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2007年7月23日
旅を終えて

今回、祇園祭に参加するに当たって
何の不安もなかったか?と問われれば、あったに違いないのである。
しかし、躊躇は微塵もなかった。
それは同行する友人たちが真に信頼のおける人たちであったからに他ならない。
もし、わたしという存在を迷惑だ、と感じる人が一人でも混じっていたなら
わたしは決して行動を共にしなかっただろう。
そして単独で行ったことだろう。

そう。
単独でもわたしは行った。
 
やりたいこと、やれることをやらない、という選択は今のわたしにはない。
 
思い起こせば、わたしが初めて祇園祭に行ったのは
前回の手術が終わって8ヵ月後のことだった。
放射線の治療が終わり、退院してちょうど5ヶ月が過ぎようとしていた。
体力的なことを言えば、あの時のわたしこそ、全くの半病人であった。
それほど、前回の手術や治療がわたしに与えたダメージは大きかったのである。
無知とは恐ろしい。
わたしは単に「手術を受けた人間とはこういうものなのだろう」としか考えていなかったのだ。
誰にも迷惑をかけずに済んだことは幸いであった。
 
けれど、行って良かったのだ。
あの時から繋がった諸々が今に至っているのだから。
結果オーライ!
いつでもわたしはそういう生き方をしてきた。
つまり、やりたいこと、やれることをやらない、という選択は元々わたしにはないのだ。
あれ?
 
しかし、ストーマ持ちであることは
色々な面でプレッシャーではあった。
ストーマ装具の装着面に出来た汗疹はひどい炎症を起こしていた。
祭りを追って外出すれば、汗まみれになることは避けられない。
それは皮膚の炎症を更に悪化させることを意味していた。
迷わずステロイドローションを持参することにする。
まぁ、気休めに過ぎなかったとしても・・・。
 
装具の予備も必要な数の倍、持って行くこととした。
これは後に大変役に立った。
汗とローションのせいで2枚も面版を無駄にしてしまったからだ。
コンビニで揃えられる代物ではない。
代用できるものさえ思い当たらないから、今後も装具の調えだけは万全にしたい。
 
パウチの中を処分するので困ったことは一度もなかった。
帰りの新幹線改札内で初めて障害者用のトイレを使ってみたが
設置してあるストーマ用の設備はわたしの装具に使えるとは思えず
これなら普通の洋式トイレで充分だ、という認識に至った。
ただ、装具の交換を考えると、誰かと同じバスルームを使うのははばかれると痛感した。
例えば、温泉に行くにしても個室のバスルームは必要だ。
 
その他、人ごみの中にあっても
ストーマに危険を感じることはなかった。
今回の旅を通して、様々な教訓と自信を得たことは成果だと想う。
そして何より、思う存分楽しめたこと。
これに尽きる。
同行してくれた友人に心から感謝したい。
ありがとう!
 
どうせ汗疹は、その後続いた猛暑のせいで
手のつけられない状態になっていったのであった。
かいい・・・
 
 

Posted by mamedi5047604 at 18:27


2007年7月22日
祇園祭神幸祭5

神幸祭は八坂神社から3基の神輿が町に降り
四条川原町に1週間安置される。
その間に、無言で3基の神輿をお参りすると願い事が叶う、のだという。
まだ、試したことはないのだけど・・・。
なんせ不信心ものなんでね。
 
1週間の後、神輿は再び祇園の町を通って八坂神社に帰る。
これが還幸祭だ。
往路よりも長いコースを回って戻るのだそうだ。
友人たちは、まだこの還幸祭に参加したことはない。
来年から、神幸祭も還幸祭も平日になる。
ナオトや学くんに先を越された形の斉くんは
「俺は来年、両方担ぐから!」と鼻息が荒い。
来年は還幸祭も見ることが出来そうだ。
 
日本は広い。
まだまだ知らない土地、知らない風習、知らない祭りが
山のようにある。
全国の何処かに、もしかしたら、祇園祭りのように
わくわくどきどきさせてくれる祭りがあるかも知れない。
別の感動を味あわせてくれる祭りがあるかも知れない。
祭りだけじゃない。
その土地土地で出会う人との繋がりが旅の醍醐味だ。
 
いやぁ〜〜〜、本当っにっ!旅って素晴らしい!!
 
間に合って良かった。
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 15:08


2007年7月21日
祇園祭神幸祭4

祇園の神輿を迎えるのは、綺麗どころばかりではない。
お年寄りの中には神輿を拝む人も少なくないのだ。
 
仏になったって拝んでもらえるかどうか、分からないのにねぇ・・・。
 
この3基の神輿には重大な任務がある。
それは山鉾巡行と同じく、疫病退散である。
そして、もう一つ・・・子孫繁栄だ。
 
このご時世、女神輿と呼ばれ女性も参加できる神輿祭りも増えてきた。
が、祇園の神輿は恐らく今後もずっと、女人禁制・・・男だけの神輿なのだろう、と思う。
では、そこに女性蔑視があるのか?と言えば
こと祇園に限ってそんなことはない。
ご神体の一つは女神なのだ。
 
「祇園の神輿は男が女に捧げるもの」と表現した人がいる。
 
「掛け声がそうどっしゃろ?
あれ、何と言ってるか知ってはりますか?
『ほいっと、ほいっと』って言うてますねん。
『ほいと』言いますのんはな、ちょっと言い難いですけど
女性の性器のことですねん。
そんな掛け声の神輿、他にありますか?
ありまへんで。
『ほいっと、ほいっとシャンシャンシャンシャン
母ちゃんのほいとにこの音響け!』そう言うて鈴を鳴らしよるんですわ。
そやさかい、ええ音させへんなんだらあかんのですわ。」
 
どんな祭りを見ても
そんなに感動したことはない。
どちらかと言えば、見物の人ごみが嫌で
2度と見たいとは思わないのが常だ。
それが、祇園の神輿だけは毎年見たいと思う。
何かそういう縁があるのだろうねぇ。








Posted by mamedi5047604 at 14:31


2007年7月20日
祇園祭神幸祭3

神輿前後の担ぎ手は跳ねなくてはならないため
経験のないものや、力量に自信のないものはまず入っていけない。
もし、我こそは!と入ったとしても、足捌きが下手だと即追い出されてしまう。
その前に怒鳴り倒されるだろう。
しかし、では排他的なのか?と言えば決してそんなことはない。
新参者であろうが、意欲さえあれば何度でも挑戦出来るのだ。
神輿から離れた途端、みんな懇意に指導してくれるし、アドバイスもくれる。
同じ法被を着たものは「仲間」であり、「同士」なのだ。
 
分相応ということで友人たちは自分の身の丈にあった部署を選んで並ぶ。
これが一番、無難なのである。
いくら前後がかっこよくて目だっているとしても
そこに入るということはそれなりの覚悟が必要だからだ。
恐らく、翌日担いだ方の肩が上がらないだろう。
膝が抜けてしまうこともあるという。
数年担ぎ続けた男衆の肩には、ソフトボール大の瘤が出来ている。
これは神輿だこ、などという生易しいものではない。
 
一応、友人たちはサラリーマンなのだよね。
 
 
 











神輿を担ぐには、まず自分と同じくらいの身長の人の後ろに並ぶ。
その時に、前の人の肩に手をおく。
そのあまりの重さに、神輿を担いでいられる時間はごく短い。
自分の前の人が神輿の下に入ったら
頃合を見計らって肩をぽんと叩くと入れ替わりの合図だ。
このタイミングが極めて重要である。
早すぎては興を削ぐ。
遅いと担ぎ手を苦しめることになる。
 
担ぐものたちの気持ちにばらつきが生じると
神輿はバランスを崩してしまう。
2トンもの物体がバランスを崩すと、その建て直しは容易ではない。
 
近年、道路事情によって
全ての工程を担いで行くことが出来なくなってしまった。
途中、台車に乗せて歩かなければならなくなったそうだ。
それでも3時間余り、神輿は祇園の町を行く。
 
「舞妓さんたちに、手をふってもらって
時には、『ご苦労はんどす』なんつって
ビールを差し出してもらえるなんて
ありえないっ!」と、これも学くんの言葉だ。
かなり興奮したらしい。
そうだね、そんな経験、なかなか出来ないよね。

Posted by mamedi5047604 at 13:58


2007年7月19日
祇園祭神幸祭2

男衆の後に続いて八坂神社に向かって歩く。
大通りに出ると、町のそこかしこから法被を着た男たちが出てくる。
 
三角形が三段に分かれた印は、中御座の「三若」神輿会、
若という文字に4本の太い横線が入っているのは「四若」東御座の男衆である。
そして、友人たちの法被に染め抜かれた「錦」の文字は西御座だ。
中には勇ましくふんどし姿の衆もいる。
 
混雑した通りだが、法被姿の衆にはみんな道を譲る。
八坂神社に近づくにつれ、男衆の顔には隠しきれない緊張感が漂う。
ここがいいんだなぁ〜〜〜っ!
支度が出来上がったところから、神輿を担ぐ儀式は始まっているのだ。
 
中御座、東御座子供神輿、東御座と順に境内を出て
八坂神社裏門にある祇園の交差点に集まる。
(こちらを表門だと思っている人が多いが、実は裏門である)
ここで全ての神輿が揃ったところで「さしあげ」を行い
式典を済ませて各町へ神輿を担いで繰り出していくのである。
 
さて、いよいよ西御座のお出ましだ。
純金の鳳凰に緑の稲穂を飾って神輿に乗せる。
これを担ぎ棒に慣わしに則り取り付け
神輿は完成形となるのだ。












 
 
神輿をよくご覧いただきたい。
金の鈴が逆さに付いているのがお分かりになるだろうか?
この鈴と担ぎ棒についているかん(担ぎ棒の前後の取り付けられている金属の取っ手)を
「シャンシャンシャンシャン」とリズムカルに鳴らすのが祇園の神輿の特徴だ。
だから、神輿の前後の担ぎ手は独特の足捌きで跳ねなくてはならない。
一人の肩にかかる重量は100キロにも及ぶ。
 
「ほいっと、ほいっと」
掛け声を出すのもやっとだった、とは
今年初めて担いだ学くんの談話だ。
「最初はたいしたことないな、と思ったんだけど
入った(担ぎ手の列に)途端、声なんか出なくなった。」
 













Posted by mamedi5047604 at 12:51


2007年7月18日
祇園祭神幸祭

さて・・・かなり長い間が空いてしまったが・・・
祇園祭の続きを。
 
祇園祭に関してのおさらいは、前回のブログに掲載したURLで確認をお願いしたい。
 
祇園祭のクライマックスが山鉾巡業だと思ったら大間違いなのだ。
山鉾巡業が終わり、観光客が三々五々流れ去った後も
八坂神社では着々と神事は進められているのである。
祇園祭が八坂神社の祭事であることを考えれば
山鉾巡業はプロローグに過ぎない。
メインはやっぱ、神輿でしょうっっ!
 
八坂神社には3基の神輿が存在する。
スサノオノミコトご一家を御神体とする神輿である。
スサノオノミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミ・・・舌噛みそ・・・
わたしの友人たちが担がさせていただけるのは
西御座、錦神輿会のヤハシラノミコガミの神輿である。
八坂神社の神輿は大きい。
一基トンは下らない。
その中でも群を抜いて大きいのが錦の神輿である。
2トンは有に超える。
この神輿を決められた人数のみで担ぐのだ。
担ぎ手が頻繁に入れ替わるのはこの為だ。
しかし、神輿の内側に入って支える「ネコ」と呼ばれる部署は
神輿が休みどころで置かれるか、車で引かれるかしないと抜けることが出来ない。
万が一、担ぎ手の呼吸が合わず、神輿が傾いたりしたら圧死する可能性さえある。
ここを、我らが先輩である悦郎さんが引き受けておられるのだ。
菊水鉾の先導を勤められた後、3時間後には重大な担ぎ手となる。
祇園祭に命かけてるよね・・・。
 
由緒正しき祇園祭の神輿を、全く部外者であるわたしの友人たちが担がさせていただけるのは
錦の神輿に以下のような由来があるからかも知れない。
http://www.kyoto-nishiki.or.jp/event/mikoshi/mikoshi.htm
 
山鉾巡業後、男衆はサウナへ向かう。
汗を流し一休み。
何故か昼食は「カツ丼」と決まっているそうだ。
 
その間、わたしたちサポーターはゆっくりと昼食を楽しみ
四条川原町をぶらついたりしながら時を過ごす。
3時過ぎ、男衆が支度をしている先斗町へ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
急遽参加することとなった学くんの支度も、世話役のおかげで何とか間に合った。
塩でお清めをしてもらい八坂神社へいざ出陣!













 

Posted by mamedi5047604 at 08:31


2007年7月17日
祇園祭山鉾巡行

数日間に渡って
祇園祭のクライマックスを綴っていきたいと思う。
 
前日の「宵山」は別の話題を引張りすぎ
題名と内容が伴っていない、とのご意見をいただいたが
友人Aに関しては、まだまだ書き足りないことが多々あり・・・
・・・本当にこの「無邪気な自分大好き女」は
エピソードに事欠かないのだが
それは、また別の機会に、ということで・・・
題名通りに話しを進めていこう。
 
因みに「宵山」の説明を簡単にしておくと
祇園祭のクライマックスとも言うべき山鉾巡行の
前夜祭といった趣を持つものである。
翌日、市内を引き回す山や鉾を一般にお披露目するのだ。
 
鉾には灯りが灯され、お囃子も入る。
入場料が必要だが、中に上がることも出来るのだ。
鉾を彩るみごとなタペストリーや緞帳を間近に見ることが出来るチャンスでもある。
しかし今年は、雨のためにビニールシートに覆われていて
興が削がれてしまっていたことが残念だった。
 
山もお飾りを展示しており
拝観することが出来た。
 
祇園祭についての詳しい説明はこちらhttp://mirahouse.dyndns.org/~mira/kyoto/gion/gion_matsuri.html
 
 
さて、明けて本番の当日。
男衆の見送りにロビーに集合。
ついに今年、参加することとなった学くんは緊張の面持ちである。
わたしたちは寝ぼけ眼で見送る。
え?一緒に行かないのか?って?
まっさかぁ〜〜〜!
 
女衆は優雅にホテル併設のレストランで
朝食のバイキングを食べ
ゆっくりと時間を見計らって、ラス前の辻回しが行われる
烏丸御池の通りに繰り出すのである。
もっとも今回は、お初のAのために
少し早めに四条河原町の辻回しから観ることにした。
それが正解だったのだ。
実はこちらの方が人出が少ないことを発見したのである。
















旗手を務めるのは
「学くんを祭りに参加させる作戦」の立役者悦郎さん。
前日、わたしたちに付き合って
午前2時まで呑んでいたとは思えない凛々しいお姿。
時々、隠れて欠伸をかみ殺していたけれども・・・。
巡行の間、トイレに行くことが出来ないので
宴会の後、飲まず食わずで朝を迎えたそうだ。
22年間、この役を引き受けている。
 
山鉾巡行の見せ場は
なんと言っても辻回し。
鉾には舵やハンドルがない。
だから方向を調節するには車輪に杭をかませるのだが
大きく変える場合は、割った竹を敷き詰めて水で濡らし
その上に車輪を滑らせるのだ。
 
それがよく分かるのがこちら。
鶏鉾の裏方の仕事である。













引き手に掛け声をかける先導の役割は重要だ。
こちらは鶏鉾の先導。
揃っていて素晴らしい。
それがねぇ・・・菊水鉾はここ数年イマイチなのだよね・・・。













 
菊水鉾の引き回し。











さて、意外と知られていないが・・・
この山鉾巡行、最後にお囃子の打ち鳴らしをする。
これを聞いて締めとしないと、ご利益がないそうだ。
巡行をただ漫然と見物しただけじゃダメなのよ。
収録したので是非、お聞きいただきたい。









Posted by mamedi5047604 at 14:07


2007年7月16日
宵山

前日にタクシーの予約をとる。
こういう時に、田舎は真に不便である。
しかも、電車の時間とバスの時間が一致しないのもいかがなものか。
どちらも1時間に1本くらいしか走らせないんだから
合わせてくれたって良さそうなもんだ。
 
電車の切符、新幹線の指定席券は既に購入済み。
初めて赤い手帳を使った。
 
熱海の駅構内で学くんと待ち合わせをする。
切符の手配はいつだってわたし任せだ。
まぁ、仕事で忙しいだろうから構わないのだけれど・・・。
今回、帰りは別だ、と告げたら
「俺の帰りの切符はどうなるの?
最終日、一人で俺、何すんの?」
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ・・・。
 
こんな風に書くと、学くんが何にも出来ない人のように思われるかも知れないが
そんなことは決してない。
ああ見えて(どう見えて?)学くんは
恐らく知らない人はいないだろう自動車会社の設計技術者だ。
仕事は出来るという噂だ。
が、こう言ったのも事実だ。
 
ついでに付け加えれば
ナオトは馬鹿でどうしようもないヤツだけど
北海道から単身上京し
社会人として4年間一つの職業に就いて頑張っている
ごく普通の今時の青年だ。
職場では、24歳にして40代のおじさんたちの管理をする
責任者でもある・・・信じがたいが・・・。
某市の一部地域の水道は彼が全責任を負って管理してるんだぞ・・・怖いけど。
 
「真理さんのブログの書き方じゃ
ナオト君は、何にも出来ないどうしようもない子、って思われてもしょうがないわね。」
と、友人に注意されたので
お断りを入れておこう。
 
ただ、わたしの記述に嘘はない。
全て真実である。
 
でだ、40も過ぎた大の大人に
「最終日はどうすんのさ!
一人じゃつまんないじゃん!」とぶーぶー駄々をこねられながら
新幹線に乗り込んだのであった。
ビールを呑んで即効で寝る。
あっと言う間に京都に着くはず、だったのだ・・・。
んが・・・。
 
携帯にメールが飛び込む。
既に京都入りしているみちゃえからだ。
「新潟で大きな地震があったそうですが
新幹線は動いていますか?」
ええ、だってこれは東海道新幹線ですもの・・・。
けど、心配なので新潟に住む友達にメールを打つ。
わたしは中学3年間、新潟で過ごしたのだ。
当時の友達とは時折、メールを交換しあっているのである。
回線が混雑しているのか、返事が来ない。
新幹線の中の電光掲示板に
何か詳しいニュースが出ないか注意して見るも無し。
心配なので、状況を知りたいと
まだ、自宅にいるはずの友人にメールをする。
この友人を仮にAとしておこう。
・・・っつうか、誰かなんてバレバレじゃん・・・
すぐに返信がある。
震度6とのこと。
ひえ〜〜〜。こりゃ大変だ。
柏崎に大きな被害が出たとの情報を得る。
原子力発電所も火災を起こしているらしい。
放射能漏れはないそうだが・・・いや・・・それはないな。
火災まで起こして、放射能漏れがないわけはない。
いよいよこれは大変だ!
 
すると・・・しばらくして
「新幹線に乗りました」との連絡がAより入る。
おお、予定通りだ。
「ね、今日泊まるホテル・・・なんていう名前だっけ?」
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!
すぐに返信を打つ。
しかし、これにも返事がこない。
あれ?
 
色々、不安で寝るどころの話しではなくなった・・・。
 
他の人たちとは普通にメールのやり取りが出来るので
携帯の具合が悪くなったわけではない。
おっかしいなぁ〜〜〜〜。
 
京都について昼食を食べ
今度は呑み足りないと拗ねる学くんをなだめすかして
(実は脅した)
ホテルにチェックインする。
 
そろそろ、Aもホテルに着く頃なのだが・・・
心配で何度も携帯にメールを送ったり
電話をかけたりしたが応答がない。
しくしく・・・どうしちゃったんだろう?
と、ところが彼女はちゃっかりチェックインを済ませていたではないか!
「それがねぇ〜、携帯が急に壊れちゃったのよぉ。」だそうだ。
「パソコンからホテルの情報を携帯に転送したはずだったんだけど
転送できてなくて・・・(出ましたっ!)←Aにはありがちなこと
それで、どこのホテルだったか聞こうかと思ってメールしたじゃない?
(しらっとまぁ・・・)
で、真理さんからメールが来て
返信しようとキーを打ってたら突然電源が落ちてしまったの。
これはもう、真理さんの怨念だと思ってさぁ〜。」
(ふざけろよっ!そんなものに無駄なエネルギーを使うかっ!ちゅうんじゃっ!)
因みに・・・携帯が壊れたときの話をするとき
Aは毎回このフレーズを口にしていた。(はいはい)
 
まぁ、ともかく無事に着いてくれていて良かった。
 
「けどさ、これから行動するのに
やっぱり携帯はあった方が便利だから
ドコモショップに行って見てもらったほうがいいんじゃない?」
「うん。わたしもそう思って
さっきフロントの人にドコモショップの場所を聞いたの。」
では・・・みんなが集合するまで時間もあることだし
学くんとA,そしてわたしの3人組は
京都くんだりまで来て
ドコモショップ探索の旅に出たのであった。
 
やっと見つけたドコモショップは
ちょっと混んでいて
Aの順番が来るまで
5人は待たなくてはならなかった。
順番待ちの番号札を手に
「長いわねぇ〜。
職員の手際が悪いんじゃないの?
もう、待ってないで帰ってしまえばいいのに(自分より前の番号の人が)」
などと、恐ろしいことをぶつぶつ呟くA。
 
やっとAの番になる。
なにやらドコモショップのお姉ちゃんと会話を交わすA。
離れていたのでどんな内容の話しだったのか聞き取れなかったが
明らかにAは不満顔である。
あちゃ・・・どれ、様子を伺いに行ってみっかな。
「もし、データが消えちゃっても
了承するっていう契約書を書かなきゃならなかったの。
嫌だけどしょうがないわよね。」
まぁ、それは不満だろうけど・・・壊れちゃってるなら
開けなきゃどうしようもないだろうしね。
 
「お客様、あの・・・携帯を濡らしたり
水に落としたりしませんでしたか?」
「いいえっ!」毅然として即効で応えるA。
自信満々!
「・・・でも・・・あの・・・
ここの、この部分・・・(携帯内部の小さな赤い■を指して)
ここに水没のサインが出ているんですけど・・・」
あら?ほんとだ。
 
「え・・・」
一瞬間を置いて、ふとAが何かを思い出したようだ。
「そう言えば、昨日、雨に降られたけど・・・。」
「では・・・。」
「でも、そんなに土砂降りというわけではなかったし
そんなに濡れてはいないはずよ。」
尚も食い下がるA。
「・・・でも、ここに(■を指したまま)このようなサインが・・・」
証拠を突きつけられ、さすがのAも
これはどうしようもない、と諦めたらしい。
こんな往生際の悪い客が多いから
時間が長くかかるんじゃないのかねぇ・・・と言ったら
「いやぁ〜ね。」とAに軽く睨まれた。
 
後に聞いたところによれば
「水没」の可能性を示唆されても認めない客が余りにも多いので
こっそり中のほうに水に濡れたら色が変わる装置■を
付けたのだそうだ。byNTT
いるんだねぇ・・・。
 
ホテルに帰る道すがら
買い換えてまだ間がない携帯なので惜しいが
前の携帯にデータが残ったままなので
それだけでも良かった、と自分を慰めつつ
「新しい携帯を買いなさい、ってことかしらねぇ。」とポジティブシンキングのA。
(さすがだ・・・)
さらには「だいたいさ〜、どうしていつもは置いていくはずの携帯を
買い物なんかに持っていったか、っていうことよね。」
(いや・・・携帯は持ち歩きなさいよ)
「そうだ!子供にメールを出したのに
なかなか返事がなかったから
仕方なく携帯を持って出たんだわ!
だから雨に濡れちゃったのよ。
そうよ!携帯が壊れたのは子供のせいだわ〜〜。」
(え〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!?そっち?)
お・恐るべしっっ!
 
