洛東の道では平安神宮から八坂庚申堂までを歩いたが、ここでは散歩道の道筋から外れたために取り上げられなかったポイントを幾つか番外編として紹介したい。
・洛東の道番外編
清水寺門前から清水道をずっと下って東大路通を渡ると、道の名前が松原通に変わる。このあたりは清水寺の周辺とは違って普通の民家や商店が建ち並ぶ下町だが、それでもどこか京都らしさというものは感じられる。その松原通を少し下った左側に目立たない一軒の商店がある。ガラス戸の左の壁に白い看板があり、そこに書かれた「幽霊」という文字にぎょっとさせられる。
・幽霊子育飴
幽霊飴の由来
慶長年間、身ごもったまま亡くなった婦人が近くの鳥辺野墓地に埋葬された。ところが、お腹の中の子供は生きており、墓の中で無事に産まれた。死んだ母親は幽霊となって、毎夜この店で飴を買い求め、墓の中の子供に与えて育てていた。不審に思った店主が後を付けて墓の中の赤ん坊の鳴き声に気づき、これを助け出した。その後、幽霊は現れなくなり、その子は後に高僧となったという伝説に基づく。
幽霊子育飴本舗(木村茶補)
このお店は、製造元の湊屋から販売を委託された木村茶補。以前はこの近くで湊屋が製造直販をしていた。幽霊飴 一袋500円


幽霊子育飴本舗の位置
・茶わん坂
茶わん坂と呼ばれるようになったのは何時の頃からだろう。かつては陶工の家はあってもそれは普通の民家であり、清水寺門前の賑わいとは一線を画した界隈であった。それがいつしか観光客相手の陶芸店が建ち並ぶようになり、今ではすっかり観光名所となっている。
茶わん坂
茶わん坂の位置
清水新道というのは、清水寺門前の清水道の後に出来た道という程度の意味か。それにしても茶わん坂とは上手く名付けたものである。
茶わん坂ホームページ
・ゆば泉
茶わん坂とY字型に交わる道が五条坂である。こちらは、清水新道に対して清水旧道という別名を持つ。五条坂と言えば普通は川端通から西大谷にかけての五条通を指すからこの方が判りやすいようにも思うが、あまりにも知る人が少ないか。
この五条坂を茶わん坂との分岐点から少し上ったところに「ゆば泉」がある。
ゆば泉は比較的最近出来た店のようで、老舗というわけではないらしい。この店で湯葉を製造直販しており、二階では出来立ての湯葉を使った料理が食べられる。一階のカウンター越しに湯葉を作っている所が見られて興味深い。
ゆば泉
くみ上げ湯葉 1200円 造り湯葉 1200円
引き上げ湯葉 1000円 
ゆば泉ホームページ


ゆば泉の位置
この店で食べられるお膳はこの「ゆば膳」のみ。ゆばつくしと言うべき膳でゆばご飯が絶品。湯葉の佃煮や揚げ出しなどもある。さらに驚かされたのはデザートで、湯葉の安倍川餅風という甘いお菓子が出て来た。
ゆば膳 1800円

引き上げ湯葉500円引き券が付くので実質1300円はお勧めである。
なお、宝ヶ池にあるゆば泉ではランチやディナーが楽しめる。
・六道の辻
幽霊子育飴本舗からさらに西へ下っていくと、右手に赤い門が見えてくる。門前には自然石の石碑があり、六道の辻と大書されている。このあたりは大変な所で、あの世への入り口があるとされる場所である。
六道珍皇寺と六道の辻
六道珍皇寺は山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。開基は弘法大師の師にあたる慶俊僧都で、延暦年間の開創。通称は「六道さん」。本尊は薬師如来(重要文化財)で、閻魔堂には、弘法大師、小野篁、閻魔大王の三像が安置されている。境内に生きながら閻魔庁の役人を勤めたという小野篁が、地獄へかようために通ったとされる井戸がある。
「六道」とは、一切の衆生が、生前における善惡の業因によって必ずおもむかなければならない地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の冥界をいう。このあたりはかつての鳥辺野墓地の入り口に当たり、葬送の儀式が行われた場所であった事からあの世への入り口とされた。六道の辻はここから少し西にある交差点がそれである。


