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随想:24式太極拳を習う
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§6.まとめ
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以上で自己流ではあるが当面の太極拳練習のための教材は揃った。
世間で言われる教材とは定義が違うかも知れないが、列記すれば次の項目となる。

1.24個の套路の中国語による名称と発音及び順序を記憶したこと
2.全套路の動作を荒削りではあるが覚えたこと
3.究極の演技目標「高佳敏」をイメージの記憶として頭の中に取り込んだこと
4.伴奏音楽を「携帯音楽プレーヤー」に取り込んだこと
5.「号令無しの音楽」でも演技出来るように伴奏音楽を暗記したこと
6.伴奏音楽の速度を好きなように変えて練習出来る環境を作ったこと

上記の各項目は他人から見れば支離滅裂で価値はないかも知れないが、全て私なりに苦労した試行錯誤の結果である。
そして各項目は、こじつければ視覚、聴覚、知的感覚、達成感、愛着感、情熱的感覚などと関連し、かつそれらは複雑に交叉している。

これらの既に頭の中に在る教材を活用すれば、練習のためのキーワード「全ての感覚を総動員した練習」および「全体から細部へ向けての練習」が行い易くなり、練習も受け身の練習から主体的な練習になるのではなかろうかと期待している。

このように書くと、私を知らない人は太極拳の技術がかなり上達しているなどと想像するかも知れないが、それは全くの間違いで太極拳を始めて6ヶ月の素人、基本も全く習得していないレベルである。しかも自己流である。今から少しずつインストラクターから正しい套路を習いたいと思っている。

最後に付け加えたい。教育改革論者ではないが日本の教育方法にはいろいろ疑問を持っている。

マニュアル(教科書)を細かく作成し、細分化した項目(技術)をステップを追って教える教育方法、興味が湧かないことを只々暗記強要する教育方法、主体性がなく受け身にならざるを得ない教育方法、体育に見られる極端なしごきによる教育方法 、‥‥
 
このような教育の結果、応用力が効かず、独創性に欠け、一時的には優秀に見えてもやがて成長が頭打ちになってしまう若者が増えるのではなかろうか。
私が若い頃受けた教育方法はこのようなものであった。現在では良い方向に改善されていれば良いが。

話は飛躍するが私はこの数年間、少ない回数ではあるがヒマラヤの秘境ブータン草原のモンゴルベトナム辺境の少数民族インド辺境の少数民族などをツアーで短期間ではあるが旅行した。

そこで見たものは貧しくマニュアルなどはないが、生活と密着して知識と技術を身につける教育方法であった。例えばモンゴルで乗馬を親が子供に教える場合ステップを追った練習方法でなく、「全ての感覚を総動員した練習」、および「全体から細部へ向けての練習」が自然に行われていたように感じた。また、彼らが歌う民俗音楽は機械的な演奏技術だけの教育ではなく、音楽への感情導入が自然に行われているとも思えた。近代文明はこれらの教育方法を破壊したようだ。

ハイテク技術や医療技術などを教育する場合はモンゴルの乗馬方式では無理とは思うが、世界の先進国はもっと自由闊達な教育方法で生徒の才能を伸ばしているのではなかろうか。

太極拳とは関係ない事項であるが、このような事を考えながらここまでの冗長な文章を書いてきた。最後まで目を通して貰えた人はいるだろうか?  完

                                 平成19年7月27日 記

  
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