ドナウ川サイクリング4

ドロヴェタツルム・セヴェリンからドナウ河口の街スリナまで

ドナウ川サイクリング行程地図

予定を変更、首都ブカレストを目指す

スリナ海岸,黒海を背に

お腹の調子が悪く、四苦八苦して漸くたどり着いたドロヴェタツルム・セヴェリンでしたが、此処でぎっくり腰に見舞われ、予定を変更し400㌔ほど先の首都ブカレストに向かうことにしました。

 1日中、横になって腰を休めると少し良くなったので、意を決して、出発することにしました。痛みをこらえながら、そろそろと起き上がり出発の準備。普段通りにはなかなかいきませんが、それでも8時には出発。天の助けか、追い風にその上気温も涼しい。それでもチェタテには5時間半ほど走って2時前に何とか到着し、シャワーを浴びてベッドに倒れ込みました。

シャワーを浴び、ベッドに倒れ込む。

おじさん達に声援を受ける

 セルビアに入ってから、野犬か、放し飼いの犬なのか、車に引かれた死体を日に何度も、多い時には10回以上も見ました。ルーマニアでは放し飼いの犬が多く、突然吠えながら大勢で追いかけてきて、不意を突かれ、とても恐怖を感じます。そんな犬が車に引かれるのでしょう。草むらには動けなくなった犬を何匹も見ました、かわいそうだがどうすることもできません。道路にはぺちゃんこになったものから、湯気の上がっているものまでのオンパレード。こうはなりたくないと心底思いつつ走ったのでした。

叢には動けなくなった犬たちが

やぎの横断で交通はストップ

 8月10日のカラファットからコラビアまでは150㌔の行程でした。フロントにネットで調べてもらったのですが途中にはホテルはなく、仕方なくギックリ腰の体を引きずって走ります。幸い、追い風に助けられてはいますが、気温はまたも40度。朝作ったスポーツドリンクも足りず、コーラで喉を潤しながら、やっとの思いで10時間ほどかけて、へとへとになって夕方6時過ぎに到着しました。

馬車がまだ活躍しています

同じく2

一路首都ブカレストへ

 コラビアで1日休養をとったこともあり、腰の状態は少しずつ回復しているようです。ジュルジュウからドナウ河を離れ、E70号道路を通って首都ブカレストへ向かいます。このルートもあちこちで、道路改良工事中です。

 ブカレストの街に入って、地図を読み間違い、とんでもない方向へ。

道を尋ねた若者はモルドヴァからの留学生、スマホでホテルの電話番号を調べ、場所を聞いて近くまで、親切にも案内してくれました。彼は経済学専攻とのこと。肩を並べて歩きながら、この国の印象について、又お互いの国の状況について語り合いながら、ホテルへと向かったのでした。

ブカレストで宿泊のホテル

7月7日リンツを発って、40度を超す酷暑の中、体力の限界と戦いながらの、39日間(走行32日)、走行距離は1987.4㌔、ドナウ源流からは2,856㌔のサイクリングでした。

ブカレストにて

 ブカレスト到着の夜、ホテルで紹介して貰ったガーデンレストランで食事をしながら、此れからの予定について考えました。此処で旅を終えて、ベースキャンプ地のフランクフルトに戻るか、更に、鉄道、バス、船を利用して、旅の目的地のドナウ川の黒海の河口のスリナ迄向かおうか、思案しました。

 夜9時、ほとんど暗くなって、風も爽やかに涼しくなってきました。ふと耳を澄ますと、「Que sera sera Whatever will be, will be. The future’s not ours to see Que sera sera」「ケセラセラ」です。ドリスデイが、私の心に確かな口調で語り掛けてきました。「そうだ、なるようになるわ。先のことはやってみないとわからない。」 「折角ここまで来たのだから、当初の予定通りスリナを目指そう」という気持ちが湧いてきたのでした。

