古代東アジア史概観
【3つの視点】
古代、倭、朝鮮半島を含め様々なクニが興隆した。これらのクニの興隆は、そのクニだけでなく周囲の状況も大きく関係している。東アジアにおいては中国が安定しているかどうかが大きな要因となる。中国の混乱期には東アジア世界が混乱状態になり、中国が安定しているときは東アジア世界全体が安定するからである。しかし、中国の安定、不安定も国内のみならず、周囲の民族との関係で起こる。東アジア、ことに東北アジアに関しては北方からの民族の動きが、漢民族の不安定要素になった。すなわち、

 (1)北方騎馬民族
 (2)北方騎馬農耕民族
 (3)漢民族である。

騎馬民族は中国東北地区北部からモンゴル方面に広がる民族で、遊牧生活をしている。騎馬農耕民族は高句麗のように、多少豊かな土地に生活しているため農耕が出来る民族である。しかし、いずれにしても十分に食料が自給できるわけでない。気候的にも寒冷である。そのため、気候条件がよく食料も十分に生産できる中国方面に侵入しようとする。漢民族が強力なときはその移動も押さえられるが、弱体化すると次々に中国平原に騎馬民族が押し入ることになる。その一部は朝鮮半島に向かう。

古代東アジアは「秦」「漢」が衰え、五胡十六国時代という時代を経て「隋」「唐」に至る時代であった。そのため、大激動期を迎えるとともに、各地の民族が発展することとなったのだ。

【3世紀】
紀 元前3世紀、秦、漢が成立して中国は安定期に入る。漢の時代、勢力は大きく広がり、紀元前108年、衛氏朝鮮を滅ぼした漢は朝鮮北部に4つの郡を作った。このため

 ・ 高句麗は漢に囲まれて身動きがとれない。
 ・三韓(馬韓、弁韓、辰韓)は楽浪文化の
  影響でクニが形成された。
 
 ・倭は弁韓を通じて楽浪を経由して中国と
  往来した。なお、北九州中心。
【4世紀】 4世紀初頭、中国は五胡十六国時代。
騎馬民族が群雄割拠するようになる。

 ・高句麗:燕に阻まれ中国に進出できない。
 ・楽浪、帯方が高句麗に滅ぼされる。
 ・その刺激で三韓はそれぞれ
  百済、伽耶、新羅に発展。

 ・高句麗の南進で、百済は警戒態勢に。
 ・高句麗は新羅を属国状態にする。
 ・帯方の故地に近い百済の発展。
 ・伽耶も金官中心に大発展

 ・倭は大和と伽耶の結びつきが強くなる。
  (この頃から河内政権ができる)
【6世紀】 中国北部、南部とも比較時安定した時代が訪れ、魏晋南北朝時代が来る。

・高句麗の新羅救援;倭、伽耶、百済敗北
・金官伽耶の衰退。大伽耶の興起
 (倭、多量の渡来人。秦氏)

・北朝−高句麗−新羅と伽耶、百済−南朝
・新羅の伸張と伽耶の滅亡

・倭は南朝につくが、地方首長ごとに独自のつながりも…
 磐井は大伽耶。当時大伽耶は新羅に接近(磐井の乱)
【7世紀】 隋、 唐による中国統一。

・中国は騎馬民族の高句麗を滅ぼしたい。
・力をつけた新羅と唐の結合。

・高句麗、百済の滅亡。
・日本、飛鳥時代。白村江、遣唐使。

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