長州藩京都藩邸跡・桂小五郎像の位置
洛中の道
長州京都藩邸跡・桂小五郎像
長州藩京都藩邸に立つ桂小五郎の像です。この他、長州藩邸跡を示す石碑は、京都ホテルオークラの南側に有ります。
料理旅館「幾松」は、桂小五郎とその恋人幾松が共に住んでいた住居跡です。桂は、当初長州藩邸に住んでいたのですが、次第に藩邸に住む人数が増え手狭になったため、近くに家を借り、藩に寄宿届を出して住むようになりました。このとき、兼ねて恋仲の幾松を落籍せて一緒に暮らすようになります。ここは、藩邸からは高瀬川と木屋町通を挟んですぐ向かい側にあり、長州藩控屋敷という位置づけでもあったようです。
現在、「幾松」には、新選組に踏み込まれたときに桂をかくまったという長持ちや、釣り天井、抜け穴などが残っています。
幾松(桂小五郎寓居跡)
佐久間象山先生遭難之碑
1864年(元治元年)7月11日、佐久間象山は、この地で川上彦斎らに襲われ、命を落とします。この碑は、襲われた場所から高瀬川を挟んだ所に建てられています。
大村益次郎御遭難之碑
1869年(明治2年)9月4日、大村益次郎は、三条木屋町の旅宿で暴徒に襲われ重傷を負います。一命はとりとめ、大坂鈴木町の病院に入院しますが、療養中に敗血症のため亡くなりました。
この殉難の碑は、佐久間象山の殉難之碑と並んで建てられています。
幾松の位置
佐久間象山先生遭難之碑の位置
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其の四