ホテルでは全員が揃って
宵山に繰り出そうとわたしたちを待っていてくれた。
小雨がぱらついていたが
そのせいか気温が上がらず
例年に比べると過ごし易い。
宵山の行われている四条付近は相変わらずの人出であったが
時折、吹き抜ける風が心地よかった。
 
明日、男衆が引く菊水鉾までたどり着き記念撮影。
 
恒例の世話役さんの割烹へ向かうことにする。
世話役さんの店は先斗町の中ほどにある。
予定の時間より少し早く着いてしまったのだが
さすがに満席で待たねばならなかった。
 
店に通されると
懐かしい親父さんと店の従業員である悦郎さんの顔があった。
「身体は大丈夫ですか?」
マンボが連絡したので親父さんはわたしの病気を知っている。
「はい!ご心配をおかけしました!」
 
宴会が始まる。
カウンターの奥に座ったわたしとダイバーK、ヨッパちゃんの3人は
親父さんに勧められるまま
日本酒をぐびぐび呑んでいた。
入り口の方に座ったその他の連中は
今年も神輿を担がない学くんに
集中砲火を浴びせている。
悦郎さんも「まぁ〜〜なぶぅ〜〜〜!」などと呼び捨てにして
いつになく砕けた調子で学くんの説得に回っていた。
 
そこでちょっとしたハプニングがあったらしい。
Aはつぶさに目撃していたので
後で教えてもらったのだが・・・。
とにかく、悦郎さんの策略も効いて
ついに4年越しの意固地も崩されたのだった。
学くんが山鉾巡行、神幸祭の神輿に参加することを
みんなの前で宣言したのだ!
やっとかよっ!
 
いやいやいやいや・・・良かった、良かった。
 
これ以上、身体がどうのとゴネていると
いざ参加しようと思ったときには
お願いしづらくなるんじゃないか?と
実は心配していたのだ。
そもそも、誰もが軽く参加できるものじゃないんだからさ。
 
酒量をセーブしていたので
初めてシラフ同然でホテルに戻ったワタクシ。
たまにはこういうのもいいかも・・・。
 
携帯を見ると、新潟からメールの返信が入っていた。
市内に被害はない模様だ。
不幸中の幸いだ。
テレビで観る被災地の様子は
先日の能登半島沖地震の様子に似ていた。
古い木造家屋、被災者の多くが老人・・・。
死者、行方不明者の人数が少ないのは
人口の少なさゆえである。
 
明日は諸々、神様にお願いしよう・・・
え?
神仏は信じてないんじゃないか?って?
そうだけどね・・・まぁ、気分次第ですよ、ええ。
だってそんなの自由じゃぁ〜〜ん。
 
さて、楽しみなことじゃわい。
 
 

 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 12:52


2007年7月15日
15日だけど16日・・・え〜〜っっ!

今年の祇園メンバーは昨年と同じ・・・に、なるはずであった。
すなわち・・・マンボ、ダイバーK、ヨッパ、ちんさん、ナオト、の男衆担ぎ手組と
みちゃえ、わたし、練馬の猫拾いことたぁちゃん、学くん、のサポーター組
総勢9名である
それが、まずたぁちゃんが
末娘の三者面談のため来れなくなってしまった。
 
実は今年、たぁちゃんのことがなくても
わたしは一人、友達を誘いたいと予てから考えていた。
彼女は担ぎ組のメンバーともダイビングを通して顔馴染みであった。
だが、つい声をかけそびれてしまっていた。
もし、誘って京都まで行って
「何も伝わってこない派」だったら・・・。
旅費だって馬鹿にならない金額である。
そもそも祇園祭に興味を持っているかどうかも定かではなかった。
 
以前、ノリだけで京都に来てしまったものの
全く祭りを楽しめなかった人がいた。
こちらの興まで削ぐような言動をして
非常に不愉快であった。
同じ轍は踏みたくない。
 
そこへ、たぁちゃんのキャンセルの報があって
わたしは逡巡した。
どうしよっかなぁ〜〜〜〜〜。
誘おうかなぁ〜〜〜。
しかし、気持ちというのは時々不思議なほど
伝わることがあるものだ。
その本人からメールがあったのだ。
「今年も祇園祭り行くの?
わたしも行ってみたいなぁ。」
おお!なんという奇遇!
話はとんとん拍子に進んだのであった。
 
続いて、マンボが仕事上の都合でどうしても参加できなくなってしまった。
祇園祭友の会(?)の中心人物とも言えるマンボのキャンセルは
本当に残念な気持ちでいっぱいになった。
彼は、昨年事故によって足を骨折し
神輿を担ぐことが出来なかった。
あの時、どんなに悔しがったことか。
「担ぎてぇ〜〜よぉ〜〜〜!」
打ち上げの飲み会で半べそをかいていたくらいだ。
それが今年も・・・。
かわいそ過ぎる・・・。
 
代わって担げるものなら担ぎたい。
 
しかし、女性は神輿に触れることさえ出来ないのが習わし。
純粋な神儀だから、それはしょうがない。
 
国技と公言し、かつ国から補助金が出ているのに
女性を排除してる某格闘技とは訳が違うのだ。
国から出てる金はイコール税金なんだぞ!
神儀?国家は特定の宗教とつるんじゃいけないんだぞぉ!
性差別だっ!ぶーぶー!
 
それはさておき・・・
あれ?サポーターの中に一人男性がいるのでは?
この3年間、みんなの必至の説得もはねつけ
意固地に神輿を担ごうとしない・・・
そう、その人は学くん。
 
今年も担がないんだろうなぁ。
わたしはその件に関して、とうに匙を投げてしまっていた。
学くん曰く、「身体が神輿を担ぐ身体じゃない。」
筋肉がないっていうことね。
こういう場合
「みんなそうだよぉ〜。誰も特別鍛えてなんかいないって!」
などという説得は意味を成さない。
自分の美学が許さないとなったら
学くんの頑迷さはピカイチだ。
あ・・・頑固さだっけ?←わざとらしい
 
マンボのことを考えると
ちょっぴり複雑な気にもなるけどね。
 
そのくせちっとも身体を鍛えている様子もないから
もうこれは担ぐ意思なし、と思っておいた方がいい。
 
さて、わたしにとって今回の祇園祭は
特別な意味を持っていた。
ストーマ持ちになって初めての本格的な旅なのである。
ストーマであることに、さほどの不安はないが
大きな手術を経て、まだ3ヶ月しか間がない体力を考えると
暑さと人ごみの中を長時間歩き回らねばならない祭り見物は
自分をいかにコントロール出来るか、に全てがかかっているのであった。
わたしが体調を崩すようなことになったら
みんなに迷惑がかかってしまう。
少なくとも祭りの興は削がれることだろう。
不愉快な発言どころじゃない。
暑さ防止対策の準備などなど・・・今年は荷造りも念入りだ。
 
そうは言っても・・・頭の中はハイテンション♪
 
ナオトは大阪在住の友人に逢うため
一足先に前日の夜に伊豆を発った。
台風4号の影響で、昼過ぎまで電車のダイヤは乱れていたが
夕方には平常通りに戻っていた。
季節はずれの台風は
各地に大きな被害をもたらしたが
予想をはずして伊豆半島を避けて太平洋に抜けていったのだ。
いや、わたし的には想定内なんだけどね。
天気の心配は全くしていなかった。
例え、世界的レベルの雨男ヨッパちゃんが一緒でも・・・。
 
まだまだ、ヨッパちゃんごときに負ける晴れ女じゃぁ、ないっっ!
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 11:52


2007年7月14日
14日だけど16日・・・なぬ?

いよいよ祇園祭である。
京都の人間でもないわたしが
どうしてこんなにも祇園祭に拘るのか?と言えば
それは「縁」である、としか現しようがない。
 
友達のマンボが京都に出張に行った折
知人の紹介で入った割烹の親父さんが
たまたま菊水鉾と西御座錦神輿会の世話役で
「山鉾巡業を引いてみないか?」と誘ってくれたことが
一番初めのきっかけであることは間違いない。
翌年には「神輿も」ということになり
それがダイバーK、ヨッパと繋がってきて
わたしに見物に来ないか?とお声がかかったのが
2003年初夏のことだった。
 
そう、1回目の闘病生活が一段落した、あの年だ。
 
八坂神社の神輿の掛け声は「ほいっと、ほいっと!」
女性の性器を指す言葉である。
命の源を讃える男衆の掛け声は
神輿に逆さにつけられた鈴の音とともに
腹の底に響いてくる。
 
死の淵を垣間見たわたしは
ゆらゆらと開き直って生きていたが
あの鼓動に揺さぶられるように
しっかりと生に戻ってこれたような気がした。
失った子宮の記憶が甦った。
 
どんな祭りを見ても
あれほどの感動を味わったことはなかった。
威勢の良さや、見た目の激しさなら
もっと他に興奮出来る祭りはいくらでもある。
しかし、祇園の神輿はそういった祭りとは一線を引いて
別のところにあるように思えてならない。
 
怪我をしないように、喧嘩はしないように・・・
世話役は再三に渡って担ぎ手たちに注意を促す。
「これは神儀なのだから」
それで全てのことが片付く。
よってヤクザなどが絡んでくることなど在り得ない。
 
とにかく・・・能書きじゃぁないんだな。
実際に観て感じて
それで何も伝わってこなければ
それはそれまでのこと。
伝わってくるものがあったら・・・もう忘れることは出来ないだろう。
 
今年も祇園祭には行ける気がしていた。
呼ばれているのかしらね。
 
 
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 15:48


2007年2月2日
奈良田温泉 U

次回は是非、泊りがけで来たいものだ、と
思わせてくれる宿であった。
奈良田という土地にも興味を覚えたし
秋には様々な茸や猟師料理が食べられるだろう。
 
春の高遠(伊那谷)は
どうしてもはずせないので
秋をこちらにまわそうか?
 
で、旅館を出たら雪がちらつき始めた。
やばいっ!
山の向こう側には青空が見えているのに
どんどん暗くなっていく。
雪の中、あの道を戻っていくのは怖い。
余韻に浸る間もなく奈良田の里を後にする。
 
富士川まで出たら、さっきと同じ
春のような日差しだった。
 
帰路は富士の本栖湖へ出て
富士経由をとってみることにする。
地図上の距離では
その方が若干短いような気がしたのだ・・・が・・・
これが山越えだったのだ。
エルグランドちゃん、大活躍。
馬力のある車じゃないときつい。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後のトンネルを潜り抜けると
目に飛び込んできたのがこの風景。
やったぁ〜〜〜!
本栖湖だ!富士山だ!
 
駐車場があったので停めてカメラを構える。
湖のほとりには三脚を立てて
湖面が静まるのを待っているカメラマンが大勢いた。
風が止む一瞬を待っているのだ。
逆さ富士が映るのだね。
夕暮れが近づいているので
ぐっと冷え込んできていたが
わたしも暫し、待ってみることにする。
・・・ ・・・ ・・・
さっぶぅ〜〜〜〜〜っっ!
歯がかみ合わなくなった。
根性なしっ!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ええ、ええ、そうですともさっ!
ナンとでも言っておくれ。
空腹に加えて凍えたのでは
風邪を引き込んでしまうわえ。
 
この日から、数日間
富士山の頂上から登る月を撮影する人が多かった、と
新聞に出ていた。
もっと寒くなったんだろうな。
 
本栖湖畔にある猟師の店で
やっと食事にありつける。
猪鍋定食と鹿刺し定食。
 
寒い、寒いと言いながら
鹿刺し定食を注文したのはワタクシ・・・
鹿刺しってば解凍しきれてないし・・・
しくしく。
 
途中、朝霧高原の道の駅で
ナオトに鱒寿司の土産を買い
家路を急いだのであった。
 

Posted by mamedi5047604 at 13:57


2007年2月1日
奈良田温泉

たった一日、大人しくしていただけで
二日目ともなると
じっとはしておれない。
身体の中でむずむずと
「出かけたい虫」が動き出す。
もう病気だね・・・。
 
だってさぁ、見てよ
この天気!
 
斉くんも睡眠充分・・・いや、むしろ寝飽きたと見える。
そこで誘惑の一言。
「どっか温泉にでも入りに行きたいなぁ。」
「いいよ。で、何処の?」
早速、ネットで近隣の秘湯を検索する。
 
わたしは温泉が好きだ。
斉くんもそうらしい。
「だって正しい日本人だもん!」なのである。
だが、「誰かと一緒」に入るのは
どちらも苦手なのだ。
 
斉くんには斉くんの理由があって
わたしにはわたしの理由がある。
その辺の事情はお互い分かっているので気が楽だ。
いちいち説明を求められるのも
それに真面目に応えようとする自分にも
うんざりしてしまう。
 
苦手なもんは苦手なのだ。
 
平日のこの時期に
秘湯という条件が重なれば
まず、ほとんど貸切状態になることは間違いない。
まぁ、出逢ったとしても
地元のお婆さんとかで
知り合いに逢う確率は限りなくゼロに近いのだ。
だから秘湯、ということになる。
 
因みに見知らぬ通りすがりの他人であれば
同浴してもそれほど気にならない。
それも斉くんとの共通点である。
 
わたしはゴルゴ13なんだな、基本が・・・ふふふ
 
秘湯で検索すると
何軒かヒットした。
しかし、さすがに秘湯・・・。
アクセスは悪い。
 
午前10時・・・この時間から往復して
しかもゆっくりと湯浴みを楽しめる場所。
この辺りかなぁ〜・・・
そこは静岡と山梨の県境に程近く
東名の富士インター、若しくは焼津インターから2時間前後、とある。
それでも我が家からは3時間。
自分ひとりの運転だったら
泊りがけの距離だ。
 
ところが、斉くんときたら
「運転するのは好きだから苦にならない。」タイプなんだそう。
学くんもそうなんだよねぇ。
(ナオトも、らしいが・・・枠からはずす)
わたしなんか、リスクを考えちゃうから
出来るだけ運転はしたくないものだが。
まぁ、同乗してれば同罪って話しもあるけど・・・。
 
「ここなんかどう?」
斉くんを呼ぶ。
秘湯を守る会所属の小さな温泉旅館。
地図で確認すると、かなり山奥まで入っていくように見える。
HPを持っているの開いて見せる。
なかなか感じのいいところだ。
「お!いいんじゃなぁい?」
簡単なアクセス案内を見せると
「じゃ、そこに行こう。」
 
う〜ん・・・簡単なひとだなぁ。
考えるのが面倒くさいだろうね、きっと。
 
出かけよう!ということになったが
お出かけ前の身づくろいに
時間がかかるのは我が家の場合
いつも男性陣のほう。
わたしは髪をとかすだけなんだけど
男性陣はそれだけじゃなくて
髭をあたったり、なんだり・・・色々大変だ。
あ〜〜、男じゃなくて良かった。
 
その間に、目的地の観光課に電話を入れ
現地の情報を仕入れる。
万が一、雪でも積もっていたら
目前で計画は水の泡となるからだ。
大丈夫。
「雪はありません。」とのこと。
大雑把に焼津インターからの所要時間を確認しておく。
「2時間強といったところですか。」
 
途中、道路工事に引っかかって30分もロスタイムがあったけど
東名は空いていて
あっと言う間に愛鷹SA。
富士山には雲がかかっているけれど
空は晴れているから・・・と期待。
この先、由比から見た富士山は綺麗なんだよね。
あら・・・まだ雲の中だった、残念!
 
さて、焼津IC.を降りて
国道52号線を目指す。
此処までは全く問題なし。
52号線を北上。
富士川沿いに身延山までひた走る。
案外、大型貨物のトラックが多い。
辺りは斜面に茶畑が多く
比較的、温暖な地域であることを知る。
 
国道300号線を左折。
南アルプス街道という名前が付いている。
どんどん山奥に入りこんで行くことを実感する道行きだ。
昼食をとっていないことに気づくが
もう、遅い・・・。
コンビニがある雰囲気ではないしね。
 
渓谷は美しい景観だが
川原に砂利の砕石場が多数点在し
道幅の狭さと大型ダンプの通行量に違和感がある。
途中、片側交互一方通行のトンネルをくぐる。
距離があるので
かなりの注意が必要だ。
判断を誤ると大変なことになる。
 
断崖脇の細い道が続く。
ここをダンプもバスも通るのかと思うと
運転手でなくて良かった、と心から思った。
バスは誘導者がない限りバックはしない。
残雪の残る道を
バックですれ違える所までも戻らなければならないことになったら・・・
嫌な汗をかきそうだ。
 
冷や冷やしながら数十分。
やっと奈良田の里に着いた。
目指す旅館はすぐに分かった。
多分、誰でもすぐに見つけられるだろう。
集落の家は数えるほどだから・・・。
 
旅館は小奇麗な作りで
フロントには若い青年が一人。
日帰り入浴の申し込みをすると
言葉少なではあるが丁寧に案内をしてくれる。
入湯料は1000円。
男女ともに内湯と露天風呂がある。
 
わたしは手前の露天風呂に入る。
斉くんは奥に入って行った。
簡単な間仕切りで脱衣所になっているのが
若干、不安であったが
案の定、誰も入浴している人はなく
清潔な杉板張りの湯船には
コンコンと湯が溢れている。
 
温泉は源泉かけ流し、
加水も加温もしていないところ、と決めている。
それ以外は温泉じゃない。
 
ここの温泉は温度の関係や
温泉そのものの具合で
湯の花が出て白濁したり、緑色になったり
透明に澄んだりと変化するのだそうだ。
今回は緑色がかった透明であった。
かすかに硫黄の匂いがする。
飲料としても効能があるらしい。
その昔、孝謙天皇(女帝)が遷居した地だとか。
その言い伝えが今に残る。
 
しかし・・・つい数十年前まで
屋根はカラマツ葺き(板葺き屋根)
釘がなかったので石を重しに置いていたという。
焼畑農が主流で自給の豆などを栽培し
猪や鹿の猟と炭焼き、木材加工が主な産業。
その暮らし向きは決して豊かだったとは思えない。
 
後で知ったことだが
この地は、武田信玄の隠密部落でもあったらしい。
残る文書に
奈良田村だけが
唯一、無税の村として記されているのだそうだ。
その説は信憑性がある。
他にどんな理由で此処に住み着くのか・・・
温泉に入りに来るだけなら
風情のある山奥、で済むけれど。
 
湯の温度が低めであったことと
気温がかなり低かったので
小一時間、湯船に浸りっきりで堪能した。
 
ただ・・・お腹がぐうぐう鳴って・・・
腹減ったよぉ〜〜〜!
 
 
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 12:35


2007年1月25日
秋田紀行おまけのおまけ

今、秋田の人々と触れ合う機会が増えるにつれ
彼らのきめ細やかな情のひだを
ひしひしと感じることが多い。
 
それは秋田の自然環境と決して無縁のものではない。
日本海側の冬は暗い。
誤解を怖れずに言うと、本当に暗い。
毎日、毎日、どんよりと重く垂れ込めたねずみ色の空の下
厳しい寒さに耐えなければならないのだ。
晴れ間の多い、太平洋側に住んでいるものには
分かりようもないだろう。
日照時間が影響する「冬季ウツ症」と呼ばれる精神の病気があるが
秋田に自殺者が多いのは
そのせいもあるんじゃないか、と真面目に考えてしまう。
 
自然環境の厳しさは
人を家屋に閉じ込める時間を長くする。
限られた空間の中で
複数の人間が円滑に生活していくためには
きめの細やかな気遣いがどうしても必要になるだろう。
ちょっとギクシャクしたからと言って
ぷいと出ていってしまえる環境ではないのだ。
 
そしてやはり蝦夷の平和主義のDNAは
受け継がれているのだと思う。
 
まぁ、その割りには
完全に理論武装してるんだけどさ、ワタクシってば・・・
きっと長い歴史の中で学んだんだよねぇ。
そうなの?そうなの・・・言ったもん勝ち♪

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本荘の町並みと鳥海山
 
さて、今度はいつ行けるのかなぁ〜。

Posted by mamedi5047604 at 13:09


2007年1月24日
秋田紀行おまけ

旅の醍醐味とは
それを計画するときから始まり
帰宅し、その余韻に浸るところまで延々と続く。
旅で出逢った多くの人々との交流や
事象に対する知識の掘り下げなど
楽しみは無限大なのだ。
 
今回は滞在時間が長かったせいもあって
能代の観光名所「風の松原」にも行くことが出来た。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本海から吹きつけてくる強風は凄まじい。
その風と飛沫する砂から能代の町を守る為に植林された防砂林、
それが風の松原である。
規模は日本最大で、東西幅1km、南北総延長14km。
面積は約760haで、東京ドーム163個分もの大きさだそうだ。
700万本の松林は圧巻だ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
右手に日本海、左手奥に風力発電用の風車。
その手前下に黒々と帯状に横たわっているのが
風の松原。
 
一部は市民公園になっており
わたしたちが訪れたとき
ちょうど静かに雪が降り始めた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この画像にも映っているように
能代と言えば・・・秋田杉である。
米代川上流で切り出された秋田杉は
海路で日本全国に運ばれていった。
500年ほど前から始まった林業は
一時期、能代に巨万の富と繁栄をもたらしたのである。
が、第一次世界大戦以降
日本人の思考は徐々に変化していく。
先人は「山の衰退はひとを滅ぼす」という言葉を遺した。
しかし人々は目先の利益のみを追求したのだ。
結果、秋田杉の枯渇を招いたのだった。
追い討ちをかけるように外材が輸入されるようになる。
あれほど繁栄した能代の町は
今は見る影もなくひっそりと静まり返っている。
地方の町にありがちなシャッター街が続く。
 
恐らく、能代という町の名前を知っている人がいたら
最近、ある事件によって・・・、という人の方が多いのでは?
もっとも、その事件さえ
記憶の彼方に消えようとしているのかも知れない。
 
では、もっと昔の話をしよう。
能代は日本書紀の時代まで
蝦夷と呼ばれる先住民族の住む土地であった。
蝦夷の祖先は縄文人であったという説がある。
北陸地方の豪族、安倍比羅夫が
朝廷より遣わされ蝦夷を無血で征服するのだが
彼もまた福井地方の蝦夷であったらしい。
その後、坂上田村麻呂が大和の朝廷より派遣される。
この辺は教科書にも載っている歴史だ。
大和の征服に抵抗し
北海道に新天地を求めた部族もいた。
彼らが北方の先住民族と交わり
後のアイヌになった、と言われている。
 
学説として裏づけがあるわけではないが
大昔、日本海を流れる対馬海流は
もっと高温で陸地に接近しており
北陸から秋田、青森まで
沿岸一帯は温暖だったのではないか、という仮説がある。
そこで平和主義の縄文人の子孫たちは
自然の恵みに寄り添って暮らしていたのではないだろうか。
彼らは文字文化はおろか
言語的にも僅かな語彙しか持たなかったという。
それがそれほどの平和主義を意味するか
想像してみて欲しい。
因みに、彼らが原始的で劣っている民族であった、と考えるなら
あなたは現代病に毒されているっ!
ひでぶっ!
 
