鹿児島高麗町
西鹿児島駅のすぐ近くに、高麗町、高麗橋があ る。地名の由来は1598年、慶長の役の時に島津義弘が朝鮮人をたくさん連れてきて、ここに住んだことに由来する。このようなところは九州地方に多く、高 麗町、唐人町の名前が多く残る。1663年にそのうちの83人が苗代川(沈寿官の居る町)に移り、1669年にもここに住む25家族が苗代川に移ったとい う。高麗町は甲突川右岸に あった。

朝鮮人がここを離れてからは、この橋の両岸に 150坪前後の士屋敷が作られた。大久保利通、西郷隆盛などの明治維新の志士の生地はこの一角に集中している。高麗町と甲突川左岸との間には、古くから 「高麗町之橋」が架かっていたが、1847年に五連アーチの石橋となった。しかし、1993年の甲突川の水害で破壊されてしまい、新しい橋となった。な お、照明は薩摩切子である。

薩摩切り子
大久保生誕の地
実際は川向こうの
高麗町
大久保利通像
西郷誕生の地

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