八軒家船着場の跡
八軒家は、江戸時代に京都と大阪を結んで淀川を行き来した三十石船の、大阪側の船着場の一つして栄えた所です。名前の由来は、ここに八軒の船宿や飛脚屋があったことからそう呼ばれるようになったと言われています。船着場としての歴史は大変古く、五世紀の初め頃、仁徳朝の時代に大川が開削された時に遡ると伝えられます。
平安時代には、渡辺の津と呼ばれ、京都から熊野詣に行く時の中継地として栄えました。
江戸時代に書かれた東海道中膝栗毛で、弥次さん、北さんが大阪の第一歩を記したのも、この八軒家とされています。


八軒家船着場の跡の位置
江戸時代には、今の土佐堀通のあたりは川で、通りの南側に当時の川岸だった石垣が残っています。石垣は二段に別れ、下半分が江戸時代のもの、上半分が明治期に築かれたものと思われます。
八軒家と維新史との関わり合いは、大阪から京都への玄関口であったことから、尊攘派志士の取り締まりのためにしばしば人相改めが行われています。また、鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が松平容保と松平定敬を伴って大阪城を脱出した際、ここから船に乗って軍艦の待つ天保山へと向かっています。
幕末期、新選組が定宿にしていた京屋は、この階段を上ったあたりにあったと言われています。新選組が最初に京屋を利用したのは、1863年(文久3年)に将軍家茂の警護を行った時でした。その後新選組の隊士がしばしば訪れていますが、最後に利用したのは鳥羽伏見の戦いの後で、一旦は大阪城二の丸に引き上げたのですがそこが火災に遭ったため、改めて京屋に移っています。京屋は、新選組の黎明期からその最後までを見つめてきた宿屋でもありました。
京屋跡
鴻池家は、戦国時代の武将山中鹿之介の子孫と伝えられ、戦国期末に伊丹の鴻池村で酒造業を始めています。江戸時代初めに清酒を造る技法を確立し、その後の繁栄の基礎を作りました。鴻池家では大阪に支店を出し、一族のうち正成を店主に充てたのですが、これが後の鴻池善右衛門となり、豪商へと成長していくこととなります。特に3代目善右衛門は鴻池新田を開拓し、大名貨を中心とする両替業に専門化してついには十人両替となり、大坂随一の両替商として発展することになります。1863年(文久3年)には、結成から間もない新選組(壬生浪士組)が200両を鴻池家から借り入れています。さらに。1864年(元治元年)には、鴻池家を中心とする大阪の豪商達が、新選組と会津藩に対して7万1千両にも上る出資を行っています。
旧鴻池家本宅跡










平野屋跡
大阪城
船着き場石垣の位置
京屋跡の位置
旧鴻池家本宅跡の位置
平野屋五兵衛家は、十人両替の一つに数えられる豪商で、1636年(寛永13年)の開業と伝えられています。当時、道を挟んで同じく十人両替の天王寺屋五兵衛家があり、このあたりは「天五に平五、十兵衛横町」と呼ばれていました。1863年(文久3年)4月2日には、新選組が芹沢鴨、近藤勇、新見錦の連名で100両を借りており、この時の金で有名な揃いの隊服をあつらえた様です。
1864年(元治元年)に、鴻池家を中心とする大阪の豪商達が、新選組と会津藩に対して7万1千両にも上る出資を行った際には、そのうちの三千二百両あまりを負担しています。さらに、1868年(慶応4年)1月6日には、鳥羽伏見の戦いの後八軒屋に待機していた隊士に対して、近藤の命に従って炊き出しを行っています。
大阪城は、1583年(天正11年)に、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築いた城です。秀吉の死後、1615年(元和元年)の大阪夏の陣で落城し、以後は徳川氏の城となります。徳川氏は、1619年(元和5年)から城の改修に着手し、豊臣時代の城をすっかり埋め尽くした上に、新たな城を築きました。江戸時代を通じて大阪城代が置かれ、朝廷や西国大名を監視する機能を持っていました。
幕末期においては、緊迫する京、大阪における軍事拠点として重みを増し、また長州征伐における前線基地としての役割を果たしました。第14代将軍徳川家茂は、1866年(慶応2年)に第二次長州征伐の最中にこの城で没しています。また、最後の将軍となった徳川慶喜は、1868年(慶応4年)1月の鳥羽伏見の戦いの時にこの城にあり、官軍に錦旗が翻った事を知るや、1月6日に徹底抗戦を主張する将兵を残して城を脱出し、江戸へと帰っています。主将を失った幕府軍は、大阪城を捨てて次々と江戸へ向かったため、この城は戦わずして官軍の手に落ちました。
八軒家船着場の跡
八軒家船着場石垣
平野屋跡の位置
大阪城の位置
八軒家船着場石垣
京屋跡
旧鴻池家本宅跡
平野屋跡
大阪城
ホ ー ム
散 歩 道
壬生界隈
其の二
其の三
其の四
其の五
島原から七条
其の二
其の三
其の四
洛中の道
其の二
其の三
其の四




京都御所周辺
其の三
其の二
其の四
東山界隈
其の二
其の三
伏見界隈
其の二
其の三
其の四
淀から橋本
其の二
其の三
大阪の道