・知恩院御影堂
御影堂は、開祖法然上人の御影をまつることからその名がある知恩院の中心堂宇である。1639年(寛永16年)徳川三代将軍家光公によって建立され、現在では国宝に指定されている。単層入母屋本瓦葺き、奥行35メートル、間口45メートルという巨大な建物であることから、大殿とも呼ばれている。この堂の右の軒下に知恩院の七不思議の一つ「忘れ傘」があるが、視力が良くないとちょっと見えにくい。この傘は、この堂の建設に関わった左甚五郎が、あまりに完璧すぎる建物はかえって縁起が良くないと考え、一点隙を作って魔除けとするために置いていったものとされる。また、これとは別に、知恩院の守り神である濡髪明神が置いていったものとする説もある。
知恩院の七不思議とは、これまで紹介した瓜生石と白木の棺、忘れ傘の他に鶯張りの廊下、抜け雀、大杓子、三方正面真向の猫を言う。これらは大方丈に行けば見る事が出来る。ただし、大方丈へ入るのには拝観料が必要。
拝観・入場料金
      
大人  400円 
大学生 400円 
高校生 400円 
中学生 200円 
小人  200円
濡髪大明神から御影堂へ戻る。今度は、池の前を通って、石段の坂道を左手に上がると大鐘楼に出る。木々に囲まれ、鬱蒼とした雰囲気がある。ここから背後の山道を登れば将軍塚へと通じ、右手へ曲がれば円山公園へと続いている。
中に釣られているのは、高さ3.3m、口径2.8m、重さが70tもあるという大鐘。1636年(寛永13年)に鋳造された。また、鐘楼は、1678年(延宝6年)に造営された。入母屋造本瓦葺、方四間、吹放屋形式で天竺様式である。大鐘とともに重要文化財に指定されている。大晦日に17人の僧侶が撞く様は豪快の一言。
知恩院大鐘楼
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御影堂の位置


大鐘楼の位置



御影堂の東に階段があり、ここを登ると勢至堂に至る。この堂の横に細い道があり、そこを抜けると墓地になっている。その中に一際立派な墓石があり、よく見ると三つ葉葵が刻まれている。これが千姫の墓である。
・千姫の墓
千姫の墓
千姫は、徳川二代将軍秀忠の娘で、家康の孫にあたる。豊臣秀吉の遺言により、徳川と豊臣の架け橋となるべく豊臣秀頼の妻となる。しかし、その後豊臣と徳川は相争う仲となり、大阪夏の陣で秀頼は自害し豊臣氏は滅び去る。その際、千姫は戦火の中を助け出され、後に本多忠刻の妻となり姫路へ移った。しかし、忠刻とも死に別れ、江戸城竹橋御殿で余生を送った。1666年(寛文六年)2月6日に死去。享年70歳。
千姫の墓は、この知恩院の他に東京の伝通院と水海道市の弘教寺にもある。
濡髪大明神
濡髪大明神の祭神は、知恩院の守り神とされる白狐である。この白狐は、元は御影堂の地に棲んでいたのだが、御影堂の建設により栖を失なった。このため、仇をなしてやろうと御影堂の落慶法要の日に童子に化けて御影堂に近づくが、時の上人の説法を聞いて改心し、以後知恩院の守り神となる事を誓った。このとき、雨が降っており、童子の髪が濡れていたことから濡髪大明神の名で呼ばれる。また、上人が童子に貸した傘が、翌日御影堂の軒下に返されており、これが今に残る忘れ傘であるとされる。
濡髪大明神は、恋愛成就の神様とされる。これは、祇園の舞妓、芸妓を中心に広まったもので、濡れるという言葉が、男女の仲の津やっぽさを連想させることから来ているらしい。
千姫の墓の背後に墓地には場違いな感じのする石の鳥居があり、その奥に一宇の祠がある。この祠に、知恩院の守り神とされる濡髪大明神が祀られている。
・濡髪大明神


千姫の墓の位置
濡髪大明神の位置
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