六道珍皇寺の位置
・六波羅密寺
六道の辻を左へ曲がって少し歩くと右手に六原小学校があり、その向こうに大きな瓦屋根が見えてくる。小学校を通り過ぎ黒い鉄柵に沿って進むと、中程に立派な石柱で出来た門がある。ここが平家の栄華を偲ぶ六波羅密寺である。
六波羅蜜寺は、真言宗智山派に属し951年(天暦五年)空也上人によって開創された。空也上人は踊りながら念仏を唱える空也踊躍念仏で知られる。平安時代末期に平家一門がこの寺の境内に邸宅を構え、その数は5200にも及んだという。その栄華も平家没落とともに灰燼に帰した。
六波羅密寺
この寺は、藤原期、鎌倉期の彫刻の宝庫で、国宝の十一面観音立像を始め14の重要文化財を持つ。中でも空也上人像は傑作とされ、口から出た六つの阿弥陀仏は南無阿弥陀仏と唱える様を表わす。また、平清盛像は太政大臣であった頃の姿を写し、平家の栄華を偲ばせる貴重な作品だ。


六波羅蜜寺の位置
六波羅蜜寺ホームページ



下河原という地名は、東山から流れ出る菊渓川の流路に当たっていた事から来ている。今は、菊渓川は暗渠となっており、その存在を知る人も少ない。江戸時代には、隣接する清井町と共に花街を形成していた。ここの芸妓は特に高度な芸を売り物にしており、「山猫芸者」と呼ばれていた。その起源は、北政所がその身辺に名の売れた芸人を集めたことに始まるという。「山猫芸者」の語源は、山のねき(近く)に居る芸者という説と、叡山の僧が好んで呼んだことから、山招き芸者と呼ばれ、それが詰まって山猫になったという説がある。明治以後、祇園の興隆とともに衰えたが、今でも当時の風情を感じさせる町並みが残っている。
下河原通


下河原通の位置
・下河原通
八坂神社の石の大鳥居から南へ続く道を下河原通という。東山を訪れる人の多くは、東にある高台寺道(ねねの道)を歩くので、ここに来る人はあまり居ない。しかし、歩いてみると意外に京都らしい風情がある道である。
ひさご
下河原通の中程にある料理屋。口こみで親子丼が有名になり、一躍名所になった。元々、出前が中心で店そのものは小さなものだったが、最近建て替えられて店構えが大きくなっている。石塀小路の近くにあり、散歩の途中に食事に立ち寄ってみるのも良い。

親子丼   850円
にしんそば 850円


ひさごの位置
下河原阿月
下河原坂にある甘党処。店の名は、戦前は小豆を扱っていた店である所から来ているという。それだけに小豆に対するこだわりを持っているらしい。
おすすめは「三笠」。判りやすく言えばどらやきだが、あっさりとした甘さと、ふっくらとした皮の調和が絶妙で、なかなか美味しい。散歩の途中のおやつとして丁度良い。また、お持ち帰り専用だが、丹波大納言ぜんざいも評判である。

三笠 140円
丹波大納言ぜんざい 1700円


下河原阿月の位置
洛東の道本編でも清水寺からの帰り道の一つとして触れたが、どちらかというと今ではこちらの方が本通りというべき存在になっているのかも知れない。茶わん坂というのは通称で、正式な名称は清水新道という。
清水寺の奥、子安の塔へ続く道をさらに南へ行くと歌の中山と呼ばれる道になる。その先に清閑寺は静かに佇んでいる。
・清閑寺
清閑寺
清閑寺は、802年(延暦21年)紹継により天台宗の寺として創建された。一時寂れたが、一条天皇条天皇在位中(986年〜1011年)に佐伯公行により再興されたという。菅原道真が梅の木で自ら彫ったという十一面観音が本尊として伝わってる。その後清水寺と並ぶ大寺として栄えたが、応仁の乱により荒廃し、以後元に復する事はなかった。慶長年間(1596年〜1615年)に今の規模で復興された際に、真言宗智山派の寺となっている。「平家物語」に出てくる小督局ゆかりの寺で、小督局は高倉天皇の寵愛を受けた事が平清盛の怒りに触れ、ここで出家させられた。小督局23歳のときで、そのままここで亡くなったと伝えられる。高倉天皇の遺言により、小督局の眠るこの地に陵墓が築かれている。


清閑寺の位置
境内からの眺望がよく、京都の街が扇型に広がる。その扇の要の位置にある石を要石という。また、幕末期、境内にあった郭公亭という茶室で月照と西郷隆盛が、国事に関する密議を交わしたと伝えられている。

清水寺から清閑寺へ続く山道を歌の中山と呼ぶ。これは、その昔、清閑寺で修行をしていた僧が山中で美女に出会い、修行中の身である事を忘れてつい声をかけるが、その女性は、 
「見るにだに迷ふ心のはかなくて まことの道のいかで知るべき」
と歌を残して消え去ってしまったという故事に基づく。

ここは、また、NHKの月曜ドラマ「恋する京都」で、遊山寺として登場した寺でもある。
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