実は、わたしの血の半分は秋田をルーツとしている。
苗字からして男鹿半島の出身と
祖母の証言から秋田市内出身であるらしい。
だからわたしには、もしかしたら蝦夷の血が流れているかも知れないし
嗜好の点から縄文人の末裔ではないか、と推測するのだ。
 
そう考えると、秋田の旅は
わたしのルーツを探る旅でもあるのだった。
 

Posted by mamedi5047604 at 11:50


2007年1月23日
秋田紀行いろいろ

蔵を巡ったというのに
その蔵の銘酒の紹介がほとんどないのは
どういうわけか・・・。
別に深い意味はない。
 
まずはどの蔵の酒も
純米酒を呑んでみて欲しい。
お金に余裕があれば
大吟醸もいいけれど
やっぱり「スタンダード」に
その蔵の良さが表れているものだと思う。
 
日常にそっと寄り添っていてくれる酒・・・
一日の終わりに
肩の力を抜いてほっと一息つくとき
心の塊を優しく解いてくれるような酒・・・
勝手な想像だけれど
どの酒蔵の杜氏もみんな
そんな酒を造りたくて
日々、精進を重ねているのだと思う。
 
結局、自分たちが毎日晩酌で呑んで
「んめぇなぁ〜。」と相好を崩してしまうような酒を
造りたいんだと思うよ。
 
最後に・・・
本荘の裸参り、という祭りを見物したのだが・・・
雪がなかったせいか
盛り上がりにいまひとつ欠けた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この階段を一気に駆け上がる、というのを
想像したのだけれど
危険なので・・・そんなことはしないんだそうな。
 
この階段が3つもあって
境内に行き着くまでに
見物人が疲れる・・・。
日ごろの運動不足が祟る。
 
秋田には真冬に裸の若者たちが
水垢離をした後、神社に五穀豊穣、無病息災を祈願して
参る慣わしの所が多いらしい。
由利本荘の裸参りもその一つだという。
修行者の模倣で
ほら貝を吹き鳴らし

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
供え物を担いで・・・とりあえず歩く・・・
多分、雪が降っていたら
こんなにのんびりと歩いてはいられなかったはず・・・

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日射しも暖かいので・・・歩く・・・
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
供え物の鱈が胃袋を出していた。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
境内も想像以上に狭いので
みんなが一気に上っていっても
居る場所がない、というのも確かだ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
勇壮な祭りを期待していたので
ちょっぴり肩透かしを食った気分になってしまった。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
紅白の餅と蜜柑を撒いてくれるので
それをもらって帰ってきた。
 
ああ、そう言えば・・・途中で甘酒と日本酒を配っていたっけね。
こらこら、お替りするんじゃないよっ!朝から!
 
山を下り、由利正宗の蔵開きにお邪魔する。
杜氏も忙しそうに
接客に追われている。
大変な賑わいである。
裸参りより、活気があるように感じるんだけど・・・。
 
記念写真

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あ・・・違った・・・
 
これね♪

Posted by mamedi5047604 at 14:38


2007年1月22日
日本酒を教えてくれた人・・・そして蔵・・・W

さて、秋田は青森との県境・・・
八森というところに白瀑酒造はある。
此処が、今回の蔵探訪の最後となる目的地である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは日本海を見下ろす山に描かれた
送り火を炊くための文字。
 
世界遺産に登録された白神山地は
日本の誇りであると同時に
秋田の人々にとって
特別な存在であることは紛れもない。
何故なら、この自然の宝を開発という名の
自然破壊から守りぬいたのは
他ならぬ地元有志の力だったのだ。
 
「俺たちはさぁ、毎日見てるから
世界遺産だなんて言われても
ぴんとこねぇんだよなぁ。」
慎み深い秋田の人々は決まってそう言うけれど・・・。
 
秋田人の言葉はいつもこうして控えめだ。
が、芯はなかなかに強い。
 
ハタハタという魚をご存知だろうか。
秋田八森を代表する魚である。
とは言え、北に位置する日本海沿岸では何処でも獲れる。
毎年、箱で売り買いされるほど
大衆魚であったものが
乱獲のせいか、海流の加減か
不漁の年が続いた。
そこで秋田の人々が下した決断は
数年間、ハタハタ漁を休止する、というものだった。
隣県では考えついたにしても
誰も実行しえない英断であった。
結果、ハタハタはまた戻ってきた。
 
目先だけしか考えない現代人の中において
秋田人はこのように異質な存在なのだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この白神山地を覆うブナの原生林から
コンコンと湧き出る伏流水を使って作り続けられているのが
白瀑酒造の酒である。
白神から流れ落ちるご神瀑、「白瀑」から
その名前を戴いたとされる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
創業は明治34年。
まだ燃料と言えば石炭だった頃、
北海道の炭鉱では昼夜を問わず
石炭の採掘作業が行われていた。
白瀑は鉱員たちに愛飲されたと言う。
やがて白瀑は施設を拡大し
大量生産に手を染めてしまう。
しかし、時代は石炭から石油と流れを変えていく。
炭鉱の閉山が相次ぎ
鉱員たちは新しい仕事を求めて町から去って行った。
 
と、同時に白瀑酒造も規模の縮小を余技なくされる。
 
酒造りにとって実は良かったことなのだが
経営は芳しくなかった。
そこで、白瀑は心機一転を計る。
大きなタンクを排除して
少量であっても旨い酒を造っていこう、と。
それを地道に売っていこう、と。
酒蔵としての原点に立ち戻ったのである。
ここ数年、白瀑酒造の酒の味には定評がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
絞りたての新酒たち。
 
わたしが感じたことは
まず、匂いが格段に良くなった、ということ。
生意気なことを言うようだが
以前のようなまとわりつくような
くどい匂いではなくなった。
蔵に入ってまず飛び込んでくる匂いのことだ。
 
そして、この蔵を任されている
山本君(こう呼びたくなる好青年である)の表情が
なんとも言えない明るさに満ち溢れてきたこと。
 
由利正宗や喜久水でも感じたけれど
仕事に誇りと自信を持っている人たちは
素敵な笑顔を見せてくれるものだ。
誇りも自信もないものに
旨い酒は造れるはずがない。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この常に溢れる白神の伏流水に恥じない
美しい酒を目指して
酒造りに励んでいただきたい、と願う。
 
味見させてもらった
大吟醸の袋吊りの中取りは
とっても美人だった。
ちょっと期待しちゃうなぁ〜〜♪

Posted by mamedi5047604 at 12:23


2007年1月21日
日本酒を教えてくれた人・・・そして蔵・・・V

「あきしろ」の女将から
主とわたしとの付き合いは
10年に及ぶ、との指摘があり・・・
いやぁ〜、もうそんなになったのかぁ〜、と
感慨に耽るワタクシ。
 
そう、申し遅れたが
「あきしろ」の主はその後、50を越して結婚という
幸せを掴んだのであった。
師匠の喜びは弟子の喜び!ホザンナ♪
初婚ではないが
長きに渡る独身生活にピリオドを打って
今は女将と2人、和気藹々と店を切り回しているのである。
 
人生、何があるか分からない。
希望は捨てないでいようね、みんな←此処に集まる同胞へ
 
で・・・師匠と言ったら
もう一人、忘れてはならない人がいる。
浅野さんだ。
 
秋田の酒をこよなく愛し
自らを「秋田地酒の伝道師」と称し
日夜、その活動に努めている。
こんな風に言うと、浅野さんはいつだって
照れたように笑いながら、こう言う。
「いやぁ〜、だってさ
秋田の酒に旨くなってもらわねぇと
俺、困るもん。
店、潰れちゃうよぉ〜。」
 
確かに、浅野さんの経営する天洋酒店は
秋田の日本酒しか置いていない。
みごとにそれだけしかない。
だから、浅野さんの言っていることは正しい。
正しいのだが・・・
それだけではない「愛」がある、とわたしは思う。
 
わたしたちのように
秋田の右も左も知らない者たちが
電話一本で「行ってもいいですか?」と言えば
浅野さんは宿の手配から
蔵見学の予定まで
全て段取りをつけてくれる。
みやげ物を買うツアーまで
コーディネートしてくれちゃうのだ。
もちろん、ガソリン代くらいは
無理に受け取ってもらうけれど
他に何かを求めるようなことはない。
無償の行為なのである。
 
恐らく、どの蔵も予め連絡をすれば
蔵見学くらいはさせてくれるだろう。
だが、杜氏さんを引き止めて
長々とお話しを聞かせてもらったり
気軽に絞りたてのお酒をいただいたり・・・というのは
よほど運が良くない限り望めないことだ。
浅野さんあってのことだと感謝に耐えない。
 
そして、なにより
浅野さんは、一生懸命酒造りに取り組む蔵を
応援し続けているところが素晴らしい。
若手の相談に乗ったり
様々な提案をすることはもとより
消費者の声を蔵人に届ける橋渡しとなってくれている。
これは極めて重要なことだ。
 
大手の企業などは
消費者の声を聞くために
専門の会社に委託して
アンケート調査を行ったりしているものだが
その結果、多くの場合
消費者の体温は企業側には伝わらない。
何故ならば、調査をする側に
何の感情も思いいれもないからだ。
もちろん、大企業になればなるほど
細分化された消費者の声は
時として邪魔になるのかも知れない。
が、酒造りには
造り手と呑み手の間に大きな温度差があっては
いけないような気がするのだ。
 
浅野さんが「ごんぼを掘って・・・(我侭を通して)」と
言いながら
蔵に頭を下げて
呑み手の要望を蔵に直接伝えてくれる・・・
蔵もそれに応えてくれる。
そういうやり取りの中に双方の
温もりが通い合うのである。
 
それを世界は愛と呼ぶんだぜぇ〜〜!
 
今、浅野さんが応援する蔵の若手たちが
定期的に会合を開いて
親睦を温め、意見を交換しあい
切磋琢磨する機会を設けている。
これもみんな浅野さんの活動の中から生まれた成果である。
 
あ・・・因みにねぇ。
その会の名前がねぇ。
「まりりんを語る会」っていうんだよぉ〜。
 
もちろん名前だけだけどね・・・。

Posted by mamedi5047604 at 11:48


2007年1月20日
日本酒を教えてくれた人・・・そして蔵・・・U

ついに2年ほど、この店に修行に出るほど(嘘)
師匠にはお世話になった。
まぁ、ただの賑やかしに
店のお手伝いをさせていただいただけなのだが・・・。
 
いつしかわたしは
「縄文能代」を造っている
喜久水酒造に行ってみたい・・・出来れば・・・
あの「高橋良吉」という銘酒を造った
高橋良吉という杜氏その人に逢ってみたい、と思うようになっていた。
 
いつか秋田へ!
 
思い続ければ叶えられるものだ。
その願いがついに実現したのは
2003年冬のことであった。
この時は学くん、斉くんと3人
夜行寝台列車での旅立ちだった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
初めて降り立った能代の駅は、降りしきる雪の中に
ひっそりと佇んでいた・・・朝が早かったからね・・・。
駅に「縄文能代」の看板を見つけて
思わず感動するお馬鹿トリオ。
 
こうして、わたしたちは
念願の喜久水酒造蔵詣でを果たしたのである。
ただ、残念だったのは
この年で引退を決められていた
高橋良吉杜氏とは
お逢い出来なかったことであった。
仕込みの最中だったので
お仕事の邪魔をすることは憚られたのだ。
 
図々しく押しかけたわたしたちに
嫌は顔一つせず
それどころか心から歓待してくれた
浅野さんには本当にお世話になった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
喜久水酒造ご自慢の
トンネル貯蔵庫にも連れて行っていただいた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
喜久水酒造は明治8年創業の
小さな酒蔵である。
現在の社長で6代目だそうだ。
社長は歴代喜三郎という名前を継ぐものらしい。
先日も一緒に呑んだ、きいっちゃんの父上が
現社長である。
ということは、将来きいっちゃんも
喜三郎ちゃんになるのかしらん?
 
喜久水酒造はフロンティア精神溢れる蔵だ。
これは現社長が
山口県の出身で
酒造りとは無縁の人であったことによる影響が大きい。
ぶっちゃけ、蔵の跡取り娘と結婚して
蔵に入った外様なのだ。
既成の概念に囚われることなく
次々と新しい試みに挑戦してきたのは
もちろん彼の弛まない勉強の成果であって
何もかも闇雲に好き勝手をしてきたわけではない。
 
日本酒を寝かせることによって
熟成することは出来ないか?という
発案をしたのも喜三郎社長であった。
調査の積み重ねで導き出した提案であったが
杜氏は首を縦に振らなかった。
そこで喜三郎社長はこっそり酒を寝かせて呑んでみた。
熟成が進んで旨くなっていた。
この結果を踏まえて杜氏を説き伏せたのである。
そこでたまたま売りに出されていた
廃線になったJRのトンネルを買い取り
能代名物の「トンネル貯蔵庫」を作ったのだ。
これはヨーロッパにおける研修で
ワインの貯蔵庫を見学したことによる成果であった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トンネル内の気温は平均12度だということだ。
 
どの酒も熟成が成功するとは限らない。
時間をおくことでひねて味を損ねてしまう酒もある。
因みに、このトンネルでは1本につき500円で
自分の酒を寝かせてもらうことが出来る。
もちろん喜久水の酒に限られる。
 
わたしは最後の「高橋良吉」を
あと1本寝かせてもらっている。
病気を経て、生存1年ごとに1本・・・これまで
4本の「高橋良吉」を呑んできた。
昨年は、この世のものとは思えないくらい
美酒になった「高橋良吉」を呑んだ。
 
今年はどうなっているのだろう・・・ちょっぴり不安・・・。
そして最後の1本を呑むとき
わたしも病気から、一応卒業のお墨付きをもらうのだ。
 
トンネルの中にいた可愛い守り神

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、高橋良吉杜氏が引退した後を継いだのは
長年、良吉杜氏の元で修行を積んできた高階杜氏であった。
また、酒を絞る製法に遠心分離機を用いるなど
更に新しい試みも始まっている。
そして、何と言っても嬉しいのは昨シーズンから
我らが期待の星、きいっちゃんが麹方として
酒造りの大きな担い手となっていることだ。
蔵人としての修行はこれまでもやってきたのだが
酒造りの味に直接関りあうのは初めてである。
 
それが初年度で、品評会に出品したお酒が
賞を取ってしまった!
しかも、私生活においても最良のパートナーを射止めてしまった!
 
ついている?
そうなのかも知れない。
特に伴侶を得たことは、ついてたよねぇ〜。
しかし、これはなるべくしてくなった、とも言える気がする。
 
人間には持って生まれた能力というものがある。
これは、例えば
どんなに努力をしても自分の力だけでは
どうにもならない分野のもので
才能、センス・・・とでも言おうか・・・。
 
死ぬほど練習を重ねても
誰もが100メートルを9秒では走れない。
誰もが相対性理論を理解出来るとは言えない。
誰もが美味しい酒を造れるとは限らないのだ。
それは、もって生まれた才能に
本人の努力が加わって生み出される結果なのである。
 
そういうセンスが
きいっちゃんには備わっているような気がする。
持って生まれた能力を
腐らせることなく、錆付かせることなく
常に切磋琢磨し、精進して欲しいものだ。
偉そうに言っているが
そう言える権利がわたしにはある。
だってね、きいっちゃんが
いつか「旨い!」と唸らせるような酒を
わたしの墓石にかけてくれるって・・・なんだよっ!それっ!
 
今回、能代に滞在している間に
きいっちゃんから連絡が入った。
「タンクに大たまあわが出来たよ!」
(本人は中たまあわだ、と言っていたが・・・)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今年の酒も期待が膨らむなぁ〜〜〜!
この分で行くと、わたしが生きている間に
唸らせてくれるんじゃないのぉ〜〜!
 
で・・・きいっちゃんのご要望により
魔よけに・・・
大吟醸のタンクにサインをば・・・

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダイバーKや学くんには
ひじょうに不評なサインであったが・・・
後日、このタンクにも
大たまあわが出来たのである。
ふふん!!!どんなもんよ!
 
この蔵が、わたしの蔵巡りの原点なのである。
 

Posted by mamedi5047604 at 14:11


2007年1月19日
日本酒を教えてくれた人・・・そして蔵・・・T

わたしは酒ならたいがい何でも呑む。
20代の頃から日本酒も好んで呑んでいた。
 
じゃぁ、本当に酒なら何でもいいのか?というと
実は好みにかなりの偏りがある。
そしてそれは歳を重ねるとともにはっきりとしてきて
最近では口に合わない酒は
他に呑むものがなくても一切、手をつけないほどになった。
元々、酒にしろ食べるものにしろ
美味しいから呑んだり、食べたりするのであって
喉の渇きを癒すだけなら水で充分だし
空腹を満たすなら塩ムスビの一個もあればいい、という方であった。
 
特に酒などは嗜好品の部類に入ると思うので
偏りがあって当然・・・
気に入ったものだけを呑めればいいものと決めている。
 
だから、日本酒も
自分の好みに合うものだけを
呑んできたのだ。
 
それでも、そんなに広い社会にいるわけではなかったから
知りえる数は知れていて
狭い選択肢の中から選んだものを
呑んできたのだ、と言える。
 
今から数年前・・・7〜8年にもなろうか・・・
ひょっこり入った居酒屋が
城ヶ崎海岸にある「あきしろ」という店であった。
この店は、伊豆にありながら
「秋田料理」を出す、という一風変わった趣向の店で
主が秋田、能代の出身であった。
同じく秋田出身の主の母親が
手作りの田舎料理を担当しており
秋田美人の姉が仲居をして
店を盛りたてていた。
 
主は日本酒担当だったっけ?
まぁ、まぁ・・・
 
そこで初めて
秋田能代の「縄文能代」という酒と出逢ったのである。
今でも、主の口癖は
「この酒が俺の中のスタンダードなんだよな、日本酒の・・・。
色んな酒を呑んで、ちょっと舌が疲れたかな?と思ったとき
この酒を呑むと、すっきりと落ち着くんだ。」
で、あって
なるほど、この酒は呑み飽きのこない
実に爽やかな酒なのである。
 
それから主と意気投合(2時間呑んだらお友達)
随分、可愛がってもらって今日に至る。
仕事柄、彼の日本酒に関する知識は深く広い。
学ぶことが沢山ある。
「雪の茅舎」を知り得たのも
きっかけは、この主なのである。
そして、主と高校時代の同窓である
天洋酒店の浅野さんとも
知り合ったのだった。
人の縁って不思議で素晴らしい。
 
店に通い続けて
数多くの酒を教えてもらったが
中でもインパクトの大きかった酒は
「一時」であった。
この酒は、まだ絞る前の酒を
発酵し続けているタンクから直接汲んで瓶詰めにしてある。
栓に穴を空けて炭酸を逃がすように細工した濁り酒は多いが
そのまま瓶に閉じ込めた濁り酒は稀少だと思う。
よって、この酒は開封にコツがいる。
運が悪いと(いいと?)
酒がシャンパンのように栓を飛ばして勢い良く噴く。
半分も噴いてしまって大騒ぎ、ということも
稀ではないのだ。
 
当サイトでも紹介したことがあるので
覚えている方も多いだろう。
これは昨年秋のシーンである。
夏を越えた「一時」を空ける瞬間だ。
ここをクリック←耳障りな酔っ払いの声が入っているので音量にご注意下さい。
 
また、酒を熟成させると
旨くなることがある、と
教えてくれたのも「あきしろ」の主であった。
時には「生」と謳った酒でさえも
冷蔵庫で寝かせてみる、といった
実験にも立ち合わせてもらった。
 
当たり前のことなのに
今まで気づかなかったこと・・・
例えば、手作りの酒は
その歳によって味が変わること
同じ米を使い、同じ水で仕込んでも
杜氏によって全く違う酒が出来ることなど等。
 
呑みすぎてヘロヘロになったことも
一回や二回ではなかったが
いつも温かい(半ば呆れ返った)眼差しで見守ってくれている。
わたしの酒の師匠の一人だ。
 
もしも、ここで「縄文能代」を呑まなかったら・・・
「一時」を知らなかったら・・・
「田身の酒」に酔わなかったら・・・
「高橋良吉」との衝撃的な出会いがなかったら・・・
 
わたしが秋田に行くことはなかっただろう。
 
 

Posted by mamedi5047604 at 12:59


2007年1月18日
由利正宗を訪ねて U

高橋杜氏が由利正宗の杜氏に就任して20年。
彼の偉業の数々は
恐らく、今以上に次世代、そのまた次の世代へと
受け継がれていくべき「恩恵」である。
 
まず、自社酵母の開発。
これ無くして由利正宗の酒は語れない。
 
そして麹室の建設。
これは以前の「秋田紀行」を読んでいただければ
お分かりいただけると思うが
抜粋すると
『麹室。
この杉板張りの部屋は杜氏の意向で建設された。
21ミリの厚さの秋田杉の杉板をこれほど贅沢に使った蔵は類を見ない。
が、3代後まで使える・・・と杜氏は意見を譲らなかったそうだ。
近代の蔵のほとんどはステンレス張りである。
何故なら衛生管理が簡単だからだ。
この杉板張りの部屋は毎日、水と布で磨かれている。
決して洗剤や消毒剤を使わない。
これも杜氏のポリシーだ。
それを実証するために「オーガニック」の認定も受けた。
原材料だけでなく製作工程にも厳しい審査が入る認定を受けることで
蔵全体の美化が徹底され
他の酒たちにも良い影響を与えているそうだ。
また杉板は呼吸をし続けるので
湿度が一定に保たれるという利点もある。
釘もサビを産まないということで真鍮を使っている。』

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
この麹室の素晴らしさは
是非、一度訪れて自分の目で確認していただきたいと思う。
高橋杜氏の自慢げな笑顔にも出会えるだろう。
それが嫌味にならないのは、杜氏に邪気が無いからだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

もちろん、経済的な面から言って
何処の蔵でもまねの出来ることではない。
が、この施設こそが
旨い酒造りに最適であると分かれば
目指す蔵も出てくるのではないか。
 
しかし、高橋杜氏は
まだ満足しきっているわけではない。
新酒品評会10年連続受賞の実績をしても
守りの体制に入ることはないのだ。
より美味しい酒、もっと愛される酒を
追求し続けているのである。
そのためには、新しい発想もどんどん取り入れる。
 
今回の新兵器は、磁気で水の分子を粉砕する機械だ。
湧き水の汲みだし口に取り付けられた筒状のものがそれ。
水の成分を変えずに分子の大きさだけを細分化するという優れものだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

水の分子構造を小さくすることによって
水をまろやかにし
酵母や米麹との馴染みを良くする効果があるという。
 
そして、米の2度洗い。
酒造りに関してど素人のわたしには
実はあまりよく理解しきれてはいなのだけれど
磨かれた(精米した)酒米はひじょうにデリケートなので
普通は一度洗いしかしないものらしい。
とにかく徹底的に余分なたんぱく質を取り除く、という
姿勢の表れなのだと思う。
 
もっとあったのだが、専門の領域になるので
詳しいことはお許し願いたい。
まだまだ、勉強不足なもんで・・・。
 
あっと言う間の2時間半。
杜氏がご馳走して下さった
絞りたての新酒の美味しかったこと。
気前のいい杜氏は
利き猪口に何杯も注いで下さるので
普段なら酔っ払っているところだ。
が、高橋杜氏の前だと
気持ちの良い緊張感があって
少しも酔わないのが不思議である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

高橋杜氏が由利正宗に迎えられたとき
どういういきさつか定かではないが
前任の杜氏は既に蔵を去っていたそうである。
何もかも一から始めなければならなかった・・・と
杜氏はふと苦労の一端を漏らされた。
杜氏にもそういう時代があったのだ。
決して順風満帆で今日在るわけではない。
 
「もし、許されるなら
それぞれの蔵で蔵人の交換会のようなことを行って
学びあうこともいいかも知れません。」
杜氏は懐もひろ〜〜〜い方なのだ。
 
「今年、初めて作ってみたんだけど
上手く出来なくて・・・。」
照れたように微笑みながら
店先の杉玉を見せて下さった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

もっ!
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 21:34


2007年1月17日
由利正宗を訪ねて T


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

本荘新山の麓に、その昔、百合の花の群れ咲くところがあったそうな。
明治35年、1902年・・・本荘の名士斉藤弥太郎氏が
その地に酒蔵を造った。
それが由利正宗の始まりであった、と文献にはある。
酒蔵としての歴史はさほど古くない。
それでも現在も使われている建物は
格式ある構えである。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正宗というのは中国の言葉で
「正統な」という意味がある。
 
