・高台寺道
八坂神社から再び円山公園へ戻り、池の手前を右に曲がって高台寺への道をたどる。小さな坂の中程、円山公園が途切れる場所にある洋風の建物が長楽館である。
長楽館
長楽館は、「たばこ王」と称された明治時代の実業家村井吉兵衛の別荘として建てられたものである。アメリカ人技師T.M.ガーディナーの設計・監督、清水満之助の施工により1909年(明治42年)6月に竣工した。現在はレディースホテルやレストラン、結婚式場として使用されている。
散歩の途中で立ち寄って明治の雰囲気を味わうのも良いかも知れない。ただし、コーヒー1杯で600円という事は知っておいた方が良いだろう。
長楽館から南へ向かう道は高台寺道というが、最近電線を地中化した石畳の道として整備され「ねねの道」とも呼ばれるようになった。ここで見落とし勝ちな史跡が大雅堂跡である。道の東側、円山音楽堂の土手にある石碑がそうで、気づいていない人が多いように思う。
大雅堂旧祉
江戸中期の文人画家池大雅ゆかりの史跡。池大雅は京都の人で、下河原鳥居前に住んでいた。この大雅堂は、大雅の没後その弟子達が、かつての住居の近くに営んだもので、今で言うなら記念館のようなものか。このあたりは近くにある双林寺の境内だったようである。1903年(明治36年)に取り壊され、この石碑だけが残っている。
大雅堂跡を過ぎると道はT字路となり左右に分かれる。左に行くと真葛ケ原と呼ばれる一角に双林寺があり、右に曲がると高台寺へと続いている。その角に2つの史跡「西行庵」と「芭蕉堂」が並んでいる。それぞれ、平安時代末期の歌人西行法師と江戸時代の俳聖と呼ばれる松尾芭蕉ゆかりの史跡である。
西行法師は元北面の武士だった人で、23才のとき突然出家をして修行の道に入り、その後諸国を遍歴した。歌人として知られ、生涯詠んだ歌は2000首に及ぶと言われる。山家集が有名。
西行庵は近くにある双林寺の飛地境内にあたる。西行は晩年この双林寺で修行に明け暮れていたという。

願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃

有名なこの歌は双林寺での修行時代にこのあたりの桜の下で詠まれたらしい。現在の西行庵は必ずしも西行が修行した場所という訳ではなく、天正時代に再建されたものが基になっている。その後荒廃が進み現在の建物は明治になってから復興されたものである。拝観だけなら自由。
西行庵
芭蕉堂
芭蕉堂は、加賀の俳人高桑闌更が松尾芭蕉を偲ぶために建てた事に始まる。この地に営まれたのは、芭蕉が西行を慕っていた事を踏まえ、特に西行庵の隣を選んだためである。
堂内に高弟森川許六が彫ったといわれる芭蕉の像を祭り、毎年11月12日の芭蕉忌には、俳諧式の法要のあと句会が開かれている。
芭蕉堂から道を右に取ると目の前に大きな塔が目に飛び込んでくる。八坂の塔と呼ばれる事もあるが正確には祇園閣である。この地は、かつて財閥の別荘であったが、変遷を経て今は大雲院の境内になっている。
祇園閣は、1927年(昭和2年)大蔵財閥の創始者大倉喜八郎によって建てられた。最初の計画では金閣、銀閣に次ぐ銅閣を建てようとしていたらしいが、途中で計画を変更して祇園祭の鉾をモデルとし、祇園閣と名付けられた。残念ながら建てた本人は竣工と前後するように亡くなり、完成した姿を目にする事はなかったようだ。非公開。
祇園閣
祇園閣の前を左に曲がると高台寺も近い。月真院の前あたりから法観寺の五重塔「八坂の塔」が見えてくる。
高台寺界隈
土塀、石畳、古塔など京都らしさを凝縮したような一帯。この散歩道の中でも白眉と言って良いかも知れない。
写真の白壁は土産物店やお食事所が集まった京・洛市「ねね」。14の店舗からなり、一度覗いてみるのも面白い。
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祇園閣の位置
芭蕉堂の位置
西行庵の位置


大雅堂の位置

長楽館の位置


高台寺界隈





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