島原から七条 其二
島原大銀杏
樹高20m、幹回り3.5m、樹齢推定300年以上という見事な大木です。この場所は、かつて島原住吉神社の境内の北端だったところで、神社は明治の初めに廃社になったのですが、この木はご神木として残されたのだそうです。その後1930年(昭和5年)に、この木の根本に弁財天が祀られ、さらに神木としての尊崇を集めることとなり、現在に至っています。
維新の頃でも、既に樹齢150年以上に達していた訳ですから、相当な巨木だったはずです。尊王派の志士も新選組の隊士も、島原に来る度に、きっとこの木を見上げた事でしょう。
島原大銀杏の位置
島原西門跡
島原には、当初大門だけがあったのですが、1732年(享保17年)に西側中央部に最初の門が設けられました。さらに、1842年(天保13年)に現在地に移され、形式も当初の簡易なものから高麗門型の本格的な門に替えられています。その後もかつての島原の名残を伝える遺構として長く存在したのですが、1977年(昭和52年)と1998年(平成10年)の2度に渡る輪禍により倒壊し、現在では石碑を残すのみとなっています。
島原西門の位置
島原案内標
島原にある大理石の案内標です。これは西門跡にある分ですが、この他にも何カ所かあって、初めて訪れる者に便宜を与えてくれています。
島原歌舞練場跡
島原歌舞練場は、1873年(明治6年)島原女紅場として上之町に開設された事に始まります。しかし、1881年(明治14年)頃には一度衰微を極め、毎年行われていた青柳踊なども中止の憂き目に遭います。その後、景気の回復に伴い太夫道中の拠点になるなど役割を取り戻し、1927年(昭和2年)には現在地に移転、本格的な劇場へと生まれ変わり、毎年温習会が開催されるようになります。戦後は、島原お茶屋業組合の事務所としても使用されてきましたが、1996年(平成8年)同組合の解散とともにその使命を終え、解体される事となりました。


島原歌舞練場の位置
輪違屋
角屋
島原大銀杏
島原西門跡
島原歌舞練場跡
不動堂村屯所跡
油小路の決闘跡
天満屋事件跡
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