斉藤氏は本荘の町長も勤めたほどの人で
経済的にも裕福な家柄の出であった。
本荘の城跡をその土地の所有者が町以外の者に売却したときなどは
これをすぐさま買い戻し、町に寄贈したそうだ。
 
さて、この蔵にお邪魔するのは今回が3度目ということになる。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3年前、この蔵の高橋杜氏が
10年連続で新酒の賞を取られた記念に
蔵で盛大な宴が催されたのだが
浅野さんに便乗して、わたしと学くんも同席させていただいたのが
初めてであった。
 
2度目はダイバーKと
昨年、冬に尋ねて
杜氏自ら蔵の中を案内していただき
貴重なお話を伺ったのだった。
絞りたての大吟醸酒をタンクから直接汲んで
飲ませていただいた味の記憶は
今も鮮烈な印象で心に残る。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この度は「俺だけ行ってない!!」と
文句タラタラだった斉くんを伴っての来訪である。
 
車を駐車場に止めると
社長が自ら出迎えて下さる。
浩太郎社長だ。
30代の若さである。
 
突然だが・・・わたしは鼻が利く。
造りが原始的に出来ているらしい。
今は老眼鏡のお世話にならない日はないが
それまでは視力も良かった。
要するに動物に近い。
 
それで、どの蔵に行ってもそうなのだが
まず最初に入ってくる情報は匂いだ。
 
由利正宗はいい香りがする。
柔らかで軽やかな、なんとも言えない香りである。
発酵臭などは微塵もない。
 
そして次に入ってくる情報。
つまり視覚では、その清潔感に圧倒される。
とにかく塵一つ、埃の一刷けさえ見当たらない。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また、蔵人たちの応対が素晴らしい。
ハキハキとした挨拶が気持ちいいのだ。
今回はことさら若い蔵人の姿が目立つ。
伝統的な技法に拘った酒造りを目指す蔵には
珍しいことだと言えよう。
 
社長の案内で蔵の中を進んでいくと
高橋杜氏が満面の笑みを湛えて
わたしたちを杜氏の部屋へ招き入れて下さった。
ここは研究室にもなっている。
電子顕微鏡やフラスコ、ビーカー、試験管などが
部屋の奥に整然と並んでいる。
そこでは20代前半と思われる青年が
お酒の成分検査をしていた。
 
柔和な杜氏が今年の酒造りの手ごたえを
とつとつと話し出される。
今年は暖冬ということで
各酒蔵から「発酵が進み過ぎる」という声が
聞こえてきたものだが
高橋杜氏は余裕でこう語った。
「元々、この本庄という土地は
秋田でも暖かいところで
温度管理においてうちの蔵は
いかに冷やすか、という視点に立った設備投資をしてきた。
だから、逆に昨年のような寒さには
少し対策を考えなければならないほどだったが
今年の暖冬では本領発揮というところ。
今までの設備が生きて
ベストコンディションとも言うべき環境を作ることが出来た。」
 
由利正宗に限らず
山内杜氏と呼ばれる秋田の杜氏たちが造る酒は
低温発酵を基本としている。
それらは一般的な酒造りの2倍以上の時間を必要とする。
つまり工場生産などの酒なら2週間前後で出来上がるところを
1ヶ月以上もの時間をかける、ということだ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは酵母を管理しているポリバケツ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
僅か13,5度しかない。
 
しかし、ポリバケツという規模にも驚かされる。
近代設備に頼らない酒造りをするためには
管理する規模は小さければ小さいほど良い。
今や、大量生産が当たり前の社会において
時代を逆行しているような手法だ。
酒そのものを仕込むタンクも
どんどん小型化している。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
↑は発酵が始まったばかりのもろみだ。
酵母に米麹、蒸し米、仕込み水を加えるときにだけ
人の手で櫂入れをするが
後は酵母の力に任せて放置するのが由利正宗独特の手法。
櫂入れをしなくても低温でじっくり育てられた酵母には
自分で撹拌する力が備わっているのだ。
 
櫂入れをしないから、米が壊れない。
糊が出にくくなる。
酒米に含まれるたんぱく質も表立たない。
このたんぱく質こそが
酒の異臭になる、と高橋杜氏は考えている。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
綺麗なさらっとしたもろみに
泡がふつふつと湧き上がる。
この泡が大きくなって
直径が30cmほどにもなることがあるのだそうだ。
これを大たまあわ、と呼び
山内杜氏の間では
大たまあわが出たもろみは
いい酒になる、という言い伝えがある。
「粘りがあると泡はすぐに消えてしまう。
ぎゃくに粘りがなさ過ぎても大きな泡にはならない。
発酵ともろみのそのバランスが
最高に達した時に
大たまあわが出来るのです。
そして、その泡が
すーっと消える瞬間がある。
それこそが絞る絶好のチャンスなのです。」
高橋杜氏が目を細めて
遠くを見つめる。
 
恐らく、しんと静まり返ったもろみを
想像しておられるのだろう。
 
由利正宗の真髄は
高橋杜氏の酒造りに対する
飽くなき探究心と妥協を許さない厳しい拘り・・・
また、その杜氏を全面的に信頼し
完全にバックアップし続ける会社の姿勢である。
そのどちらかが欠けても
あの珠玉の酒は誕生しえないのだ。
 
「わたしたちの年代は
誰一人として、本来の酒造りというものを学んだものはいない。
過去の戦争と戦後の高度成長期に
安くて大量生産できる酒ばかりが主流になり
本当の酒造りというものが一旦、途絶えてしまった。
元々、職人仕事だった酒造りは
伝承で次世代へと繋がるものだったので
一から勉強することは困難を極めたものだ。
しかし、どうしても旨い酒を造らねばならないという使命感で
わが蔵は、自社酵母を開発してきた。
そこで初めて正真正銘、本来の山廃仕込が成功し
今に至っている。」
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その中心になって尽力したのは
言うまでもなく高橋杜氏、その人である。
 
誰かが高橋杜氏を指して
「彼は、例えば杜氏でなくても・・・
学校の先生でも、銀行家だとしても
成功した人に違いない。」
と言っていた。
 
正しくそうだろう。
だが、学校の先生ではなく、銀行家でもなく
杜氏になって下さって本当に良かった。
これは天命であると言える。
 
「これからは若い子たちの育成に力を注ぎたい。」
それでなのか・・・蔵人たちの若さが目に付いたのは・・・。
「毎晩、この子達と晩酌をしてます。
まず、日本酒の美味しさを知らなければ・・・。」
晩酌に4合を欠かさないそうだ。
 
いかに拘った酒造りとは言え、
機械に任せる部分が皆無なわけではない。
しかし、基本的な造り方を知らず
始めから機械に頼ってしまっては
酒造りを学んだとは言えない、という杜氏の方針から
今は何処の蔵も使っていないであろう
小型の麹蓋で麹の管理を行う作業を
若手にやらせているのだ、という。
それにはむろん、杜氏も付き合うのだ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この作業には徹夜のものも含まれる。
重労働であり、大変な神経も使う。
 
酒は本来、自然の中で育まれるべきものである。
「いや、農業もそうです。
人間に合わせるのではなくて
自然に人間が合わせていく。
そうした手法が、酒も作物もいいもの、旨いものに育てていく。」
 
杜氏は芹と里芋、ぜんまい、米などを栽培しておられるが
全て、そういった信念で造られているのだそうだ。
 
もちろん、それには経済的なゆとりというものが
大きく関係していることは
否めない事実ではある。
が、もてるものを正しく使う、ということは
言うは易いが行うは難い。
 
高橋杜氏に出会った人は
皆、一様に彼の人間性、人格に敬服する。
浅野さんも例外ではない。
斉くんも杜氏のお話を伺っている最中
感動の余り目を潤ませたほどである。
 
で、わたしはどうか、と言うと・・・
彼のチャーミングさにノックアウトである。
還暦を過ぎられたというのに
彼ときたら、常に未来を語るのだ。
目を輝かせて、明日の酒造り、明日の農業を語っちゃうのである。
積み重ねてきた経験の重さ
自信、誇り・・・
それらを踏まえた上で
少年の心で夢を語るのだ。
 
ピーターパン症候群の男共がよく口にする
「男はいつまで経っても少年のような夢を忘れない。」なんて
ちゃんちゃら可笑しいと常々馬鹿にしてきたわたしだが
高橋杜氏はホンモノだ。
わたしが出逢った数少ない本物の
「ロマンチスト」なのだ。
 
わたしの夢は
一度でいい・・・杜氏とお酒を呑んでみたい!!
(大人数は苦手なので)
差し向かいで呑みたいよぉ〜〜〜〜〜!!!

Posted by mamedi5047604 at 13:38


2006年11月10日
信州紀行 U 続々編

「今度はみんなも連れて来たいなぁ。」
って、さすがにあと一人が限度だけど・・・。
寝袋を使えば3人は余裕で寝ることが出来る。
もちろん抱っこ寝んねなら4人くらいまでOKよ♪
 
だってさぁ〜、エルグランドの旅、面白いんだもぉ〜ん!
 
温泉を後にして一路、長野道に向かう。
ここから岡谷ジャンクションまで戻り
中高自動車道に乗って名古屋方面に下りるのだ。
長野を縦断するようなもんだね。
南アルプスから入って北アルプスの麓まで行き
そこから中央アルプスの山間まで一気に駆け抜ける。
山山山山・・・
トンネルをくぐるたびに空気が変わる。
 
長野は山を一つ越えるごとに
文化が違うのだろうなぁと想う。
現に信濃と南信州と呼ばれる伊那とでは
食べるものが全く違う。
 
伊那は中仙道、木曽路に近いせいもあって
実は京都との繋がりが濃い土地柄だったりするのだ。
もちろん三河文化も色濃い。
 
わたしたちが向かった飯田は
天竜川に沿った紡績の盛んだった町である。
ジャーナリスト本田勝一氏の故郷。
虫食う人々の住むところ。
戦時中、帝大医学部が疎開した場所。
だから作家山田風太郎氏も一時期住んでいたのだよ。
って、マニアックかな。
 
「よく此処に来た!」と
飯田で知り合って
今やすっかり飲み友達となった友人は言う。
確かに観光地じゃないしね・・・。
けど、わたしの勘がセンサーがアンテナが
この町は面白いぞぉ〜〜、と知らせたのだよ。
そしてそれはみごとに正解であったわけだ。
 
夕刻、馴染みの店の格子戸を開けると
艶やかなほっぺたの髭おじさんが
人の良さそうな満面の笑みで
わたしたちを迎えてくれる。
館長も両手を広げて「ようこそ!」と歓待してくれる。
 
さて・・・宴会の始まりだ!
飲むぞぉ〜〜〜っっ!!

Posted by mamedi5047604 at 15:56


2006年11月8日
信州紀行 U

僭越ながら・・・本日、ワタクシ51回目の誕生日。
半世紀も生きたんだなぁ・・・しみじみ。
人生50年と言われた時代から考えると
平均寿命は驚くほど延びたわけだけれども
この先の行く末はオマケにもらった時間だと
得をした気分で生きていこう、と思う。
 
いやぁ、いつでも「お得感」満載なんだけどねぇ。
有難や、有難や・・・。
 
昨日、満月(多分)が光を滴らせるように海から登るのを見て
伊豆を出てきたのだが
富士五湖道路を通過する際には
鏡のように輝いて辺りをほの蒼く照らし出していた。
その加減がまた絶妙で
景色の濃淡を浮き上がらせている様は
幻想的ですらあった。
そこへもってきて・・・富士山だ。
うっすらと冠雪した姿が墨絵のように美しく
息を呑むほど・・・とはこのことを言うのだと思った。
強い風に煽られて
空気は恐ろしく澄んでいた。
 
ほらね・・・晴れ女の真髄ここに在り!
 
話を戻そう。
目を覚ますと・・・
さすが、信州のど真ん中。
寒いってばっ!
車の外に出ると吐く息が白い。
しかも、地面にはうっすらと霜が降りているではないか!
あぁた・・・伊豆では真冬の光景だよ、こりゃ。
まめぢも震え上がっている。
 
北アルプスの山々は冬化粧をしている。
麓の紅葉とのコントラストが美しい。
いいねぇっっ!
 
トイレの便座には暖房が入っており
手洗いのカランからはお湯も出る。
山間ならではだろう。
寝床を片付け、洗面を済ませると
サービスエリア内の珈琲ショップが開いたので
軽い朝食をとる。
本日の計画を立てる。
 
以前、長野に住む友人と2人で訪れた
小布施の町へ
もう一度行ってみたいと思っていた。
晩年の葛飾北斎の肉筆画を多く展示する
「北斎館」をじっくり回って見たかったのである。
前回は時間的な余裕がなかったので
駆け足で通り過ぎてしまったのだ。
 
わたしは葛飾北斎の画が好きだ。
版画ももちろんだけれど、肉筆画にはまた違った迫力がある。
西のゴッホ、東の北斎、だとわたしは思っている。
 
順調に小布施にたどり着く。
まずは岩松院というお寺に行く。
ここには北斎が下絵を描き、監修した天井絵があるのだ。
「八方睨みの鳳凰図」と呼ばれるそれは
21畳敷きの大きさがあり
520余年を経て尚、色鮮やかに見るものに迫ってくる。
圧巻だ。
北斎の下絵も複製画が展示されているが
これも素晴らしい。
88歳の作品であることに驚かされる。
富士山をこよなく愛した北斎が
この画に隠し絵として
富士のシルエットを描いていることにも注目したい。
北斎のユーモア精神が伝わってくる。
 
80歳を越えた北斎が
江戸から遠路はるばる
4度にわたりこの地を訪れたのは
彼に心酔し、師と仰いだ富豪の高井鴻山の存在があったからだが
高井氏がいかに資金を惜しまず
北斎を後援したかは
この天井絵を見るだけでも分かろうというものだ。
それは当時、最高級とされた顔料が使用されているのである。
孔雀石、金箔などもふんだんに使われている。
 
一見すると、山間にある小さな寺に過ぎないと思われる岩松院だが
この寺にはもう一つの逸話がある。
それは、俳人小林一茶が
「痩せかへるまけるな一茶是に有」という句を詠んだ
まさにその地である、ということだ。
寺の裏庭にある池に
毎年、時期が来ると無数のひき蛙が集まって
産卵のため交尾をする。
これを「蛙合戦」と呼んで人々は面白がったそうだが
その様子を見て一茶は上の句を詠んだ。
 
故郷の信濃にあって
一茶は決して幸せとは言えない人生を送った。
一時は江戸に上がり俳句を学んだりしていたが帰省し、
折り合いの悪い継母や腹違いの弟と
遺産相続で長く争わなければならなかった。
それでも結婚し束の間の平穏を得たのは
50歳を過ぎてからのことであったという。
恐らく、この結婚生活こそが
一茶にとって人生最良の月日であったに違いない。
やっと授かった赤ん坊はしかし
生まれてすぐに病にかかり
その回復を願って一茶は岩松院に詣でたのである。
痩せて小さな牡蛙が大きな牝蛙に必至に挑む様は
消えかかる命の火を何とか灯そうとする
我が子への想いと重なり
また強く祈る自分の姿とも重なって
かの句になったのだろう。
だが、その子の命は一月と持たなかった。
その後3人の子供に恵まれるも次々と亡くし
妻とも死別した一茶は
光も射さぬ土倉の仮住まいで65歳の生涯を閉じる。
それでも、その数年が最良であったとするのは
一茶の俳人としての円熟期が
信濃に戻ってからであったことだ。
随筆集や紀行文などを編さんしたのもこの地である。
 
次に目指す「北斎館」へ向かう。
ちょうど創立30周年記念ということで
特別展が開かれていた。
館内に全ての作品を展示することは出来ないので
周期的に作品を替えてあるらしい。
以前来た時に見た画がなかったことが残念だった。
斉君に見せたい画があったんだよなぁ。
 
それは富士山を見て驚嘆する中国人の姿を描いたものだ。
 
いつでも富士山を見る度に(って、しょっちゅう見ているのだけどね)
「富士山を初めて見た人はびっくりしただろうなぁ!」というのが
斉君の口癖なのである。
北斎もきっとそう感じていたのじゃないか。
 
江戸から眺める富士山と
相模湾を越えて見る富士と
駿河湾側から見たものと
甲斐路から見るそれと
富士はそれぞれに姿を変えて美しい。
また霊峰としての威厳を備えている。
 
北斎も富士に魅了された画家なのだ。
 
ああ!
北斎の画に関しては
言葉が出てこない。
もうね、とにかく凄いから。
天才ってこういう人のことを言うんだよなぁ、って
ただただそう思う。
美しさとか綺麗さとか
そんなものでは形容しきれない。
 
あんまり神経を集中して見たもので
館内を一周したところで
激しい頭痛に襲われたほどだ。
 
「70歳までの画は取るに足らないものである。
80を越えてから、本当の画とは何かを掴みかけた。
90にして、思うような作品になりつつある。
100まで生きたら、神の領域にさえ到達するだろう。」
そう言った北斎は90歳でこの世を去らねばならなかった。
人生50年と言われた時代である。
「あと10年生きたら・・・いや、あと5年生きることが出来たら・・・」
そう言って悔しがった、というから凄い。
「過去の己の傑作こそが己の最大のライバル」だった北斎。
う〜〜〜ん!かっこいい!(なんと稚拙な感想か・・・情けなか!)
 
つづく
 
 
 

 

Posted by mamedi5047604 at 13:05


2006年11月7日
信州紀行 T

朝から出発の準備をする。
留守番を頼むナオトの食事をメインに
荷物の整理もしなくてはならない。
ざっと掃除機もかけておかなければ・・・。
 
カレーライス、ミートソース、豚肉の生姜煮
辛子明太子、ハム、ウィンナー、ラーメン、卵、野菜etc.
冷蔵庫の見やすい棚に収める。
朝、口頭でも伝えたが念のため
全てをメモに書いてテーブルの上に置く。
 
足袋と金ちゃんのトイレにいつもより多めに砂を入れ
ドライフードと水のセットをする。
小豆の世話は全面的にナオトに任した。
 
通常より早く帰宅すると斉君からメールが入る。
準備万端、余裕綽綽・・・
5時30分。
「それでは出かけますか!」
まめぢも大喜びである。
途中、コンビニで買い物をしている最中に
ナオトからメールが入る。
「もう出かけました?」
返信・・・「今、出たとこ」
 
さて、そのコンビニ周辺は電波の届きが悪い。
所々で「圏外」になる。
気に留めていなかったが
恐らくそうなっていたのだろう。
そこから10分弱、中伊豆に向かって走ると
中伊豆バイパスという有料道路に入る。
入って暫く走ったところで携帯が鳴る。
ナオトから電話だ。
いやぁ〜〜〜〜な予感がする。
 
「もしもし」
「あ、真理さん、今何処ですか?」
「中伊豆バイパスの途中だよ。」
「ああっ・・・」
「ん?どうした?・・・まさか!」
「鍵、忘れたんです・・・家の中に入れないぃ〜!」
「・・・馬鹿野郎・・・」
「どうにかしてどっかから入れませんかね?」
「いいっ!戻るっ!待ってろっ!」
「・・・はい・・・」
 
運転席で話を聞いていた斉君、一言吐き捨てるように呟く。
「ふざけろよっ!」
 
急遽ユーターンして料金を払い有料道路を出る。
往復小一時間のロスと720円の無駄。
家の前に着くと、ゼットからナオトが小走りに降りてくる。
「玄関に鍵忘れちゃって・・・」
「ふざけんじゃねぇよっ!ほっんとにお前はお約束なんだからっ!」
斉君のマジ声にオロオロするナオト。
 
いやぁ〜、やってくれますなぁ。
ここまで徹底していると感心するやら呆れるやら。
 
車に戻ってきた斉君が
自分に言い聞かせるように言う。
「まぁさ、プラス思考でいけばさ
これがあったお陰で大きな事故から逃れられたかも知れない、とか
そういうのがあるかもだし、ね。」
それってプラス思考なのか?
 
逆にあのコンビニで買い物して良かった。
沼津に出てから・・・という案もあったわけで
そうなっていたらもっと大きなロスタイムだったのだ。
わたしのナイス直感!←あくまでも自分主体
 
はい、もう一度仕切りなおし。
6時45分、出発。
その後は順調に走り、
休憩場所の諏訪湖サービスエリアに着いたのは9時半であった。
そこで軽い夕食をとり
岡谷ジャンクションから長野道に入る。
今夜の宿泊場所は梓川サービスエリアだ。
「もの食う・・・」にも書いたが
近頃のサービスエリアは設備も整っており
大変利用し易くなっている。
24時間営業のところも少なくない。
なかなか居心地が良いのである。
但し、仮眠をとるにしても
足をゆったりと伸ばせるスペースが車内に確保できること
水分を充分に取ることに注意する。
エコノミー症候群にかからないために。
 
高速道路は24時間以内に一旦出ないと
料金が割り増しになることがあるので念のため。
 

Posted by mamedi5047604 at 10:36


2006年7月20日
祇園祭り また来年

雨のおかげで
今年デビューのナオトはもちろんのこと
みんなの肩も例年より腫れずに済み
観ている側も人ごみに煩わされることなく
しっかりと応援することが出来て
なかなかどうして充実した祭りであったように思う。
雨に祟られたなんて誰も思っていない。
結果オーライ。
 
これを書いているのは
7月の晦日・・・30日なのだけれど
前日、福岡の山笠で山車を引いていた人が転倒し
山車の下敷きになって亡くなったと報道されていた。
荒っぽい山車引きが売りの祭りだったようだ。
 
祇園祭りは「安全重視」「喧嘩禁止」
喧嘩が粋などという間違った価値観はない。
喧嘩をしたら、その人間は2度と神輿を担がせてはもらえない。
永久追放である。
2トンもの神輿を担いで跳ねるのだ。
危険と隣り合わせであることに違いはないが
世話役の人たちが徹底して担ぎ手の安全に目を光らせている。
昨年までは警察官が見物人の警備を担当していたが
今年からは、神輿会が依頼した民間の警備員が
神輿会の指示のもと身体を張って神輿の暴走を抑えていた。
 
わたしは祇園祭のあり方を支持する。
 
翌朝、ダイバーKは
朝一で東京に戻った。
ほとんど寝ていなかったのではないだろうか。
仕事のトラブル処理のため
客先と打ち合わせ・・・と聞いたけれど
酒臭い息を吐きながらいくら謝っても
効き目は薄いような気がする・・・どうなんだろう。
 
残るみんなは例のファーストフードレストランで
朝食バイキングを食べた。
毎年、京都見物などをしてゆっくり過ごしてから帰路につくのだが
負傷者組は傷(腰)が痛むというので早々に引き上げることとし
たぁちゃんは荷物を取りに名古屋の娘のところへ
ミチャエ夫婦(陳さん夫婦?)は
寝起きなのでゆっくりするとのことで
この場で解散することにした。
 
わたしと学君とナオトは
近場の三十三間堂を見てから
どこかで昼食を食べて帰ろうということになった。
三十三間堂は京都の数ある文化財の中でも
特に好きな場所だ。
簡単な説明はここ
1001体の観音立像も圧巻だが
雷神、風神像、観音28部衆像も素晴らしい。
 
いつものように大人数で行動しなかった分
ゆっくり観ることが出来て良かった。
1時間以上いただろうか。
本当は、何処の神社仏閣も
こうやってじっくり観て回りたいものだと思う。
 
最後にナオトと学君がおみくじを引くと言う。
「わたしは引かないよ。」
「え〜〜、なんでぇ?」
「もし、凶とか引いたら気分悪いじゃん。」
「真理さんは自分を信じてないんですか?」
「ばぁ〜か!そういう問題じゃないんだよ。」
未だに「初詣鶴岡八幡宮大凶引いた事件」を根に持っているワタクシ・・・。
 
結果・・・ナオト「吉」、学君「末吉」
ナオト:「げ・・・神輿担いだのにただの『吉』かよっ!」
学君:「まじ?後がないじゃん・・・。」
ほれみたことか。
あっぶねぇ〜、引かなくて良かった♪
 
京都駅をうろうろしてお土産ものを買い
串かつを食べて
熱海停車の新幹線で帰路につく。
車中爆酔!
情緒のないやつら・・・。
 
これが7月18日までの顛末・・・
 
また、来年!
 
