延吉周辺の渤海遺跡について
西古城中心部(車窓より)

渤海は698年から926年まで朝鮮半島北部(大同江以北)、中国東北部、ロシア沿海州にかけて広がっていた国である。高句麗遺民と粟末靺鞨が作った国で、大祚栄が初代の王である。最初に起きた場所は現延辺朝鮮族自治州の敦化である。上京竜泉府(牡丹江)、東京龍原府(吉林省渾春)、中京顕徳府(和龍)、南京南海府(咸寧)、西京鴨緑府(臨江)と五京あった。渤海は日本とも関係の深い国であったが、その港がロシア側に残されている。

延吉郊の和龍にある西古城は中京顕徳府の跡とされている。ここは遼東平原からいくつもの山を越えなければならず、唐が攻めにくい場所であるとともに、朝鮮側からも山越えになるので、陸路で新羅が攻めることも難しい場所である。そのような場所を都として、第3代大欽茂の時代まで勢力を蓄えたのである。周囲には土塁がめぐり、その中に都が作られた。近くの竜頭さんには大欽茂の4女貞孝公主の墓(壁画墳)があり、背後には塼塔が建てられているという。これらの遺跡は、現在発掘調査などの理由で非公開である。


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