■日本の高校におけるアジア言語教育の現場から──(13)
日比谷高校国語科の加藤明雄先生は、着任して13年になりますが、その間
生徒の中に何人かの韓国人や在日韓国・朝鮮人がいたことが隣国について考えるきっかけになったといいます。1986年に初めて韓国に旅行した時、現地で日
本語が通じることに戸惑いを感じる一方、活気のみなぎる市民の生活や慶州古墳群のたたずまい、高麗青磁に秘められた韓国人の美意識に魅せられ、1年後にふ
たたび韓国を訪れました。
加藤先生がハングル講座の開設を思いたった陰には、自身の体験と同時に、社会科の武井一講師との出会いがありました。同世代の韓国人との交流の輪を広げて
いる武井講師の姿を見て、言語教育を通じて生徒たちに隣国との交流につながる機会を与えられないものかと考えたのです。
一方、中国語講座の開設には、国語科の佐藤和夫先生が大きな役割を果たしています。中国語とハングル講座開設の話がでたのは、昨秋(96年)の職員旅行中
のことでした。日比谷高校に着任してまだ半年の佐藤先生から中国語の必修クラブをつくりたいという話を聞いた加藤先生は、どうせつくるなら選択科目として
中国語とハングルの講座を同時に開講しようと、その場で校長をはじめ、教務主任や英語科の先生方に意向を伝えました。
その後、職員会議で全会一致でふたつの講座開設が決まりま
した。「長年にわたって、フランス語とドイツ語を継続してきた伝統があったからこそ実現できた。目先のことだけを考えれば無駄なことのように見えるが、十
年二十年先には必ず何か実る」と加藤先生は講座の将来に期待を寄せています。初年度の受講生は中国語11名、ハングル10名です。おふたりとも、受講生が
たとえわずかでも開講する意気込みでいたものの、実際にどのくらい生徒が受講してくれるか心配でならなかったといいます。週1回2時間の授業では、言語教
育そのものよりも生徒の目を中国や韓国・朝鮮の歴史や文化に向けることに主眼を置いています。
「国際文化フォーラム通信」35号(1997年7月)
※追記:加藤明雄先生は平成16年12月に逝
去されました。