 
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 16:42


2006年7月19日
祇園祭 祭りの後

神輿が無事、御旅所に収められ
担ぎ手たちが解散になると
わたしたちサポーターは俄然忙しくなる。
担ぎ手たちが先斗町の大将の店に戻って着替えを済ませ
出てくるのが午後の11時過ぎ。
それから食べて飲める店を
夜の先斗町、木屋町、祇園を奔走して捜すのだ。
年々、人数も増えてきたから
これがなかなか容易ではない。
いかに京都の繁華街とは言え
「お姉ちゃん」のいる店以外で
深夜営業している店はそう多くないのだ。
 
1年目は木屋町で見つけた小さなお好み焼き屋。
2年目はマンボが行きつけのクラブの「お姉ちゃん」に教えてもらった
祇園のはずれにあるダイニングバー。
3年目は日曜日だったので何処もかしこも定休日と早仕舞いで
散々探しまわった挙句、やっと見つけた「地鶏専門」の割烹。
全部、そこそこ美味しくて当たりだったけれど
燃え尽きて疲労困憊の担ぎ手たちは機嫌が悪くなるし
本当に大変だった。
 
そこで今年は事前にネットでチェックして
深夜営業の店を何店かメモしてきたのだった。
とは言え、不慣れな町で
スムーズに店が見つけられるか・・・ちょっと心もとなかった。
 
ところが・・・
これまで、先斗町の大将の店では
神輿会の方々だけが集まって打ち上げをやっていたのだが
今年は、わたしたちにもお呼びがかかったのである。
やったぁ〜〜〜っっ!
店が広くなったこともあるのだが
「女性もどうぞ!」ということで
こんな嬉しいことはない。
一気にサポーター責任から解放されるワタクシ。
 
古株の担ぎ手たちの武勇伝
祇園神輿会の裏話など等・・・
興味ある面白い話は尽きることがなく
盛り上がったのなんのって!
 
「あ〜〜〜っっ!
担ぎたかったぁ〜〜っ!
大将っ!神輿は見るもんじゃなく
担ぐもんだってこと
思い知りましたっ!」とマンボが叫ぶ。
「なんで担ぎはらしませんの?」と
大将に突っ込まれる学くん。
 
はしゃぎまくって一番盛り上がっているわたし・・・ん?
なんでだ?意味分かんない・・・。
 
やがて一人抜け二人抜けする中
その度に全員で
「よ〜さの!」しゃんしゃんしゃん、「よ〜さの!」しゃんしゃんしゃん、「よ〜っ!」と
手締めが行われ、帰る人を送る。
これがね、なんか妙に嬉しいんだな。
神輿会の一員になった気分。
 
結局、鳥になったものも出ず
幼児帰りするものもなく
無事、宴会がお開きになったのは明け方だった。
どうやら、それはわたしのせいだと言うのだが・・・。
本人、記憶なし。
 
祭りの後の寂しさ・・・なんて
全然なくって
とにかく楽しい夜であった。
2時間飲んだらお友達なんだよなぁ。
大将とすっかり意気投合してしまった。
わははは
 
後日、携帯に電話が・・・そう言えば
教えてって言われてホイホイ教えたんだった・・・。
「寄せてもらいまっせ。」
はぁ〜い!どうぞ!
これで大将もお仲間ですな。
 

Posted by mamedi5047604 at 15:11


2006年7月18日
いよいよ本番 パートU

予告通り、ホンダ家は
一族勢ぞろいで長男坊の晴れ姿を観にいらっしゃっていた。
両親とお姉さまご夫婦だそうだ。
東京からだよ。
(ホンダ君ってママそっくりなのね・・・)
奥様が「ご一緒させていただいて宜しいですか?」とおっしゃる。
もちろんですともさっ!
 
わたしたちは
八坂神社前で場所取りをしている人々を尻目に
迷うことなく境内へ入って行く。
八坂神社の神輿は渡御が始まる直前に
流しと呼ばれる背負い柱に神輿を据える。画像
見ての通り、この背負い柱だけでも
かなりの重量であることがお分かりいただけるだろう。
今年は東御座「四若」の神輿の流しが
100年目を迎えたとのことで新しいものに替えられた。
これが以前のものより数メートル長いのだ。
2本揃うと数十キロは違うんじゃないかなぁ。
 
屋根に青稲穂とお飾りを載せるのもこの時だ。画像
このお飾りも10キロ以上はあると思われる。
肩に担いでいる青年の腕に浮き出た筋肉の張りに注目。
錦の神輿は鳳凰だ。
純金ですってさ。
 
神輿の総重量は2トン。
これを22人で担ぐのだ。画像
境内を一周して本殿前で差し上げ(神輿を両手で高く差し上げる)をし
いよいよ出発である。
 
わたしのすぐ脇で見物していたホンダさんに感想を聞いてみる。
「すごいっ!
なんか感動しました。
鳥肌が立っちゃった!」
嬉しいねぇっ!
 
神輿についての薀蓄は
最初に詳細サイトを貼り付けたので
今更必要ないだろう。
けど、きっと何処にも書いていないプチ情報・・・
それは、わたしが祇園の神輿が好きな理由でもあるのだけれど・・・。
 
そもそも、わたしは祭りに対して
それほど興味を持っていたわけではなかった。
全国津々浦々・・・様々な祭りがあるけれど
そのほとんどは、庶民がお上から許された
年に一度の無礼講・・・贅沢・・・ガス抜きで
時の権力者たちの意図が関係したものが多く
江戸時代から始まった祭りはまさにそうだと言える。
ところが、祇園祭は庶民と公家が一体となって
厄病除けを祈願するために始めたもので
3基の神輿の一体が女性の神であることは稀有な存在だと思う。
夫婦と息子・・・の神様っていうのも珍しい。
とにかく権力者から「許された」んじゃないところがいい。
 
最近、女性の担ぐ神輿も少ないないが
祇園祭は女人禁制だ。
いつものわたしなら「むっ!」とするところだ。
女人禁制が女性を不浄と見なすこととイコールだから
「むっ!」とするのだ。
誰から生まれたと思ってんだよっ!てなもんだ。
が、御神体の一体が女性なのに・・・何故?
ここからはわたしの勝手な判断なのだが
祇園祭の神輿の掛け声に答えがあるように思う。
 
よく知られる掛け声は「わっしょい、わっしょい!」や
「そいやっ、そいやっ」「せいやっ、せいやっ!」など。
が、祇園祭りは「ほいと、ほいとっ!」と叫ぶのである。
なんとも力の入りにくい間の抜けた掛け声だ。
いったいどうして、こんな掛け声になったのだろう。
辞書で「ほいと」を調べると、「物乞い」「乞食」と出てくる。
神輿を担ぐのにご利益を「乞う」気持ちがあっても不思議ではない。
が、わたしたちに祇園祭のレクチャーをしてくれた大将は言う。
「これは、内緒でっせ。(言っちゃってるけど)
ほんまのこと教えたりましょか?(これは大将お得意のフレーズ)
『ほいと』言いますのはな、『ほと』・・・
つまり女性の性器のことを指しますのや。
男衆がみんなで『ほいっと、ほいっと』と叫びながら
跳ねて跳ねて神輿の鈴をしゃんしゃんと鳴らしますやろ。
『かあちゃんのあそこに鈴の音が届け!』
『あの娘のあそこにご利益が届け!』
そう言いながら、神輿を担いどるんどすわ。」
大将のレクチャー「ほんまのこと」は延々数時間にも及ぶので
省略させていただくが
その諸々を聞いていくと
祇園祭の神輿は「女性賛歌」の意味合いが強いのではないか?
とも取れるのである。
意中の女性に「男」を見せるために
必要以上(としか思えない)に重い神輿を担ぐ。
「ほいっと、ほいっと!」と叫びながら。
 
なんか良くない?
 
もしさ、自分の惚れた男が
祇園の神輿担いでくれたら
惚れ直しちゃうよねぇ〜〜〜〜っ!?
 
さめざめ・・・←いない
 
仕方がないから
せめて、ナオトでも応援してやっか!画像
 
今年は21年ぶりという土砂降りの中
随分、早めに神輿は御旅所に到着した。
そのおかげで見物人も半分くらいだったので
ベストポジションで最後の「まわし」を見ることが出来た。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
けど、カメラは持って行けなかったのだよね。
残念無念。
しかも「錦」の時には携帯カメラ向けてるどころじゃなくて・・・。
手拍子して応援しちゃってたから。
 
肩に痛々しい痣と擦り傷を負いながらも
満足感に浸っているみんな。
雨のご利益はここにもあって
雨で冷えたことによって炎症が最小限に食い止められたのだった。
体力の消耗も例年以下だ。
結果オーライかねぇ。
 
さて、これから打ち上げ宴会が始まる。
 
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 14:51


2006年7月17日
いよいよ本番!

いよいよ当日となった。
朝7時、ミチャエから電話が入る。
「ロビーにいます。」
そうだ迂闊にも、お見送りするね、なんて言ってしまったのだった。
と、言うよりも、ダイバーKとナオトは起きたのだろうか?
「ナオトには電話しましたけど、ダイバーKにはしてません。」
え?なんで?
してやってくれよぉ〜〜。
昨夜の乱行が祟ったのか?
 
ホテル内の電話をかける。
案の定、ダイバーKは寝ていた・・・。
「それよっか・・・背中と腰がすっごい痛いんですけど・・・。」
「知らん!」
「どうなってるか見ます?」
君、日本語間違ってるよ。
どうなっているか見てくださいだろっ!
「見ない!」
 
この分じゃ、絶対起きているわけはない
マンボ、ヨッパ、学君も起こしてやれ!
この際、道連れじゃっ!
ドロドロの状態ながら全員起床。
「なんで起こすのぉ〜〜?」
「なんでもっ!
今年は山鉾巡業も引かないし、神輿も担がないんだから
せめてお見送りくらいしなさいよねっ!」
「ふぁ〜〜い・・・。」
渋々、ロビーに下りてくる。
 
一応、みんなでお見送りが出来た。
ホンダ君も一緒に行動・・・が、妻は?姿が見えない。
あら、寝てるのねぇ。
 
「みんなの言うことをよく聞いて頑張るのだぞ!」
わたしがそう言うと
「飲みすぎて気持ち悪い・・・。」
と、ナオトは青い顔。
ったくしょうもないやつだ。
 
ダイバーKはミチャエに背中を見てもらっている。
「痛いんだけど、どうなってる?」
「痣になってますけど、これで済んで良かったんじゃないですか?
なにしろあの階段から転げ落ちたんですから。
で、どうして飛んだんですか?」
「覚えてないんだよねぇ。」
「あ〜ね〜。」
 
どんよりと曇った空は今にも泣き出しそう。
このまま天気がもってくれればいいが
担ぎ手組の体調を考えれば晴れていない方が断然いい。
これで例年のような炎天下では
皆の体力は神輿までもたないだろう。
 
居残り組みは、みんなが引く菊水鉾が御池通りを通る頃に
現地に向かおうということになった。
 
朝食後、「もう一回、寝かせて・・・。」と
マンボ、ヨッパ、学君は部屋に消える。
気が付くと外は雨・・・。
そこへ名古屋に来ているたぁちゃんからメールが入る。
「今、新幹線に乗った。」
祇園祭のことは、以前話しておいたのだけれど
予定がはっきり決まらないとのことで
メンバーには入れていなかったのだ。
夫と社会人になって久しい長女はともかくも
まだ高校生の3女がいるので
そう簡単に家を空けるわけにはいかない(そうか?)
次女が名古屋に単身赴任していて
そこへ遊びに来ているとのこと。
「足を伸ばして京都まで来なよ。
合流しよう!」と誘ったら
このメールとなったわけだ。
計画的犯行だな・・・。
たぁちゃんが着くまでそのまま待つことにする。
ホテルに隣接するジョナサンの窓からは
京都駅がよく見渡せるからだ。
 
「実はダイバーKの腰・・・少し切れてるんですよね。」
「え?そうなの?」
「ええ。でも、それを言うと
余計に痛いと騒ぎだすに決まってるから
言わないでおいて上げました。」
う・・・なんて優しい(?)ミチャエちゃんなんでしょう!
雨脚はどんどん強くなって
ついには土砂降りとなった。
ミチャエの携帯が鳴る。
「ん?
バンドエイド?
そんなもん詰め所かどっかに必ずあるはずだから
そこでもらいなさい。」
きっぱりと断言して電話を切るミチャエ。
「ダイバーKが傷に気が付いたらしくて
じぃじ(彼女は自分の夫をそう呼ぶ)に泣きついたらしい。
で、バンドエイド持って来てくれ、なんて言う電話だったんですけどね。
行くわけないじゃない。」
ぱちぱちぱち・・・あなたは正しい。
 
程なくしてたぁちゃんは京都にやってきた。
わたしの部屋で寛ぐ。
「ねぇ、今晩此処に泊まってちゃいなよ。
神輿見ないで返るのはもったいないってば。」
「え?いい?そうしちゃおうかな。」
もちろん・・・いいわけないんだけどね・・・。
「良かった♪
何故か化粧道具だけはしっかり持ってきたのよ。
パンツは100円ショップで買おうっと!」
「・・・100円ショップっすか?裏返しに履けば?
それに化粧なんてしなくても大丈夫だよ。」
「駄目!絶対に駄目!
すっぴんで歩いたら犯罪だよ。
それにさ、裏返しってねぇ、いっくらわたしでもそれはしないって。」
「あははは・・・そっか。」
 
今年の菊水鉾は17番目に巡業に出る。
昼過ぎにならないと御池通りまで到達しない。
居残り組みは12時にホテルのロビーに集合となった。
もちろんそのためには全員に電話をかけて叩き起こさなければならなかった。
タクシーで御池まで来ると
雨は少し小降りになった。
菊水鉾がちょうど見えてきた。
雨のせいで人出は例年の三割減というところだろうか。
祇園祭ツアーの観光客には山鉾巡業の方がメインだから
夜の神輿の時にはもっと減るだろう。
辻回しには多少時間がかかるので
前がつかえて山鉾が止まっている。
担ぎ組を捜す。
いたいた!
全員固まって引いてるのですぐに分かった。
雨に打たれて浴衣が肌にへばりついている。
「さみ〜〜〜〜よぉ〜〜〜!」
それでもにっこり記念撮影。
みんな本当に寒そうだ。
 
山鉾巡業の見所は4回の辻回しと
新町のような細い道を鉾で通るところ。
鉾には舵取りがついていないから
大きな木車に木のへらをかませて方向を調節する。
屋根の上に乗っている人たちはバランスを取って
鉾が民家や電信柱にぶつからないようにするのだ。
これは昨年の写真。
写真1・・・菊水鉾
写真2・・・新町に入ってきた菊水鉾
今年は雨が降っていたのでカメラは持っていかなかった。
 
新町を通過すると終点に近い。
本来なら最後の手締めとお囃子を聞いてお開きまで見て
昼食というのがセオリーなのだが・・・
「お腹が空いたよぉ〜〜〜〜!」
とヨッパちゃんが駄々をこね始めたので
仕方なく(そう、仕方なく)
去年と同じ中華料理店に入る。
去年は30分以上待たされたのだが
今年は15分ほどで席が確保出来た。
ビールの後に紹興酒を3本も空けるのん兵衛たち・・・。
こうして優雅に神輿の準備の時刻まで時を過ごす。
一度ホテルに戻り、わたしとたぁちゃん、ミチャエの3人は
ビニールの大袋で簡易の雨合羽を作った。
雨が降ってきたら
傘を差しながらの神輿見物は窮屈だ。
他の人の邪魔にもなる。
たぁちゃんは160センチもないが
わたしとミチャエは170センチもあるのだから。
 
担ぎ手たちは、山鉾巡業のあとすぐにサウナへ直行し
カツ丼(何故かこれがお約束らしい)をかき込んで
先斗町の店へ行く。
そこで法被を配られ世話役の親父さんに晒しを巻いてもらうのだ。
丁稚どんのようなナオト
これが今年の担ぎ手組の面々
お清めの塩を振ってもらい
親父さんの激励の一言を聞く。
「よ〜さの」しゃんしゃんしゃん「よ〜さの」しゃんしゃんしゃん「よ〜!」
手締めをしていよいよ八坂神社へ出立だ。
 
見知った顔がたくさんいる。
わたしたちも4年目だからなぁ。
マンボがみんなにからかわれている。
まだ杖をついて足を引きずっているが
身体と声はでかい。
やたら元気に見えるのだ。
「どないしはりましたん?」
ゴルフ場でバンカーに落ちて骨折したことは
もう周知なんだけどね。
 
18日版に続く・・・
 
 

Posted by mamedi5047604 at 10:02


2006年7月15日
4月馬鹿ダミアンの呪い

さて、いよいよ京都に旅立つ前日・・・現地では宵々山・・・
着々と準備は進められ
わたしも朝から掃除を済ませ
残すは洗濯と荷物の最終チェックのみという段になった。
その後、夕食の支度
留守中、斉君が食べるカレーライス作りをすれば
完璧だったのだ。
 
しかし、わたしは侮っていた・・・4月馬鹿ダミアンの呪いを・・・。
 
鼻唄交じりに洗濯物を小分けして
その一つを洗濯機に放り込みスイッチON!
と、その時だった・・・。
げげげげっ!
な・なんと、給水が始まった途端
洗濯機の下から水がダァ〜〜〜〜〜っと流れ出てくるではないかっっ!
んな、馬鹿なっ!!
「わわわわわっ!」
大急ぎでバスタオルやら足拭きマットを突っ込むわたし。
 
洗濯機を止めてしばし呆然・・・。
いったいどうしたと言うんだ?
確かに、ちょっと前から
洗濯機を回す度に奇妙な音が出ていた。
それはナオト曰く、「回しすぎた洗濯機の悲鳴に聞こえる」
 
排水パイプを調べる。
何処にも亀裂は見当たらない。
しかも、排水ボタンを押すと
下からの水が減って正常に排水される。
タンクが駄目になっちゃったのかな?
駄目元でもう一度、洗濯機の電源を入れてみる。
給水開始・・・・ダ〜〜〜〜〜〜ッ。
え〜ん、やっぱり水が出てくるよぉ。
ごぉ〜ん、ごぉ〜〜ん・・・回り始めたタンクの動きも
明らかに変だ・・・ちっとも洗濯物が回転していない。
 
一足先に、夜行高速バスで旅立つナオトが
朝食を食べながら一部始終を見ている。
「え〜〜〜っ、どうしよう!
まだ買って5年しか経ってないのにぃ〜〜!」
「そりゃ、真理さん。
家電の場合、年数より使用回数の方が問題なんじゃないんですか?
誰がどう見たって、この家の洗濯機は
使用回数が半端じゃありませんもん。
耐久回数を越えたんですって。」
生意気なやつめ。
お前に言われとうないわっ!
 
一般家庭の使用回数って何回くらいなんだろう?
我が家の場合、斉君の白衣で一回(漂白剤使用のため)
作業着で一回(魚臭くて他のものとは洗えない)
ナオトの作業着で一回(馬鹿がしょっちゅうポケットに色んなものを入れっぱなしにするので
うっかり他のものとは洗えない。他人のポケットを探るのはチェックの為でも嫌だ)
普通の服で一回。タオル類で一回。
わたしの下着類で一回。
最低6回は回す。
これにシーツが加われば数回増えることとなる。
 
と、そんなことはどうでもいい。
とにかく、中途半端に洗剤まみれにしてしまったタオル類と
漏れてきた水を吸わせてしまったタオル類・・・
匂っている斉君の白衣に作業着・・・これらを放っておくわけにはいかない。
それに、わたしが留守中溜まるであろう洗濯物のことを考えると
果てしなくブルーになっていくわたしの心。
ひぃぃぃん!
 
「買うしかないんじゃないかな。
多分、修理代の方が高くつきますよ。」
お前は何様だっっ!
くそナオトっ!
祇園祭に行けることがミラクルだっちゅうに
洗濯機を買う金なんて何処にあんだよっっ!
 
某大柄よ!
皿を割るくらいじゃ、この呪いは解けないぞっ!
 
 
 
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 15:19


2006年7月14日
4月1日生まれの呪われしダミアン

さて、これから京都紀行祇園祭偏に入る前に・・・序章
 
わたしは神仏を信じないと広く宣言するわりには
結構、縁起を担いだり
神社仏閣を巡ったり
かなりいい加減なやつではある。
はっきり言って、色々な意味で面白ければ何でもいいのだ。
で、これから書く事柄は
洒落の範疇であってネタに過ぎないので・・・そこんとこ宜しく!
 