 ブカレストの街にはなんとなく懐かしい雰囲気を感じます。電柱と電線に、大小さまざまの看板、そして新旧スタイルの建物がこの町の雑多な印象を与え、どこか日本の街並みを思い起こさせます。周りをスラブ民族に囲まれたラテン民族の国家。第2次世界大戦では、フィンランドと共に枢軸国側として、一時期ドイツ、日本と共に戦った国。8月15日の終戦の日に軍事博物館で見た、当時の日本の国旗や、戦闘のシーンに加え、この国の若者の写真や遺品などが、これまでのこの国の複雑な歴史を物語っているかのようでした。

軍事博物館で

軍事博物館で2

旅の目的地、スリナ迄

 不要の品を日本に送り返し、自転車や工具をホテルに預かってもらい、身軽になって、8月17日の朝、ブカレストを鉄道で出発しました。ルーマニア最大の港湾都市、コンスタンツァまでは、日本国の政府援助で改良された線路で快適な列車旅でした。

ブカレスト北駅

発車9分前になってもコンスタンチャ行きのホームが決まらない

日本の援助で改良された線路は乗り心地満点

ツルチァのホテルからのドナウ川の川の眺め

 そこから、満員のベンツの小型バスに揺られてツルチァ到着, 更に双胴船でドナウ川を下る事3時間、ようやく目的地のドナウ河口の街スリナに到着したのは、8月19日の夕方でした。

ドナウデルタの眺め

上りの便とすれ違う

苦労してたどり着いたスリナは何ということもない寒村でした。黒海は地中海のエメラルドグリーン色と違い、文字通り濃い藍色の黒い感じです。浜辺には小さなレストランがポツンと一件あるのみ。道路は未舗装で、風が吹けばドナウ川の運んできた砂で目を開けられないほどです。しかしドナウデルタのとても豊かな自然が広がっていました。未開発な観光資源は、近い将来、一大リゾート地に変貌するだろうと思いました。

スリナの海岸

スリナの海岸2

 ドナウ川は源流の頃はほんの数メートルの川幅でしたが、25を超す多くの支流が合流、河幅も1キロをはるかに越した堂々たる流れに成長して、河口では3つの支流となって、2,860㌔の長い旅をして、黒海に注ぎます。

 その間、用水、水運、灌漑, 漁業、観光等、沿岸10カ国の人々の暮らしや産業に大きな役割を果たしています。又歴史的にも、古くは北から侵入する蛮族の防衛線であったり、強大化するオスマン軍の交通路や近代にはオーストリア・ハンガリー二重帝国を結びつける大動脈の役割を担ってきたドナウ川、いわば覇権争いや、キリスト文明とイスラム文明のせめぎ合いの歴史、そして近代の民族紛争の様々な舞台を担ってきたと言えます。その有様を、川沿いの町や遺跡、博物館や美術館等、そして現地の人達から肌で学ぶことが出来ました。

 教科書からでは伺えない、ドナウ圏の歴史に直に接することが出来て、とても興味深く、今迄のヨーロッパについての考えもあらたにさせられました。

番外編(トラブルとの遭遇)

