御時、皇太弟・大海人皇子を召され後事を託されましたが、大海人皇子は病気を理由にこれを辞し、出家して吉野に入られたので、天智天皇は大友皇子を皇太子とされました。まもなく天智天皇は大津宮にて崩御され、大友皇子は御即位になったと考えられていますが、翌年、壬申の乱の悲劇が起り、戦い利あらず、7月23日、聖寿25歳をもって崩御あそばされました。
御陵は長等山前(ながらのやまさき)陵(大津市御陵町)と申し上げます。
弘文天皇崩御の地については日本書紀の記述にもはっきり書かれておらず、大津市内のほか大阪府の山崎にも比定されています。また東国に落ちのびて子孫を残されたなどの伝説もあり、各地に伝承地や関係神社があります。
『日本書紀』には弘文天皇を御歴代の中に数えていませんでしたが、水戸徳川家編纂の『大日本史』は即位説を取り「天皇大友」として本紀に載せ、明治3年、諡を奉って弘文天皇と申し上げ、第39代天皇として正式に御歴代として登載申し上げることになりました。
弘文天皇崩御の年の7月23日は太陽暦で8月24日にあたります。この日、近江神宮において弘文天皇祭を斎行、弘文天皇をお祀りする鳥居川御霊神社より御神札が捧持され、御ゆかりの園城寺執事の御奉仕により追悼表白が奏されます。
弘文天皇御製 『侍 宴』
皇明光日月 帝徳載天地
三才竝泰昌 萬国表臣義
えんにじす
こうめい じつげつひかり ていとく てんちをのす
さんさいならびにたいしょう ばんこくしんぎをあらはす
弘文天皇御陵 大津市御陵町
近江神宮境内にある弘文天皇御製漢詩碑『吟友の碑』(上記の詩)
近江神宮の御祭神・天智天皇は、琵琶湖の水の活用に工夫を傾けられ、その土地配分の制度は農本立国の基礎をもたらしました。農は立国の大本といい、食生活なくして人間生活は成り立ちません。農業が産業の片隅に追いやられて久しいですが、米作りを中心とする農業は社会の存立の基盤です。
初穂講大祭は近江神宮の新嘗祭である。昭和25年、滋賀県農業協同組合中央会を中心に近江神宮初穂講が結成され、県内各農協を通じて農家に一家に1升の初穂米の奉納を呼びかけ、今日に至っています。全県下より、その年の収穫米を初穂として大前に奉献、感謝の誠を捧げ、あわせて明くる年の豊饒を祈願します。
祭典では滋賀県農協中央会会長が献幣使として祭文を奏上、感謝の誠を捧げ、県内各地域より農協役員が献米使として采女とともに奉仕して初穂米を奉献、また献餅使による餅の奉納・愛荘町特産の自然薯の奉納も行われます。
初穂講大祭(12月1日)
黒川燃水祭
例祭(4月20日)
近江神宮のご祭神・天智天皇は、その6年(西暦667年)3月19日、近江大津宮に都を遷されました。この日を太陽暦に直すと4月20日に当ります。近江神宮は勅祭社16社の一として、この日、宮中から天皇陛下の御名代の勅使をお迎えして例祭が行われます。例祭では宮中から御幣物がお供えされます。4月20日の直後の日曜日、地元学区の各町内より20基近くの子供神輿が参集し、神賑行事・近江まつりが賑々しく行われます。