 
ついているやつと、そうでないやつ・・・
というのがいる。
若しくは運のいいやつ、悪いやつ、とも言う。
そういう括りで考えると
ナオトは間違いなく「運の悪いやつ」で「ついてない男」である。
旅行中に知ったことだがナオトは
厄年というものの前厄に当たる年回りだそうだ。
それも関係しているんだろうか?と密かに怯えるナオト。
「そうだよね、これが前じゃさ、本厄はどうなんのよ!って話だよね。」
追い討ちをかけるワタクシ。
 
そもそも、我が家にナオトがやってきたその日から
歯車は静かに狂い始めたのだった。
 
昨年の祇園祭・・・ナオト初見物の日・・・
菊水鉾は信号機にぶつかり大失態。
新町では突然引き綱が切れ
あわや大事故になるところだった。
 
秋・・・北海道の実家に帰省したナオト。
冷夏に震え風邪を引く。
実家で父親の車を運転しスピードを出しすぎて
カーブを曲がりきれず脱輪。
救出に来た父親の4輪駆動車に上げた車が坂道で転がり激突。
ナオトが乗った車は大修理の羽目に。
 
紅葉狩りの宴会で調子に乗って酔っ払い
トイレと間違って斉君の部屋の洗濯籠に吐くナオト。
 
ナオト愛車のフェアレディーゼットが飛んできた看板に当たり
傷だらけに・・・。
 
新年早々、通勤途中
職場の軽トラで凍結した路面を走行するナオト
ところがブレーキが滑って制御不能に。
中学生に接触し人身事故。
軽傷で済んだことが何より。
 
マンボ、骨折。ナオトの誕生日・・・4月1日のことだった。
 
ヨッパちゃんぎっくり腰。
 
若鮎を食べに行った中伊豆で
ナオトの行動に目を取られたわたしは
エルグランドの下に入り込んだ石に気づかず
そのまま踏んで巻き込み車体下回り大破・・・泣く。
しかも若鮎はまだ獲れてなかった。
 
相模大野の寮に荷物を取りに行ったナオト
勝手に人の駐車場に車を停め
駐車違反で警察に連行寸前。
駐車場の借主がたまたま同じ会社の人だったと判明して
許してもらう。
 
ナオト、職場で開けてはいけないバルブを開け
本社から上司が駆けつけ大目玉を食らう。
 
厄落としに神輿を担ぐため京都に向かうナオト。
節約のため、深夜高速バスに乗るも
バス会社の不手際で出発が遅れ
加えて名神で事故があり5時間もの通行止め。
よって3時間遅れで京都に着く。
 
ナオトの呪いまだまだ続く模様。
 
一連のこれらの事件を振り返り
呪いの及んだもの一同(?)
集まって話し合う。
「ナオトって厄病神みたい・・・。」
「ダミアン?」
「ダミアンはさ、6月6日の6時に生まれたんじゃん?
ナオトは、4月1日・・・エープリルフールに生まれたんだよね。」
「4月馬鹿?」
「まんまじゃん・・・。」
「4月1日生まれの呪われしダミアンか・・・。」
「かっちょ悪い・・・。」
 
この話をしたところ
「真理さんはそんな風に僕のことを思ってたんですかっ!」と
激怒するナオト。
「ばぁ〜〜〜〜〜〜か!
傷ついた顔すんじゃないよ。
ネタだよ、ネタ!
大人になれよなぁ〜。」
「ぶぅ〜〜〜〜〜っ!」
 
厄年よりも
大人になるための道は厳しいのだっ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 12:45


2006年5月23日
旅は楽しい

5月最大のイベントが終わった。
静岡市で催されたDef Techのライブは
期待を裏切らない内容だった。
出来ればこれくらいの規模で(市民会館レベルで)
B'zのライブも聴いてみたいものだなぁ。
息子がファンクラブに入っているから
チケットは取れるのだけれど
B'zのライブは東京ドームだの横浜アリーナだのと
スケールが大き過ぎる。
実物が胡麻粒くらいにしか見えなくても
「やっぱりライブは違う。」と言われるんだけどねぇ・・・。
 
今回訪れた静岡市というところは
伊豆地方に住んでいるものにとって
微妙な位置関係にある場所だ。
県庁の分署が沼津と下田にあるので
役所関係の処理はそこに行けば済んでしまう。
都市の大きさとしても
車で2時間かけて行くほどのところではない。
特に東伊豆に住んでいると30分から1時間多くかけても
横浜や東京に行く人が多いのだ。
静岡市に行く機会などあまりないのではないだろうか。
 
わたしが以前静岡市に行ったのは
息子と一緒のドライブであったが
登呂遺跡や焼津の魚市場、日本平、三保の松原
清水の次郎長記念館など
静岡市周辺の観光名所を回ったものであった。
 
今回初めて静岡市の繁華街をメインに行動するというので
色々調べてみることにした。
駿府城を中心とした城下町であること。
戦後、その外堀を埋め立てて商店街が建ち並び
1950年代半ば頃から町には屋台が出没するようになったこと。
その規模は屋台の町で有名な博多を凌ぐものであったらしい。
屋台のメニューの中心は「おでん」
それが「しぞぉ〜かおでん」として有名になったのは
ここ5年から6年くらいだということ。
年に一回、世界大道芸人大会が行われること。
 
屋台好きなわたしとしては
俄然、興味が沸いてきた。
 
わたしは酒飲みで食道楽だから
旅先では必ず地元の人が常連で通うような居酒屋を探し
そこで腰をすえて飲むことにしている。
常連を多く抱えている店というのは
繁盛しているだけに店主の人柄がいい。
人柄のいい店主は客を選ぶ。
そういう店は客筋も良いのだ。
出来れば地域性のある肴を揃えてくれる店であって欲しい。
 
静岡駅周辺の繁華街のはずれ・・・
青葉横丁と青葉おでん街。
1970年代に入って撤去された屋台が
協力して建てた飲み屋街である。
一店舗10〜15席程度のカウンターが中心の店だ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こんな怪しい(?)飲み屋街見たことある?
思わず「うわっ!」と声を上げたほどだ。
似たようなところで、新宿のハーモニカ横丁(別名小便横丁)があるが
ピンクじゃなかったし・・・。
提灯の多さにも圧倒される。
 
いつもは常連で席は埋まっていて
滅多に座れることはない、と言われている店を覗いてみる。
「3人なんだけど空いてる?」
外から見るととても座れそうにはない。
が、そこが常連客をいっぱい抱えている店の素敵なところなんだけど
客が自主的に詰めてくれて
新参者にも客となるチャンスを提供してくれるものなのだ。
 
わたしの食いっぷりと飲みっぷりは
自分で言うのもなんだけど
かなりいけてる方だと思う。
これは店側にとって優等生的客である。
店の主と仲良くやっていくことも
飲み手として重要なポイントだ。
店の主と楽しく愉快に会話を交わしながら
ガンガン飲み食いしていれば
その店の常連とも必ずや顔見知りになること請け合いだ。
 
今回も桜海老で有名な由比町に住んでいたという
サラリーマンの望月君と友達になった。
「是非、遊びに行きますんで!」
住所と電話番号の交換。
もちろん店のおかみさんとマスターとも仲良しになった。
 
この辺の飲み屋は一人2000円もあれば充分に楽しめる。
 
11月の世界大道芸人大会にでも
また来ようかな・・・。
 

Posted by mamedi5047604 at 18:36


2006年4月13日
南信州の旅 V

飲んで喰ってお喋りして・・・みんな大酔っ払いで・・・
楽しかったなぁ。
翌朝は6時に目が覚めた。
まめぢの散歩がてら、駅前の自動販売機にお茶を買いに行く。
酔い覚めには充分な水分補給が必要だ。
天気は快晴。
昨夜、イラストレーター氏が言っていた。
「いや、空がどんどん明るくなって晴れてきたからさ
姐さんが近づいてきた!って本当に思ったもん。」
南信州でもわたしの晴れ女伝説は知る人ぞ知る。
偶然なのは分かっているが
こうも重なると必然になってくるようで面白い。
 
帰路に向かいながら
高遠の桜にもう一度挑戦し
中央高速に戻って
茅野に寄り道、蓼科まで足を延ばして
温泉に浸かり蕎麦を食べる、のが本日の予定。
まずは駒ヶ岳サービスエリアで朝食を取る。
ご当地名物がたくさん売っていたので
少しずつ試食してみることにした。
ロースカツサンドが絶品だった。
 
伊那インターを降りると
昨日とは打って変わって
コヒガンサクラが6部咲きくらいになっているのが見られた。
「もしかしたら・・・」
期待が膨らむ。
が、城址公園に近づくにつれ
桜は蕾の方が多くなり・・・
とうとう一本の木に数個の桜しか咲いていない状態になり
現地に至る。
残念だ。
1週間早かった。
自然相手のことだから仕方ないのだけれど・・・。
 
中央高速に戻り諏訪湖サービスエリアを目指す。
お土産を買う。
どうしても食材に手が伸びてしまう。
ハナマメ、山くらげ、行者にんにくetc.
みやげ物は知らないうちに増えていく。
 
エルグランドはガソリン喰いの車である。
車重があるので仕方ないのだが
この燃費の悪さには辟易する。
しかもハイオクガソリンだ。
ガソリン代は馬鹿にならない。
ここでガソリン代情報。
南信州のガソリン代はべらぼうだっ!
リッター150円なんていうスタンドもあった。
諏訪では145円だった。
ガソリン料金の格差はいったい何を根拠に生まれるのだろうか。
ガソリンの運送費という話を耳にするが
以前、石油会社に勤めていた人に聞いたところでは
「そんなことはないはず。」ということだ。
隣の県の山梨では一気に137円に下がる。
これは伊東と変わらない。
沼津まで耐えれば133円になるので
ハラハラしながら高速を走った。
 
茅野で一旦、高速をおり
ビーナスラインを走って蓼科へ向かう。
蓼科湖の先にある小斉温泉を目指す。
蓼科にある温泉は何処もほとんどが源泉かけ流しである。
これは温泉を選ぶときの基本だ。
加水くらいならまだ許せるが
循環式は駄目だ。
温泉というのは時間が経つとどんどん効能が薄れていくそうだ。
加えて循環式の場合、衛生面の問題もあり
細菌の繁殖を抑えるために浄化したり消毒剤を入れたりしているので
元湯は温泉でも数時間も経てば全く別の水質に変化してしまっている。
偽温泉の事件があってから
温泉の表示にはうるさくなったことは大変喜ばしい。
ガイドブック等に温泉の方式が細かく記載されているので
参考にするといいと思う。
小斉温泉はこじんまりとしていたが
露天風呂も多くありひじょうに泉質の良い温泉であった。
 
温泉から出て蕎麦や巡りをする。
手打ちと銘打っている店は何処もはずれがない。
旨い。
茅野駅前の食堂のような蕎麦やでさえも
かなりのレベルだった。
 
しかし、ビーナスラインが伊東の県道みたいだったのには
ちょっと驚かされた。
迷ってしまったかと思ったくらいだ。
 
いよいよ家路をたどる。
中央高速は山梨に入った。
すると・・・高速の両側がピンク色の霞に染まって
何処までも広がっている光景が目に飛び込んできた。
桃の花だ。
美しい。
桃源郷である。
高速は一段高く位置するので
ピンクの雲の上を走っているように感じる。
高遠の桜にはふられてしまったが
以前から見たいと思っていた桃の花に出会うことが叶った。
 
今回の旅も本当に楽しく愉快で言うことなしっ!!
 
ああ!今度は何処へ行こうかな♪
 
追記
帰宅するとナオトが
「今度は僕も連れてってください。」と言う。
いいよ、休みが合ったらね。
どうも一人でつまらなかったようだ。
あづきはすっかりナオトになついていた。
お前はゲンキンだねぇ。
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 12:52


2006年4月12日
南信州の旅 U

朝5時半起床。
まめぢを連れてサービスエリア内の緑地を散歩する。
目の前には朝もやに煙った諏訪湖が
静かに横たわっている。
前日まで降り続いた雨はすっかり上がって
雲の切れ間から青空が覗いている。
今日の長野の天気予報は曇りだが
この時点でわたしは天気の心配を全くしなくて良いと確信した。
ほんと・・・怖いくらいに・・・晴れ女だ。
 
いつもあづきや金ちゃんに奪われている座を独り占めしているせいか
まめぢはいつになくご機嫌だ。
車の中でも落ち着いている。
 
まめぢの身体を拭いて餌をやり
エアーマットを畳む。
午前7時開店のエリア内のモスバーガーへ行く。
(くだり方向にのみにある)
諏訪湖を眺めながらモスバーガーセットを完食した。
 
斉君は一足先に外に出て一服タイム。
車の中はもちろん禁煙だ。
理由・・・エルグランドの掃除をするのはわたしだから。
決してタバコの煙が嫌だから、という理由ではない。
何故ならば、3年前まで愛煙家だったわたしは
タバコの煙に嫌悪感は全くないのだ。
が、まめぢの毛だけで掃除をするのが憂鬱なのに
人様の吸うタバコの始末までする気はない。
「吸いたければ掃除してね。」と言ったら
斉君が自主的に外で吸うことを選択したのである。
因みにタバコは今でも吸いたいと思うことがあるが
人の吐くタバコの煙で誘われる、または惑わされることはない。
 
7時半出発。
携帯の電池がそろそろ切れ掛かっているので充電しよう、と思いつく。
車のライターに繋げて携帯電話の充電が出来る機材を
先日、買って入れておいたのだ。
ライターをはずして充電器のプラグを押し込む。
あれ?どうも変だ。おかしい。
規定の位置までプラグが入らない。
プラグを抜いてライターを入れてみる。
ライターは普通に入る。
「へんだなぁ。」
もう一度、試してみようとライターを抜いたら
ライターがぼっと炎を上げた。
「わっ!」
火はすぐに消えたが、プラスチックの焦げる匂いが
車内に充満する。
「なんだ、なんだ?」
少し間をおいてライターケースを覗いてみると
プラスチックの溶けた塊が出てきた。
「なんじゃ?こりゃ・・・」
そう言えば、以前学君が
自分の車で使っていた携帯電話の充電器をくれると言って
差し込んだが上手くいかず
「壊れちゃったのかなぁ?」とすっとぼけたことを言ってたっけ。
あの時、きっと部品の何処かの部分が
ライターケースの中に落ちて
詰まっていたのかも知れない。
 
案外、簡単にプラスチックの塊は出てきたし
他には何も詰まっていないようなので
充電器を差し込んでみる。
今度はしっかりと差し込むことが出来た。
が、充電器の付くはずのランプが点灯しない。
これは充電器に電気が通っていない証拠だ。
「さっき無理に押し込んだから壊れちゃったのかなぁ。」
わたしもすっとぼけたことを呟いてみる。
「いよいよ電池が切れたらコンビニに行って
使いきりの充電器買えばいいじゃん。」
呑気に斉君が答える。
そーだ、そーだ、そーしよう・・・。
 
そんなこんなで諏訪インターに到着。
中央高速上り方面を一度降り
どこかでユーターンして下り方面に乗り換えるのだ。
 
毎度のことだが
ETCには未だびびるわたしたち。
 
しかし!
びびっていて良かった!
ETCが反応しないのだ!
「げっ!」
停車すると即効で係員が走って来た。
「どうされましたか?
カード読み込み不可っていうエラーメッセージが出たんですけど。」
ETCカードを差し込んでいる機材を見ると
緑色のランプが消えている。
電気が通っていないのだ。
 
はっ・・・もしや・・・
「さっきのライター事件(もぉ、事件かよっ!)で
ケースの中が異常に熱くなったんで
サーモスタットかなんかが働いて
電気を遮断しちゃってんじゃないの?」
「それはありうる・・・。」
係員にカードを渡すと
「カードに問題はありませんでした。
決済しておきましたから。」と手動で情報を入れてきてくれた。
 
「諏訪にニッサンがあるはずだから
ちょっと見てもらおうよ。」
 
メカにひじょうに弱いわたし・・・より更に弱い斉君。
ETCが正常に作動しないことに大いにびびる。
104でニッサンの営業所の電話番号を調べる。
早速、かけてみるが8時半からの営業で
留守番電話設定になっている。
仕方がないから直接行って待っていることにする。
場所はすぐに分かった。
自動車販売店というのは一箇所に固まって建っていることが多いものだ。
 
営業時間前だったが、事務所の中には
既に働く営業マンの姿が見える。
わたしたちの車を見ると出てきてくれた。
「どういったご用件でしょう?」
かくかくしかじか・・・事情を説明する。
「まだ、整備担当のものが出社しておりませんが・・・。」
ちょっと見てみましょう、と彼がハンドル下のパネルを開ける。
すると、そこには小さなブレーカーのような盤がはめ込まれていた。
まさしく、それは車内の電気系統を制御するための
ブレーカーのようなものであった。
「あぁ、切れてますね。」
ライターのヒューズが溶けてしまっているらしい。
それで同じ系統から電気を取っているETCのシステムにも
電気がいかなくなってしまったのだ。
予備のヒューズを取り替えてもらって問題は解決した。
「あの・・・おいくらになりますか?」
「はい、部品代に150円いただければ・・・。」
「え?そんなぁ〜。」と言いながら150円を差し出すわたし。
 
「あのさぁ、ああいう時って
缶コーヒー代に500円くらい置いてくるもんじゃないのぉ?」
走り出してから言う斉君。
「いや、1000円くらい置いてくるべきだった。」
150円しか出さなかったことを棚に上げてのたまうわたし。
どっちもどっちだ。
ニッサン諏訪営業所の方、
吝嗇者で済みませんでしたっ!!
 
出だしで躓いたが
その後はスムーズに伊那インターに到着。
通い慣れた道を高遠に向かう。
やがて城址公園の小高い丘が見えてくる・・・。
駄目だ。
やっぱり桜はまだだった。
桜の花が咲いていると
城址公園そのものが
大きな花かごのように見えるはずなのだ。
それが、中に建つ建造物が見えてしまっている。
一応、城址公園まで上がってみるが
やはり蕾は固く閉じたままだった。
 
空は綺麗に晴れ上がってきたが
肝心の桜がこれじゃぁ・・・。
「飯田の桜は満開らしいから。」
自分を慰めるように呟いてみる。
 
予定では飯田インターで降りて
木曽路に向かい
途中のあららぎ温泉で日帰り温泉に浸かって
妻籠宿で昼食の蕎麦を食べることになっている。
時間は早いが予定通りに行動することにした。
高遠のコヒガンザクラが開いてないようでは
飯田から木曽路に抜ける道の途中にある
「黒船桜」もまだに違いない。
これはみごとな枝垂れ桜なのだが
コヒガンサクラより更に開花が遅いのだ。
案の定、黒船桜は蕾すら目立たない状態であった。
 
まぁね、温泉も良かったし
蕎麦も旨かったから良しとするかね。
 
飯田に戻り、駅前の市営駐車場に車を入れる。
ここから10分ほど歩いたところに
諏訪大宮神社があって
そこまでの街道沿いが桜並木になっているのだ。
厳密には、この桜はソメイヨシノとは違うような気がするのだが・・・。
先日、桜の本を立ち読みしたら
その種類の多さに驚かされた。
いつか、研究してみたいものだ。
 
それは満開でみごとなものだった。
樹が古いので
花も重厚で美しい。
真っ黒な幹に可憐な桜の花がよく似合う。
写真を撮って、花を愛で
堪能させていただいた。
 
駅前に戻り、馴染みの暖簾をくぐる。
〆清・・・おでんやだ。
コの字に切ったカウンターだけの小さな店。
まだ時間は4時を廻ったばかりだというのに
わたしたちが座るともういっぱいだった。
肴はおでんと馬刺しとおたぐり、漬物のみ。
おたぐりとは馬のモツ煮のことである。
材料となる馬の腸を洗う作業が
たぐりながらであることから
馬のホルモンを「おたぐり」と呼ぶようになったのだとか。
しかし、今回はおたぐりはパス。
何故なら次の店で食べることにしているから。
ここでは必ずおでんの豆腐を注文する。
大きな豆腐は厚みが5cm以上はある。
長さ10cmといったところか。
長野では一般的な、しっかり作られた豆腐である。
十分に出しが沁みていてそれだけで美味しいのだが
そこに葱だれをかけてもらうのだ。
葱だれはカウンターの下の壷の中に入っており
豆腐と巾着のみにかけてもらえる。
そして、馬刺し。
ここの馬刺しは臭みがなく
甘みがあって旨い。
しかも安い。
すぐこの後に、飯田の仲間と別の店で宴会をやる予定なので
ビール一本にとどめておく。
店の店主はニコニコとわたしたちの顔を見ている。
時間があれば会話したいところだが
ここはぐっと我慢して・・・。
また、秋には来ますんで。
 
駅前からビール一本がちょうど冷める距離を歩くと
急勾配の坂道の麓に
これまた間口の小さな一軒の飲み屋が存在する。
地元の人でも
通のみぞ知る店である。
どうして知ったのか、と言えば
5年前に駒ケ岳サービスエリヤで買った地元出版のガイドブックに
たまたま載っていたからなのだ。
その年の編集者が酒好きだったと見え
その年のガイドブックだけ飲み屋の情報が充実していた。
館長(その店ではマスターをそう呼ぶ)も
「よぉく見つけたなぁ。」と笑う。
自然食、手作り・・・そんなことに当たり前に拘った居酒屋だ。
そこのカウンターで知り合った
伊那谷在住のイラストレーターとその仲間たち・・・が
宴会のメンバーである。
イラストレーターは仮の姿で
シンガーソングライターという噂もある。
 
身体は100キロは越える巨漢の持ち主でありながら
研究はショウジョウバエ、という変り種の昆虫学者もいる。
因みに彼は、毎年クリスマスになると
髭と髪を白に染め
マイサンタクロースの衣装に身を包んで
子供のいる知人宅を廻ってプレゼントを配り歩く。
 
館長ももとはと言えば
ギターを作る職人であった。
 
面白くて素敵でワクワクする人々。
 
飲んだ!
もぉ、言うことなっし!

Posted by mamedi5047604 at 14:05


2006年4月11日
南信州の旅 T

毎年恒例となっている高遠コヒガンサクラ詣でも
今年で7年目を迎える。
出逢いは本当に偶然であった。
あれは斉君が免許を取ったばかりの春。
ある朝、「ドライブがしたいっ!」という斉君の要望と
いつでも何処かへ出かけたいわたしの願望が一致した。
天気は上々。
気の向くままに富士山を目指す。
晴天に映える富士山はわたしにとって強烈な吸引力を持つ。
三島から裾野、御殿場を過ぎ富士五湖道路に出る。
予定ではそのまま河口湖まで行って富士を一周するルートを取るはずだった。
というのも、それはわたしにとって
通いなれたドライビングコースだったからである。
 
ところが、意外に早く富士五湖道路に乗ってしまったもので
ちょっと物足りなさを感じ
少し足を延ばして中央高速まで行ってみようか、ということになった。
初めての遠出で緊張しっぱなしの斉君には
そんな余裕はなかったのだが
もちろんわたしの「思いつき」・・・いつもの気まぐれだ。
大月ジャンクションの手前の長いトンネルで
斉君の様子が一変する。
中央高速の最初のパーキングエリアで運転交替。
「トンネルって怖い・・・」
そう言う斉君の運転が怖い・・・。
 
適当な所で高速を降り
ユーターンをして帰ろうと思っていた。
こういう時、知識として知っている地名に降りるのがセオリーと言うものだろう。
諏訪インターまで走ることにする。
諏訪インターを降りると「東洋一!高遠コヒガンサクラはこちら」という
たて看板が正面にどーんと据えてあるではないか。
しかも「今日現在見ごろ」との掲示まである。
「へぇ。」
さも、すぐそこ・・・近所、みたいな書き方。
地理的に知っていれば、そこから1時間以上かかることは
容易に分かったことであるが
無知とは恐ろしい。
「せっかく此処まで来たんだから
ちょっと寄って行こうか?」
軽い気持ちで看板の指し示す方角に向かう。
山越えだった・・・。
引き返すに引き返せない田舎道。
行けども行けども田舎道。
泣きそうになった頃、高遠城址公園の駐車場待ちの渋滞に嵌っていた。
泣けた。
その頃にはやけくそになっていた。
 
そして、たどり着いた高遠の城跡は・・・
文字通り桜の花に埋もれていた。
濃い紅がすっと差し込んだ小さな花が
ぼんぼりのように咲くコヒガンサクラは
可憐で美しく、またその数の多さに圧倒される。
桜の向こう側に白く浮かび上がる駒ケ岳は幻想的ですらあった。
意地になって来て良かった。本当にそう思った。
 
実は伏線はあって
高遠の町がある「伊那谷」は
わたしにとって一度は訪れてみたい土地の一つだったのだ。
少女時代に愛読したルポライター本田勝一氏の
生まれ育ったところ。
「虫喰う民」の住むところ。
 
その日は、時間的に余裕がなかったため
桜を観るのが精一杯で
すぐに帰らなければならなかったが
来年こそゆっくりと廻ってみよう・・・そう思ったことだった。
そして翌年。
朝早く出発して高遠の町を散策することが叶った。
下調べをして行ったので実に面白い体験もした。
年を重ねるごとに滞在時間は伸び
廻る範囲は広がり
体験も増え・・・
ついに近隣の町である飯田に飲み友達まで出来て
いまや春秋、年に2回の南信州行きとなったのである。
昨年こそ入院騒ぎで行きそびれたが
大病した年の春にも
その翌年にはたぁちゃんも同行して
通い続けているのだ。
 
中仙道、木曽路も含め
南信州は面白いっ!
などとマイブームだと思っていたら
来年は大河ドラマに登場するとかしないとか・・・。
あんまりメジャーになって欲しくないのだがなぁ。
 
泊りがけの旅をするときは
まめぢをかかりつけの獣医さんに
預けて行くのが常だった。
ところが、いかに顔見知りの獣医さんとは言え
まめぢにストレスがかかるようなのはなんとなく分かっていた。
しかし、以前乗っていたアベニールでの車中泊は人間の方が辛い。
エコノミー症候群になってしまう。
一度試してみてかなり無理があることは実証済みだった。
それでまめぢを連れて旅行に行ける車・・・というコンセプトで選んだのが
実はエルグランドだったのである。
猫たちはたっぷりの水とたっぷりの餌
そしてたっぷりの猫砂を用意しておけば
2泊くらいは留守番してくれる。
今はナオトもいてくれるので全く心配がいらない。
ただ、自分だけ置いてけぼりのナオトがいじけてるくらいだ。
「休みが合わないからねぇ。」
いつも(祇園祭りや鮎の店など)とは立場が逆転した斉君に
慰められ(?)ナオトは「お土産期待してますよ。」
 
こうして、まめぢとエルグランドという組み合わせではお初の
今回の旅と相成ったのである。
 
午後6時45分出発。
荷物は
チップスターのり塩味ハーフサイズ1本、
同じくチップスターコンソメ味ハーフサイズ1本。
のどはなすっきりガム、コーヒー飴ノンシュガータイプ各1個。
お〜いお茶濃い茶2本。痩健美茶2本。
柿の種、マカデミアナッツ、ジャイアントコーン各一袋。
まめぢの水、小分けした餌、ささみジャーキー。
人間用寝具、まめぢ用寝具、洗面具含む旅グッズ一式。
まめぢのリード、フリスビー。
カメラ一式。
以上。
出発寸前、エルグランド純正エアーマットを初めて広げる。
「ひろっ!!」
普通、事前に広げて見るもんだが・・・行き当たりばったりの部分は
相変わらずだ。
三島〜御殿場までの渋滞を避けるため
沼津から東名で御殿場に行く。
富士五湖道路を通って大月ジャンクション経由中央高速へ。
あれから7年。斉君の運転も慣れたものだ。
3時間で諏訪湖サービスエリアに到着。
車中泊の駐車場選びのポイントは何と言ってもトイレ。
トイレの清潔さには拘りたいわたし・・・出来れば洋式・・・。
最近のサービスエリアのトイレはかなりいいレベルに達している。
掃除も行き届いているし
寒冷地ということもあって便座にはヒーターが通っているのだ。
 
エリア内の食堂で山菜蕎麦を啜る。
これがいける。
さて、車に戻ってマットを広げ一杯引っ掛けて寝ようか・・・
という段になって気づく。
サービスエリアにビールはない!
トラック運転手の飲酒が問題になって以降
サービスエリアにアルコールは置いてないのである。
え〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!
 