 さて、スリナから船でドナウ川をさかのぼり、ツルチャからは、古い中国製のバスに揺られ、9時間かかってブカレストに戻ってきました。

帰路に乗船した上り便

中国製のバスの車中

てっきりブカレスト北駅がバスの終点と思いきや、見知らぬ場所に降ろされました。はて、どうしたものか?と思っていると、1台のタクシーが寄ってきて、行き先を告げると「20Lei(約530円)」という。車を見るとメーターもなくどうも白タク臭い。そこで、「10Lei なら乗ってやる」と少し高飛車に出ますと、15Leiに下げてきました。「いや10Lei」と言って、歩き始めると、「12Leiならどうだ」と値下げしたので、早朝からの旅で疲れてもおり乗車。ホテルに到着して降りる時になって「13Lei」と言い出しました。すったもんだしましたが、相手は譲らず、聞き間違えも有ろうかと、13Lei払うと、車から降りて後部ドアを開けて、私が下りるのを見送り、「チップ2Leiをくれ」と催促してきたので、流石に頭にきて、「ふざけるな!倍の値段は取ってるやろ!何なら警察へ行こか!」と大声で威嚇したら、運転手は首を引っ込めて直立不動になりました。その態度におかしさをこらえながら、ホテルへ入っていたのでした。その後、ウイーンへ出発の朝、ホテルに手配してもらった駅までのタクシーの料金は5.6Leiでした。距離は違えどもあながち「倍の値段」は当たらずとも遠からじと、変に胸をなでおろしたのでした。それにしても、2Leiはわずか日本円にして55円位です。こんな金額で口角泡を飛ばして、言い争うのも大人げないなァと、後で思いおこしては苦笑しました。

自転車の車内持ち込みは解体が必要

車中からの眺め、大規模風力発電

 ウイーン滞在2日目の事でした。ホテルのすぐ近くで信号待ちしていると、「今何時?」と中年男性に聞かれ、更に「インターコンチネンタルホテルはどこ?」と聞かれました。「知らない」と答えると「地図を持っているだろう?見せてくれないか?」とのことで「勝手に探して」と渡しましたが、どうもそんな高級ホテルに行くような人物には見えません。さては、警官を装う詐欺のグループか?ならばもう一人相棒が居る筈と、辺りを見渡してもそれらしき輩は見つかりません。ところが中央の緑地帯まで渡ったところで、案の定現れました。屈強ないかにも強そうな男が現れ、「ポリツァイ(警察)」と言って証明書らしきものをちらっと見せました。さあ、お出ましなさいましたとばかり「ノー、警察ではないだろう!」と大声で2回ほど怒鳴り「警察署で話を聞こう!行こうか?」と言って地図をひったくったら、彼らはすごすごと二人並んで退散していきました。勿論警察ではありません。(本当は麻薬容疑者と警官の詐欺グループなのです。)しかし私の心は、まったくの冷汗ものでした。

 フランクフルトで中年夫婦から聞いていた所では、1人が「写真を撮りましょうか?」と近づいて来て、しばらくしてもう一人が現れ、「警察」と言って警察手帳らしきものを見せて、最初の男に麻薬容疑がかかっていると、財布をチェック。更に同様に、その夫婦は、彼と同じく麻薬容疑をかけられ、財布の中身を確認されたそうです。その後、ホテルに帰って調べてみると、財布に入れていた日本円10万の内、5万円がなくなっていたとのことでした。財布を改める間、夫婦で凝視していたのに全く分からず、「それはまさに神業でした」という生々しい話を聞いていたのがしっかりと役に立ちました。

麻薬詐欺に遭いかけた場所

美術館巡り

美術館巡り2

美術館巡り3

 感謝の心

 地方を回っていると地元の人々の親切な手助けに感激しますが、半面、大都市では、上記のような、詐欺やスリ、ひったくりを始め、旅行者を狙った事件にはおなじみです。更に最近では、凶悪なテロ事件も頻発しているのもご承知の通りです。

 今回のサイクリングを振り返ってみて、つくづく幸運だったと思わざるを得ませんでした。道中お世話に成った人々に心から感謝するとともに、体力の限界を感じながら、危険と紙一重隣り合わせの旅を安全に終えることが出来たのは、言葉では言い表せない、目に見えない天の力が、私たち夫婦を導いてくれたように思えて仕方がありませんでした。

ドイツでは自転車は車内持ち込OK

同2

 朝の気温も15度を下回るようになり、すっかり秋の装いに染まった、フランクフルトから、来年から着手予定の、ポルトガル・リスボンからトルコ・イスタンブール迄の約6,000㌔の地中海サイクリングの計画を胸に描きながら、9月4日、帰国の途に就いたのでした。

ドナウ川サイクリング 完

文、写真:商学部44年卒 夏目 剛