戦前の朝鮮の法(日本本土との違い)
1910(明治43)年8月29日、韓国併合に関する条約の公布によって、韓国併合が行われた。しかし、併合されたからといって、日本と同一になったので
はない。同一であるならば、併合後日本本土と同じ法律が使われなければならないからである。
同じ法体系の地域であることを「法域」が同じという。併合すれば本来同じ法域であるべきだが、それぞれの国の状況から同じ法域に出来ない場合もあった。旧
西ドイツでは西ベルリンが別の法域であった。形式上、米英仏占領地域で、西ドイツの領域そのものでなかったからである。又、文化などの違いにより同じ法体
系の適用が困難である場合、別の「法域」とした。植民地が代表的である。
そもそも、戦前の日本の法域は非常に複雑であった(美濃部達吉、憲法提要などによる)。
1 日本本土(ほぼ現在の日本の領土。ただし、北海道と沖縄は法理論上は微妙な問題がある)
2 植民地(朝鮮、台湾、樺太)
それぞれの法体系がある。法律にあたるものを朝鮮では制令、台湾では律令といった。この地域に居住する現地の人の国籍は日本。
3 租借地(関東州)
主権は中華民国であるが、それを日本が借りているもの。したがって、ここにいる中国人は中国籍。
1972年までの沖縄がこれに近い状況だった(国籍は日本、主権も潜在的には日本。しかしアメリカ側の支配)。
4 信託統治領
国際連盟から信託された地域。あくまでも日本ではなく、信託されただけという地域。
5 占領地 ただ占領しているだけ。
この5種類のうち、日本の領域は1,2までである。
朝鮮は2に属していた。法律に当たるものは、朝鮮総督が制令という名前で公布した(「朝鮮に施行すへき法令に関する件」)。これ
は帝国議会で可決された法律ではない朝鮮独自の規範である。
(※法律は帝国議会で可決したものだけ)
ただし、純粋に朝鮮の「制令」だけが適用されたかというと、必ずしもそうではない。帝国議会で制定された法律で、勅令でそのまま適用されたり、その性質
上、朝鮮で使われることを目的とし
たものがあるからである。つまり、朝鮮では3種類が法源として機能していた。
1 勅令で施行された法律(特許法、会計法、郵便法、治安維持法など)
2 朝鮮で使われることを目的とした日本法(朝鮮銀行法、植民地、共通法など)
3 制令
制令では多くの日本の法律が移用されていたが(朝鮮民事令、朝鮮刑事令参照)、日本の法律が朝鮮の法体系の中に移用されたものであって、
あくまでもそれらの解釈も、朝鮮の法体系の中ですべきとされていた。つまり、朝鮮法そのものである。
このような点から、大日本帝国憲法が適用されるのかも問題となっていた。
これについては、台湾について政府が大日本帝国憲法の適用なしという見解をだしたが、帝国議会で問題となったため、それ以降曖昧にされていた。朝鮮につい
ても同様である。
しかし、日本本土と異なる法体系、裁判制度、議会制度などを持っていること。家族制度が異なることから戸籍法が適用されなかったり参政権の制限などもあっ
たのだから、つねに憲法
の適用との関係は問題となりえた。美濃部などは、国家元首としての天皇の部分など、当然に適用される部分と、適用されない部分があると述べていた。
このように、植民地は法域の異なった地域であった。現地の人の移動には様々な制限があったし、一時期までは移入税という関税も存在していた。法域が異なる
から警察権も別であり、朝鮮で犯罪を起こした人が日本本土に逃げ込んでも、朝鮮の警察は日本本土で活動は出来ない。その逆もしかりであった。これは後に共
通法という法律ができて解
決した。
このように植民地は法的には外国と同じ地域だったのである。そのため、植民地について、「外から見れば国内であるが、中から見れば外国である」と言われる
のである。