荷物の簡素化を優先したばっかりに
クーラーボックスを持ってこなかったことが悔やまれる。
 
仕方なく一旦高速を降り
ビールを仕入れることにする。
諦める?なんで?
 
岡谷ジャンクションから長野道に乗り
岡谷インターで降りる。
最寄のセブンイレブンでビールを購入。
諏訪湖サービスエリアに戻る。
登り方面のエリアなので明日は諏訪インターまで戻り
入りなおしてくだらなければならない。
そうまでして飲みたいか?
お疲れさんビールを飲まずして寝られるかっ!
 
斉君とわたし、まめぢが寝ても余裕の空間。
あと一人くらい大丈夫。
エルグランドにして良かった・・・と買ってから初めて思った瞬間だった。
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 16:02


2006年2月19日
秋田紀行2006・・・2


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
空港で出迎えてくれた「なまはげ」
テレビの撮影か?
 
さて、二日目は八森にある白瀑酒造に向かう。
世界遺産に認定されている白神山地の伏流水を
ふんだんに使ってお酒を造っている蔵だ。
豊かなぶなの森から溢れ出る水は
その水量の多さから栓を閉めることが出来ないほどだという。
 
酒蔵に着くと、道具を清めている作業が始まっていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
白くて太いホースが見える。
このホース2本から、どっとどっとと水が出ている。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この釜で、瓶詰めにした酒に火入れすることもある。
手造りの酒蔵は、驚くほど全てが手作業だ。
 
この蔵も、大きなタンクを廃して小さなタンクでの
酒造りに切り替えている。
昔、北海道の炭鉱夫たちに愛飲されていた此処の酒は
大量生産を目指してしまった。
昨日、由利正宗の杜氏が言っていた道を
この蔵も歩んでいたということだろう。
どちらかと言うと、硬い感じの酒が多い蔵だが
今度、47歳の若き杜氏を迎えたという。
専務も若い。
新しい力がみなぎっている。
将来に期待したい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
酒を絞る「ふね」
一枚板で出来ている。
奥にヤブタ式絞り機がある。
 
この後、洗米の作業を見学する予定であったが
時間に間があるというので
青森との県境までドライブを楽しむことにした。
運転手はあさの氏である(「もの食う・・・」参照)
昨日も200キロの道のりを超えて蔵見学にお付き合いいただき
夜は夜で遅くまで・・・申し訳ないっっ!!
本当に、いい人過ぎる!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東には白神山地が何処までも続いている。
水墨画のような冬景色。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そうして西には日本海。
空の色を映して銀鼠色に光る。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
打ち付ける波は荒々しい。
カモメが低く飛んでいる。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やっぱり日本海には演歌かも・・・
太平洋はレゲエだぜぃ!
 
この滝が「白瀑」
この名前を取って蔵に冠したそうだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夏には倍以上の水量になるということだ。
滝の周囲には大小の氷柱が下がっている。
この滝を拝して古い神社が建っている。
雪から守る為か、カバーがかかっていて
写真を撮ることが出来なかったが
みごとな彫刻が施された建物であった。
夏祭りには、神輿がこの滝に打たれるのだそうだ。
 
などと、観光に時間を費やしていたら
洗米作業に間に合わなかった。
残念・・・。
 
予定が詰まっているので
後ろ髪を引かれる思いで蔵をあとにする。
 
最後に尋ねた蔵は喜久水酒造。
この蔵がわたしの秋田酒蔵巡りの原点だ。
蔵人として今年の麹を担当したのは若き時期社長。
去年暮れに生涯の伴侶を得
益々、飛躍しようとする期待の星だ。
もちろん、本物の星になるかどうかは
まだ未知数なのだけど・・・。
一応、わたしが生きているうちに
「唸らせるような酒」を造ってくれるとの約束を取り付けた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
これは3年前の写真・・・
 
寒い!はずの能代は、天気もまずまずで暖かかった。
そりゃ伊豆とは比べ物にならないが。
しかし、この寒さが「旨い酒」を醸し出すのである。
寒さの中でじっくり醗酵し、熟成された旨さこそが
秋田の酒の真骨頂なのだ。
 
余談であるが
蔵にはそれぞれの香りがある。
それは麹や醗酵途中の酒の匂い、
出入りする人の匂い
器械の匂い諸々、諸々・・・
全てが統合された匂いだ。
一番最初に鼻に飛び込んでくるのは
醗酵している酒の匂いなんだけど・・・。
これはもちろんアルコール度数が高いので
揮発性があるから当然かも知れない。
 
由利正宗はふんわりと柔らかな
若い果実の香りがした。
杏とか桃に近い。
 
白瀑は少し酸味のある
甘酸っぱい香りだ。
鉄の匂いがするのは
建物のせいだろう。
 
喜久水はお菓子の香りがする。
洋菓子にも似た香りだ。
その後に糠の匂いがあったのは
蔵の規模が一番小さいからだろうか。
精米の匂いも混じっているのだと思う。
 

開発に沸く日本列島改造期・・・逆行するかのように
自然を守り資源を守る為、
白神山地縦断道路建設を
中断させた秋田の人々・・・
乱獲によるハタハタの漁獲量激減対策として
一切の漁を断念した秋田の人々・・・
彼らの中には脈々と蝦夷のプライドが流れているのだと
わたしは確信する。
 
あ・・・ほんのぽっちり
わたしにも流れているかも知れないけどね・・・
 
実に充実した二日間であった。
お世話になった全ての方々
特に天洋酒店のあさの氏には感謝しても仕切れない。
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 15:51


2006年2月18日
秋田紀行2006


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
今回で3度目の秋田。
蔵詣での旅である。
「もの食う・・・」にも書いたが
何故に何度も秋田に足を運ぶのかと言えば
秋田の酒に関わる人々の熱い思いに
少しでも近づきたいと願うからなのだ。
日本酒を造る蔵人だけでなく
営業する人間も、小売り業を営む人たちさえも
心の底から秋田の酒を愛し
出来るだけ多くの人にその美味しさを知ってもらおうと
本気(まじ)で取り組んでいる。
その心意気に惚れこんでいるのだ。
そうして、彼ら一人ひとりが
まだまだ、もっともっとと、未来のより美味しい酒を求めて
前向きに夢を持っていること。
その夢を実現するべく
日々精進していること。
生きていてこんなに素晴らしい人たちと出会えることを
わたしは「幸せ」と呼ぶ。
 
まず、秋田本荘にある由利正宗、斎弥酒造へ伺う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この建物は明治35年、斎藤弥太郎氏が創業した当時のまま残る
国の有形文化財に指定された大型町屋造りの店舗部分。
この奥に蔵がある。
しかし、そんな肩書きはどうでもいい。
建造物にはそこに住む人たちの気持ちが現れるものだと
わたしは考えている。
稚拙な写真では伝わらないかも知れないが
いつでも訪れる人を迎え入れてくれる雰囲気が
この建物には漂っているのである。
 
今、酒造りは大詰めを迎えている。
蔵には活気というよりむしろ、緊張感が張り詰めていた。
そこへのこのことやってきた見学者であるわたしたち・・・
が、嫌な顔一つせず営業部長さんが蔵内を案内して下さる。
「今、本番真っ最中なもんで
ちょっと蔵の中がぴりぴりしてますけど
そこはご容赦下さい。」と返って謝られてしまい恐縮する。
 
この蔵の特徴は
傾斜地を利用して建てられた酒蔵そのものにもある。
一番頂上にある精米所から順次作業を追うごとに
酒は下っていくのである。
人力に頼っていた創業当時は
この引力を利用した「のぼり蔵」の原理は
大変理に適ったものであった。
 
酒蔵内には中硬水の伏流水がこんこんと湧き出ている。
これも酒造りには欠かせない重要なポイントだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
水は冷たくて美味しい。
日本には珍しい中硬水だ。
少し硬さはあるけれど
抽出力には優れると思う。
 
酒の湯たんぽ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

酒は温度に敏感だ。
適温を過ぎて上昇すれば醗酵が進み
下がれば醗酵が停滞する。
酵母は生きている。
 
この蔵の杜氏は秋田山内杜氏と呼ばれる杜氏で
数々の品評会において金賞を受賞している。
が、驕ったところは微塵もない。
気品すら感じられる柔和な笑顔で
耳に優しい訛り言葉をとつとつと語られる。
しかし、その内容は常に自分に厳しく
未来を見据えたものだ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

麹室。
この杉板張りの部屋は杜氏の意向で建設された。
21ミリの厚さの秋田杉の杉板をこれほど贅沢に使った蔵は類を見ない。
が、3代後まで使える・・・と杜氏は意見を譲らなかったそうだ。
近代の蔵のほとんどはステンレス張りである。
何故なら衛生管理が簡単だからだ。
この杉板張りの部屋は毎日、水と布で磨かれている。
決して洗剤や消毒剤を使わない。
これも杜氏のポリシーだ。
それを実証するために「オーガニック」の認定も受けた。
原材料だけでなく製作工程にも厳しい審査が入る認定を受けることで
蔵全体の美化が徹底され
他の酒たちにも良い影響を与えているそうだ。
また杉板は呼吸をし続けるので
湿度が一定に保たれるという利点もある。
釘もサビを産まないということで真鍮を使っている。
 
秋田山内杜氏にかけたわけではないが
この蔵の最大のポイントは
三無い造りと称する秋田の自然を取り入れた
特殊な酒造りをしている点だ。
まず、櫂入れをしない。公募の働きによって生まれる
タンク内の対流だけで酒をじっくり醸そうというのだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

仕込みたての若いタンクは
酵母が元気に働いていた。
 
濾過をしない。
厳選された米をゆっくりと半分まで磨き
醸して絞る・・・酒をそのまま蔵出しするのである。
但し、昔から飲まれてきた本醸造(アルコール添加)を
一切やめてしまうことは出来ないので
5年を目安に純米酒だけを作る蔵にもっていきたい、とのことだった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

もちろんその醸造用アルコールも
すぐには混ぜてしまわない。
斗瓶に入れて何年も寝かせ
角がとれて丸くなったものを使用している。
 
割り水をしない。
原酒はアルコール度数が高い。
だから普通は割り水と言って水で薄めてアルコール度数を下げる。
が、それをやめる、というのである。
そのためにアルコール度数を上げ過ぎず醗酵を進めるという
取り組みがなされているのである。
 
35パーセントまでに磨かれた米。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
米の芯にあるでんぷん質だけを
酒に使うのである。
杜氏のお話によれば
60パーセントのラインが基本で
これ以下に磨かなければ旨い酒は出来ないのだそうだ。
これは米本来の構造に関わる。
米の60パーセントを超える部分はたんぱく質からなっているのだ。
たんぱく質を多く含んだ米を醸せば
臭みや雑味の元となる。
だから絶対にこのラインは崩せないと言うわけだ。
 
米を洗って水に浸す・・・気温、湿度、水の温度、米の温度を測り
全てを総合して時間を判断する。
今年は杜氏の一番弟子である娘婿がその重要な役割を担っていた。
ストップウォッチで正確に時間を計る。
ここでは絶対に失敗は許されない。
一旦、水を吸った米を元に戻すことは出来ないのだ。
真剣勝負!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「わたしらの年代は昔ながらの酒造りを
誰も本当には知らなかった。
だから手探りの中、失敗を重ねて
本物の酒造りを学んできたのです。」
杜氏の弁である。
つまり戦後、好景気に沸く日本は
促成酵母を使った大量生産の酒造りに走ってしまったのだ。
今、杜氏はもっと旨い酒を目指し
出来上がった酒を最低18ヶ月寝かせてから
出荷することを考えている。
「割り水をしない酒は造りたてでは角が立って硬い。
それをゆっくり寝かせることによって熟成し
まろやかな味わいの酒にしてから出したい。」
もちろんこれは大きなコストを抱えることとイコールだ。
それでも「毎日晩酌できる酒」をも目指すと言う。
つまり価格を最小限に抑えるということである。
現にこの蔵の酒は決して高価ではない。
「厳しい道ですがね。」と営業部長。
しかし、近い将来、この蔵の酒はみんなそうなるに違いない。
だって営業部長はそう言いながらも
鼻を膨らませて誇らしげだったから。
 
命より大切な自家酵母。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これは杜氏が人生をかけて作り出した酵母である。
緊急事態が発生したとき、これだけは守らねば・・・と
営業部長は笑うが、目は真剣そのものだった。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

35パーセント精米の純米大吟醸。
こんな小さなタンクで醸す。
「大きなタンクで大量に作れば
それだけ雑菌が入り込むというリスクを負う。
だからタンクは出来るだけ小さいものにしていきたい。」
もうすぐ絞るというこのお酒を汲んで飲ませて頂いた。
まだ醗酵している濁り酒は
甘く元気でぴちぴちしていた。
「うまぁ〜〜〜!」
もうね、頬がゆるゆるよぉ〜〜〜!
これは22日目。
もう一杯21日目も頂いちゃった♪
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

絞り機。
袋吊りもある。
ここでは最後まで酒を絞りきらない。
だから斎弥酒造の酒粕は本当に柔らかい。
 
ここで昨日絞ったばかりの
純米大吟醸を飲ませていただく。
へっへっへっへ
そりゃ、行ったもん勝ちよぉ〜。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

杜氏は仕込みの真っ只中、ほとんど寝ていないという状況で
それでも笑顔を絶やさずお話をして下さった。
営業部長と社長はわたしたちの姿が見えなくなるまで
見送って下さった。
 
いい人がいい酒を造り
いい酒がいい人を造るんだねぇ。
 
もぉね、何処までもついて行きますっ!て言いたくなった。
けど、やんわり断られるだろうなぁ。

Posted by mamedi5047604 at 12:44


2006年1月19日
沖縄旅行 観光編9

いよいよ旅は最後に近づく。
日本人として、はずしちゃならない平和記念公園である。
まず、その広さに驚かされる。
園内には平和記念資料館、平和の礎、平和祈念堂などがあり
訪れるひとは皆ゆったりと園内を散策している。
欧米人の姿も多い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平和の礎は沖縄戦で亡くなった全てのひとの名前を刻んだ石碑だ。
放射線状に並んだ黒い御影石に圧倒される。
現在23万人の名前が刻まれているそうだ。
 
園内に入った途端、待ち構えていたおばぁに
花束と線香を売りつけられる。
350円と微妙な金額と
おばぁたちの強引さに負けて買う。
礎の前で線香を焚くことは禁止されているので
これは使いまわしだな、と思う。
逞しい・・・。
 
広大な芝生の上にイソヒヨドリがいた。
逃げるふうでもなく、わたしたちを見ている。
イソヒヨドリは伊東の市の鳥だ。
なんだか懐かしい気がした。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
繁殖期にはとても良い声で囀る。
沖縄とは言え、まだ早いのだろうか。
鳴くところは見られなかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
礎の先から眺めた海岸線。
実に静かで美しい風景だ。
だが、この水平線に黒々とアメリカ軍の軍艦が並び
容赦なく砲弾を浴びせくる様を目の当たりにして
見捨てられた沖縄の民はどんなにか恐ろしかったことだろう。
それは絶望だったに違いない。
胸の痛む思いがした。

最期にわたしたちは
ひめゆりの塔に行った。
木々の間にひっそりと佇む碑の傍に
ぽっかりと空いた
穴がある。
それは本当に小さな穴で
想像していたものとは違っていた。
直径3メートルほどあるだろうか?
この穴こそ、ひめゆり隊の少女たちが
最期を遂げた
壕なのだ。
 
竪穴にはいくつかの横穴が掘られており
その長さは長くて5メートルほどであったという。
傷ついた兵士とその看護に当たっていた女生徒たちは
此処までやっとの思いでたどりついたのだった。
既に日本軍からは退去解散の命が下っていたという。
しかし、親元を離れて3ヶ月。
何処をどう逃げてきたのかも分からない少女たちは
壕を出る術を知らなかった。
アメリカ軍はすぐそこまで来ていた。
壕の中にビラが投げ込まれた。
降伏するなら命は助ける・・・という内容であった。
が、当時の教育を受けて育った彼女たちに投降という選択肢はなかったのだ。
アメリカ軍の兵士たちもまた
恐怖に怯えていた。
絶大なる勢力を誇っていたとはいえ
沖縄戦における死傷者の数はアメリカ軍にとっても
決して少ない数ではなかったのである。
まして、目と鼻の先の岬から
人間魚雷として少年たちが出立した場所でもある。
最終通告の後、壕の中に毒ガス弾が投げ込まれた・・・。
 
ひめゆり部隊の少女たちの大半は、日本軍が解散命令を出したあとに
つまり、日本軍が彼女たちを見捨てたことにより
死亡したのである。
壕を見下ろすように寒桜の木が一本。
緋色の花が咲いていた。
 
締めくくりは、ちゃんと沖縄を見て
わたしたちの珍道中は終わったのだった。
 

Posted by mamedi5047604 at 14:27


2006年1月18日
沖縄旅行 観光編8

次は沖縄本島南部最大の観光スポット
「玉泉洞」である。
以前は鍾乳洞だけの観光地だったのが
「おきなわワールド」なるテーマパークになっていた。
どうもダイバーふゆは乗り気ではないらしい。
「この間、行ったばっかりなんだよね。」
「いいじゃん、たぁちゃんは初めてなんだからさぁ。」
「分かってますって。行きますって。」
玄関にはブーゲンビリアやハイビスカスが咲き乱れていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
全長5キロ、日本第2位の鍾乳洞である。
しかし規模で言うと第一位なんだそうだ。
エスカレーターで地下に潜る。
発見されたのは30年くらい前らしい。
意外に新しい。
実を言うと、以前ここに来たのは
元夫とであった。
あれから25年も経ったのかぁ〜。
鍾乳石は一年で数ミリ単位でしか
伸びないそうだけど
4〜5センチは伸びているかも知れない。
 
 
 
 
 
 
するってぇと、鍾乳石の形も
少しは前と違うかもなぁ。
妙な感慨にふける。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
初めてのたぁちゃんは
「ここを発見した人たちって
凄いよねぇ〜。」と
感心することしきり。
 
 
 
 
 
 
 
 
確かに、最初に此処を発見した
岡山大学の一行は
本当にびっくりしただろうと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
途中、奥の方から流れ出る川がある。
これは外に流れ出ており
洞窟の中に様々な生物を育む
源となっているそうだ。
神秘的だなぁ〜。
 
 
 
 
 
 
 
が、ダイバーふゆときたら
テクテク、テクテク早足で
どんどん先に進んで行ってしまう。
ったくさぁ〜。
いくら前に来たことがあるって言っても
もうちょっと付き合ってくれても
良さそうなもんだ。
 
 
 
 
 
 
「なんか怨念が付いてきそうで・・・。」
「え?だって逃げた女でしょ?
付いてこないって、今更。」
「げ・・・なんでそういうことを言うんですかね、真理さんって・・・。」
「だって本当のことじゃん。」
 
「え?そうなの?
逃げられたの?」
「そうそう!」
「もう、いいですってば!」
 
 
なんだか、話が別の方向に行ってしまった・・・が
玉泉洞は素晴らしかった。
 
 

Posted by mamedi5047604 at 13:04


2006年1月17日
沖縄旅行 観光編7

荘厳な静けさの中で
ちょっぴり心を引き締めた3人は
この後、同じく世界遺産に指定されている
「斎場御嶽」(せーふぁうたき)へと向かった。
御嶽とは神への祈願や祭礼を行う神聖なところ、という意味だ。
特にこの場所は、琉球王朝最高の女神官の就任式を行う聖地として
王以外、男子禁制の場でもあった。
祭壇は3箇所ある。
岩の下に設けられている。
地味だけれど
ここから黄金の玉などが
多数発掘されたそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
うっそうとしたジャングルに囲まれていて
1月だというのに綺麗なアゲハチョウが飛んでいた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
意外に動きが早くなかなか上手く撮れない。
他にも3種類の
アゲハチョウが
いたのだが
ダイバーふゆが
飽きてきて
ふてくされ始めたので
撮影を中止した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だいたい遺跡巡りそのものにも
あんまり興味はなかったようだ・・・。
第2の祭壇である。
急勾配の坂道を登って行くので
結構きつい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そこでまたしても昆虫発見!
これ、見て!
極彩色のカメムシ!!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
たぁちゃんと二人で
きゃぁきゃぁ言いながら撮っていたら
ダイバーふゆは
とっとと一人で
先に進んで行ってしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
途中、丸い池があった。
水は綺麗ではなかったけれど
琉球アオガエルが生息しているそうだ。
その卵を狙ってヤモリがいた。
こちらも色が派手だ。
この池はアメリカ軍の砲弾によって出来たものだと言うことだ。
皮膚から微量だが毒を出すそうだ。
「触ったら手をよく洗ったほうがいい。」
と地元のガイドさんがおっしゃっていた。
あんまり触りたくなるような生き物じゃない・・・。
 
 
 
 
 
 
 
やっとたどり着いた。
ここをくぐると
本祭壇だ。
実は明かりのほうに
海が見えている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてその海の向こうには久高島という島が見える。
この島は昔、神の住む島と崇められていたそうだ。
逆光なので見えにくいかも知れない。
今はリゾートビーチになっているらしいけどね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by mamedi5047604 at 12:32


2006年1月16日
沖縄旅行 観光編6

この後、わたしたちは守礼の門から歩いて2分ほどの距離にある
玉陵(たまうどぅん)へ行った。
琉球代々の王家の墓である。
此処も世界遺産に指定されている。
それはガジュマルの樹がうっそうと茂った林の向こう側にひっそりと佇んでいた。
が、僅か2分の距離なのに
この静けさはどうだろう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そんなに観るべき価値のないものだろうか?
否!
そんなことは全くない。
琉球王朝の真の姿が此処にはある。
最初の門をくぐった所。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第2の門をくぐった所。
ここに敷き詰められているのは珊瑚の砂である。
広い敷地には
わたしたち以外
誰もいない・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
王、王子、王女、王妃と墓が並んでいる。
 
この石造りの形態は
民間人にも受け継がれ、
ところどころで見かけた沖縄の墓は
小規模ながら似た形をしていた。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シーサーが守っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柵の上に乗ったシーサー。
一見して古いものと思われる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柵に施されたレリーフ。
のびのびとしたタッチがいい。

観音像か?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
麒麟であろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
此処でも竜が一番多かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは鳳凰である。
 

Posted by mamedi5047604 at 11:29


2006年1月15日
沖縄旅行 観光編5

いよいよ首里城。
こりゃ日本じゃないね。
琉球という国はまさしく中国に向いていた国だったんだな。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
首里城を背にして門を見る。
赤いラインに履物を置き
白っぽいラインに接見者たちが座った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
城は竜によって守られている。
ここに飾られているのは
シーサーではなく
全て竜である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

しかし、この竜たちもまた
一方は口を開け
一方は口を結んでいる。
日本の神社にも見られる
狛犬と同じだ。
沖縄では
口を開けた方が
幸運を呼び込み
閉じた方が
運気を逃さない、と言われている。
 
 
 
屋根の上の竜はちょっと安っぽかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もちろん、決して安物じゃありません。
 

Posted by mamedi5047604 at 14:59


2006年1月14日
沖縄旅行 観光編4

翌日、ダイバーふゆの情報によれば
島まで行かなくても那覇港から出る船で
直接ホェールウォッチングが出来るとのこと。
が、うねりは相変わらず高く
前日の模様を記したブログでは
吐いた人が続出とか・・・。
 
「気持ち悪いのはいやだ。」
「せっかく食ったもんは出したくないっ!」
おばさん二人はすっかり日和っている。
「じゃぁ、今日も観光しますか?」
「うんうん、あたし沖縄初めてだしぃ〜。」
「今日は南のほうを廻ろうよ。」
「え・・・南・・・ですか?う〜ん、いいけどぉ〜。」
 
わたしは2度目の沖縄で
前回来たときに主だった観光地は一通り廻ったが
もう20年も前のことなので
もう一度行ってもいいなぁ、と思っていたが
ダイバーふゆはちょっと渋る。
どうやら元カノと廻ったかららしい。
「いいじゃんよ。メンバーが変われば目線も変わるもんだよ。」
「そーだ、そーだ!」
 
前日に借りたレンタカー屋で再度レンタカーを手配してもらう。
「昨日と同じ車種でいいよ。」
が、同じ車ではなかった。
「なぁんだ、昨日のナビ子ちゃんじゃないんだぁ、残念。」
「あら、情が移っちゃったの?」
「いや、今日こそリベンジしたろうと・・・。」
なんだ、そりゃ?
 
まずはお約束の首里城へ。
ナビは変わってもダイバーふゆが同じなら
対応も同じなんだよね。
また喧嘩が始まる。
「首里城見えてるのに、何故着かぬ?」
「こいつが悪いんですよ、こいつが!」
またリモコンを握り締めて運転するダイバーふゆ。
懲りないやっちゃ・・・。
「あんたって本当に学習能力ないよね。」
「失敬なっ!」
これが有名な守礼の門。
首里城の城内には数多くの門があり
それぞれが意味を持っている。
いずれも中国からの使者を歓迎する為
設けられたものだ。
あまり建築物を被写体として写真を撮ったことがないので
お見せ出来る画像ではないが・・・。
加えて、自分の撮った写真に人間を入れたくないんだよねぇ。
けど、守礼の門は人だかりでねぇ。
だから屋根だけ!
 

 
これは世界遺産に指定されている園比屋敷御嶽石門(ソノヒヤンウタキイシモン)
読めねぇ〜〜!
もうね、人通りが途絶えた瞬間を
狙ってシャッター押したから・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
これらの門の石組みも世界遺産に指定されている。
木造部分は第二次世界大戦で全て消失した。
朱塗りの部分を再建するにあたって
出来るだけ当時のままに再現したいと
専門家たちが島中を探し回って
塗料に使うための土を手に入れたそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
この門は中国に向いている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてこの門は、王が外出時に無事帰宅出来ることを祈願するために建てられた。
門だけなので向こう側に抜けることも出来ない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
琉球国王は門好き?
んなわけないか・・・

Posted by mamedi5047604 at 16:02


2006年1月13日
沖縄旅行 観光編3

悲劇(喜劇)は、その明け方に起こった・・・
 
3人がホテルの部屋に戻ったのは
午前3時半を回っていた。
その後、買ってきた缶ビールを呑みながら
(まだ呑むかっ!?)
暫くだべり・・・ベッドに潜り込んだのが午前4時過ぎ。
ダイバーでは珍しくもないことだが
無駄な経費は節約するということで
3人同室である。
 
寝入りばなのことだった。
けたたましい携帯のアラーム音に叩き起こされる。
わたしが普段設定しているB'zの「ライヤーライヤー」
午前5時半だ。
「ひぃぃぃぃぃ〜〜〜!」慌てて飛び起き、携帯を捜す。
買ったばかりの新しい携帯に要領がイマイチつかめていない。
止めるのに一苦労。
やっと止めて二人を見ると微動だにせず眠っている。
ほっとして、トイレへ・・・
が、開けたドアーはトイレのそれではなかった・・・。
「げっ!!」
気づいて戻ろうとするが、無常にドアーは閉まろうとする。
足を伸ばしてドアーの隙間に入れようとする。
が、足の皮をくっつけたままドアーはガチャリと音をたてて閉まった。
 
「げっ!!」第2弾!
いつの間にか、わたしはGパンを脱ぎ
リンパ浮腫防止用の弾性ストッキングも脱ぎ
Tシャツにパンツいっちょという出で立ちではないかっ!!
どうにも弾性ストッキングが窮屈だったに相違ない。
無意識のうちに脱いでしまったと見える。
左足の親指からはみるみるうちに血が溢れ出してきた。
え〜ん、え〜ん・・・。
 
Tシャツを伸ばしてはみ出しそうなオケツを隠し
ドアーをそっとノックする。
しかし、あの大音量でも目を覚まさなかった二人が
ドアーのノックごときで起きるはずもない。
「お前ら、火事になったら死ぬぞ!」そうは思うが
わたしにはテレパシーの能力もないようだ。
ダイバーふゆにこの失態を目撃されるのも嫌だが
赤の他人に見られるのはもっと嫌だ。
他の客室のドアーが開かないことを祈りつつ
しばしノックを続けたが、観念するときが来た。
無駄だ、やつらは起きない・・・。
不幸中の幸いで、部屋はエレベーターのすぐ脇。
エレベーターの前にはフロントに直結する館内電話が置いてある。
「もしもし、・・・号室の者ですが、インキーしちゃって・・・。」
 
こういうことって良くあるの?
フロントのお兄さんは速やかに鍵を開け
とっとと消えてくれたのだった。
すっかり酔いも冷め、足の傷に応急処置をして
再びベッドイン。
それで朝まで熟睡したところが思えばすごい。
 
目覚めるとたぁちゃんがタバコを吸っていた。
黙っていれば誰にも分からないことではあった。
けどさ、こんな美味しい話
自分だけの秘密になんか出来ないよぉ〜〜〜〜!
 
「ちょっと聞いてくれるぅ〜?」
大馬鹿者のわたしは一部始終を話す。
「ばっかでぇ〜〜!!」
いつの間にか起きて話を聞いていたダイバーふゆともども
二人は大爆笑!
「真理ってば!もう完璧に女捨ててるぅ〜〜!」
げっ!第3弾!
 
お笑い芸人の失敗談で
聞いたことがある話だったけど
実際、自分が経験するとは
想像だにしなかった・・・
 
朝食後、ホテルの部屋に設置されたインターネットに
持参のノートパソコンを繋げるダイバーふゆ。
「ああ、駄目だぁ〜。船が欠航だぁ〜。」
天下無敵の晴れ女、このわたしが来たからは
沖縄の低気圧をすっ飛ばし
ピーカン天気を約束しましょう!ってなもんで
空は晴れ渡っていたのだが
うねりが残っているらしい。
「しょうがないよ。
じゃさ、今日は観光しようよ。」
 
たぁちゃんもわたしも
こういう時の割り切りは早い。
「でも、せっかく来たのに残念ですよねぇ。」
「全然!観光だって楽しいさ!」
早速、レンタカーを手配する。
「ちゅら海水族館って行ってみたかったんだよねぇ。」
「ああ、今、テレビで宣伝してるやつ?」
「じんべえ鮫が泳いでるんだってよ!」
「じんべえ鮫かぁ。俺、じんべえ鮫に出会いたくってダイビング始めたんですよね。」
それで話は決まった。
 
エレベーターで外へ出る。
フロントを通り過ぎるとき、ちらっとカウンター内をチェック。
良かった・・・今朝のお兄ちゃんはいない。
しっかし、3人の酒臭いこと!
「これでレンタカー借りられるのかなぁ?」
「今、捕まったら絶対、酒気帯びだよね。」
 
ドライバーはダイバーふゆがかって出てくれた。
「車種はなんにします?」
「いっちゃん安いのでいいよ。」
「え〜〜〜〜!マーチですよぉ〜〜。」
「いいじゃん!別に誰に見せるんでもないんだからさぁ。」
今日日の「わ」ナンバーはナビが付いている。
これで目的地をインプットすれば
ナビが音声案内してくれるというわけだ。
「ちゅら海水族館」
ナビは最短距離の設定になっていたようだ。
 
「いざ、出発!!」
 
国道を北上する。
「あれ〜、沖縄って高速とか走っていませんでしたっけ?」
助手席に乗ったわたしが地図を広げる。
「うん、東のほうに縦断道路があるみたい。」
「このナビの指示だと、西側の一般道を通って行かなきゃならないんですよね。」
「そうそう。」
「面倒だなぁ〜。高速に乗りましょうよぉ。」
そんなに急ぐ旅でもない、と一応説得を試みるが
聞く耳持たないダイバーふゆ。
運転手は君だ。思うように行きたまえ。
 
指示されたルートをはずれた途端
ナビが急に雄弁になる。
どうももとのルートに戻したいらしい。
その信号を右折しろだの、左に曲がれだの
のべつ幕なし喋っている。
「煩いなぁ〜〜!」
ナビと喧嘩するダイバーふゆ。
「あんたさぁ、子供じゃないんだから
ナビを止めればいいじゃない。
それに、なんでリモコン握り締めて運転してるの?」
後ろの座席から口を出すたぁちゃん。
「だって子供だもぉ〜〜ん。」
「失敬なっ!」
 
高速に乗って走り始めると
到着予定時刻がどんどん短くなって行く。
「ざまぁ見ろっ!」
あくまでもナビと勝負するダイバーふゆであった。
 
これがちゅら海水族館。
ね?ピーカンでしょ?
動物園とか水族館って大好き!なわたし。
十二分に楽しまさせて戴きました。
やはり圧巻は3匹のじんべえ鮫と4匹のマンタ。
悠然と泳ぎ回るその水槽のスケールの大きさに思わず呆然となる。
この水圧を支えるアクリル板の厚さはなんと60センチだそうだ。
20分ほどその水槽の前に釘付けだった。
「やっぱり実物で見てみたいよなぁ〜。」
そりゃそうだ!
 
その後、オキゴンドウ鯨のショーを観る。
これがオキゴンドウ鯨のオキちゃん。
迫力のある歯に似合わぬキュートなお目目。
でもアップはやっぱり怖いかな?
なかなかの芸達者。共演者であるイルカに負けない芸を披露してくれた。
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
以前、地元の港で「イルカの追い込み漁」があったとき、このオキゴンドウもイルカの群れに混じって入っていた。
食べるための捕鯨をしない国々から、食べるための捕鯨をしている日本を含む各国は非難の的となっている。
それに関して、わたしはその国特有の「食文化」に対して、他国が口出しするのは間違っていると考えているのだが、こういうショーを観てしまうと、「こんなに可愛いイルカたちを食べるなんて・・・。」という人たちがいても不思議じゃないよなぁ、と思う。
が、彼らもまた自然界から隔離されて、狭いプールの中、人間に芸を晒して生きていかねばならないことを考えたら、これも可愛そうなことなのかも知れない。
わたしは、「闘牛フェルナンド」を観て感動し
「ディブ」を見て笑ったけど
やっぱり牛肉も豚肉も好きなように
オキちゃんを見ても、鯨肉は好きなのだった。
韓国の食犬文化も否定はしないワタクシ。
もっとも、オキゴンドウ鯨が魚屋の店頭に並ぶことは、まずないしね。
(伊豆半島ではイルカの肉は一般のスーパーで普通に売られている。
100グラム298円くらいだ。)
 
しかし、暑い。
前日までは20度を切っていたという沖縄だったが、25度を軽く超えている。
ダイバーふゆが、あんまり防寒を煩く言ってきたので、半袖は持ってきていない。
たぁちゃんもである。
ところが・・・ダイバーふゆだけは何故かTシャツ姿。
「ここを何処だと思ってるんですか?
沖縄ですよ〜。
沖縄ときたら半袖のTシャツと決まってるじゃありませんか!」
ぶっとばすっ!
ハイビスカスの花が眩しい。
 
さて、名護に寄ってレトロな「そーき蕎麦」の店で腹ごしらえをして、一路那覇に戻ったわたしたちは
国際通りを散策することにした。
那覇市内はさすがに混雑もしており
道も分かりにくい。
なかなか国際通りにたどり着かない。
とにかく渋滞の嫌いなダイバーふゆは
ナビの指示に素直に従わず、方向だけで進路を決めようとする。
またもやナビと喧嘩を始めた。
「こいつぅ〜!」
いやいや、ナビに意思があるわけじゃないんだから・・・。
「ちょっとリモコン貸してみなよ。」
「やだっ!絶対やだっ!」
だって運転しながらじゃ、ナビに入力出来ないでしょうが!
もうこうなったら駄々っ子同然である。
意固地になったダイバーふゆが
渋滞を避けて狭い道に入っていく。
「ねぇ、これ行き止まりなんじゃない?」
「って言うか、マンションの駐車場だよぉ!」
「くそっ!」
呆れたのか、それとも修復不可能だと判断したのか
黙り込むナビ・・・
「このヤロウ!本当にナビして欲しいときには
黙りやがってぇ〜〜!」
え?そっち?
 
シーサーも笑っている。

Posted by mamedi5047604 at 13:14


2006年1月12日
沖縄旅行 観光編2


当日、わたしはダイバーふゆ作成「沖縄強行軍の旅案内」(題名そのまま)
の指示に従って指定通りの電車に乗るべく家を出た。
ローカル線の本数は少ない。
まして弱小私鉄・・・しかも「単線!!」・・・一時間に一本という割合でしか
電車は走っていないのだ。
選択肢がないのだよねぇ。
もちろん、特急「踊り子号」や熱海からの新幹線使用となると
話はまた別になるのだが
元気いっぱいの往路からして、そんな贅沢は許されない。
ちょうど藤沢辺りを通過したところだろうか
携帯にメールが入った。
「今、品川に着きました。」
たぁちゃんからである。
え?
約束の時間まであと1時間はあるじゃないか。
ほんと、こういうとこがたぁちゃんの可愛いとこなんだよなぁ。
「だってぇ〜、西武線って人身事故が多いからさぁ。
時々、電車遅れるんだよねぇ〜。」に、したってね。
 
わたしは予定通りの時間に品川に到着。
待ち合わせの京急改札口でたぁちゃんと落ち合う。
これまた指示通りの快速に乗って羽田へ。
羽田でJALの出発ロビーを間違え
ちょっとうろうろしたものの
搭乗手続き30分前には約束の場所に着いた。
ここでダイバーふゆを待つ。
「なんかさ、大阪出張で間に合うかどうか、ってメールが来たよ。」
「ふぅ〜ん、一応大変なんだ。」
「どうだろねぇ〜。大変な人が正月休み明けの翌週に金曜日休むか?」
「そうんだよねぇ〜。」
「しかも先週の土日は、スポーツクラブに行って、サーフィンして・・・らしいよ。」
「へぇ〜、休むってことが出来ないんだ?」
「そうそう、回遊魚系ね。止まったら死ぬ。」
「はははは!なるほどねぇ〜。」
ひとしきり彼の話題で盛り上がる。
 
間に合わないどころか、出張から自宅に戻り
すっかりラフな装いに着替えたダイバーふゆは
定刻にやって来た。
「いやぁ〜、もう忙しくて忙しくて・・・。」
 
さて、いよいよ出立である。
那覇空港着は21時30分。
荷物の待ち時間やその他のことを考えると
ホテルに着くのは23時頃になるだろう。
旅のしおりには「軽く前祝」とあるが、
ここは「盛大に前祝」でしょうね、やっぱ。
そこで、わたしの出番。
ちゃんと前もって深夜営業の飲み屋さんを
ばっちりリサーチしておいた。
「さすが!」
「ふっふっふっふ、任せなさい!」
 
ホテルチェックイン後、直ちに現場へ向かう。
この一杯のために飛行機内でも
アルコールは控えたのだ!
 
が、調子に乗りやすいダイバーふゆ・・・
そしてその上を行く、ハイテンションなわたし・・・
決してストッパーにはならない煽りのたぁちゃん。
こうして中年3馬鹿トリオは夜の那覇に沈んで行ったのだった。
おいおい、明日からが本番なんだぞ・・・なんて声は聞こえなかったな。

Posted by mamedi5047604 at 10:18


2006年1月11日
沖縄旅行 観光編

ブログ「もの食うわたくし」にも記した通り、
ひょんなことからわたしと共に沖縄旅行に行くことになったのは
練馬の猫拾いことたぁちゃんとダイバーふゆの二人である。

たぁちゃんは現在45歳。
練馬在住で3人の娘さんと夫、5匹の猫たちと暮らしている主婦である。
月の半分は外でパートの仕事、後の半分は内職やポスティング等、家事以外にも休む暇なく働いている。
たぁちゃんの家の敷地内には舅姑、義理の弟も住んでいる。
彼らの住まいはまた、夫が勤める職場でもある。
以前はこの家族内で様々な問題が発生し、それを乗り越え今のたぁちゃんに至る。
口癖・・・「どいつもこいつも」「どっこいしょ」
男なんてみんな「どいつもこいつも」変わらないと、たぁちゃんは断言する。
そして「あんなものやこんなもの、諸々諸々捨ててきたから今のわたしがあるのよ!」と逞しい。

たぁちゃんとわたしが初めて逢ったのは、今から遡ること20年前。
故ナオト母が、ナオトの通う幼稚園の父母会仲間として、
当時わたしがやっていたペンションに彼女を同行してきたことがきっかけだった。
20代前半だったたぁちゃんは、(視覚的にも)華奢な感じに見受けられた。
率先して前に出るというよりも、故ナオト母の後について歩くタイプだった。
蛇足だが、その頃のナオトは3歳半の幼児で、
その可愛らしさは幼稚園内でも評判だったそうだ。
実際、なかなか愛嬌のある子供であった。
・・・今じゃ、どいつもこいつも・・・。
お客様としてのお付き合いが、個人的な旅をするまでの関係に発展したのは
いみじくも4年前、ナオトの母親が亡くなったときに葬儀に出席するため
急遽、北海道は倶知安まで出かけて以来のことである。
ご存知の通り、現在我が家に居る3匹の猫を拾ってきてくれたのは彼女だ。

ダイバーふゆとの出逢いは、たぁちゃんと知り合って2年ほど経ってからのことだ。
彼も我がペンションの常連客であった。
30歳直前の彼は・・・まだ青臭くて、キザを気取る青年だった。
今やその偶像は見る影もないが・・・。
ダイバー仲間も含めて、ダイバーふゆとはその後ずっと仲良く遊んでもらっている。
今年、48歳になる。
一応、大企業の部長職に就く。
離婚暦のある独身・・・まだまだ結婚生活を諦めていない往生際の悪い男だ。
その一部始終を観察しているが、どうなることやら。

海外出張とダイビングで出かける南の島分で、腐るほどマイレージを貯めている。
それが今回の旅へと繋がっていくのだが。
分かり易いと言えば、ダイバーふゆほど分かり易い人間はいない。
マイワールド大好き!
全ては自分が中心に世界は廻る!
ここで本人に見られると困るので付け加えておくが、「とってもいい人だ!」
そうそう、忘れちゃならないことがある。
彼は仲間内から、行動を止めると「死ぬ」と言われている回遊魚系人間だ。

「ホェールウォッチングと寒中ダイビング慶良間の旅」は
年末の休みに泊まりに来ていたダイバーふゆが
じっとしていると死にそうだからと、
わたしのパソコンをいじっていて
一生懸命貯めているマイレージの一部が
12月31日で期限切れになってしまう、と知ったことから始まった。
「どうしよう!!」
本気で焦りまくるダイバーふゆ。
いかに遊び人の彼でも、さすがに咄嗟の判断はつきかねると見えた。
そこで救いの手を差し伸べるべく
「わたしが使って上げようか?」と悪魔のごとく囁くワタクシ。
が、それは却下された。
本人でなければ使えないそうだ。
それでも何だかよくは分からないが、同伴者は割引になるそうで
しかもシーズンオフだから格安のチケットがあるという。
「沖縄と言ってもかなり寒いですが、ダイビング行きます?」
こういう時、わたしは辞退という言葉を知らない。
「行く!行く!」
浅ましい限りだ。
「もう2〜3人、誰か行く人いませんかねぇ。捜してみますわ。」
しかし、ダイバー連中で暇な御仁はいなかった(本人だけね)
「そーだ!ね、ね、たぁちゃん誘ってもいい?」
「いいですよ。ダイビングが出来なくても、今、慶良間はホェールウォッチングやってますから。」
当日は、たぁちゃんも夫と末の娘を連れて泊まりに来ていたのだった。
話はとんとん拍子に決まった。
たぁちゃんは一応、「本当にいいの?」と聞くことを忘れなかった。
もちろん間髪いれず「悪いわねぇ。お世話になるますぅ。」と続けたのだけどね。
その場に居合わせた夫には事後承諾を取っていた。
25年の積み重ねが彼女を強くしたのだよねぇ。
歴史を知っているわたしは深く頷くのであった。


当日まで、沖縄の天候はいまひとつだった。
雨が続き、気温も低い。
ダイバーふゆから、再三「防寒の用意を忘れないように」とのメールが届く。
考えていた以上に荷物が増える。
ダイバーふゆが時間に飽かせて、わたしのパソコンを使って作ってくれた
たぁちゃんとわたし用それぞれの「旅のしおり」には
伊東から羽田までの電車の時間まで書いてある。
気が乗れば彼ほどマメな男はいない。

「ねぇ、真理さん。
わたしのにはモノレールで行くようになってるんだけど、真理さんは?」
「わたしは品川から京浜急行だよ。」
「じゃ、わたしも一緒にそれで行くわ。わたしモノレールで羽田に行ったことないんだよね。
慣れてる方がいいから、わたしも京急で行く。
品川で待ち合わせしない?」
「うん、いいよぉ!」
直前のメールで、ダイバーふゆは大阪出張でぎりぎりフライトに間に合うか?とのことだった。
「お願い!チケットだけは間に合わせて!」 
                        つづく

Posted by mamedi5047604 at 10:38