特に大きな事件は、レーガン大統領による、1986年のリビア襲撃。テロに対する報復措置としてリビアに60トンの爆弾を投下し、カダフィの養女を含む101人が殺された。この後アメリカは、リビアからアメリカ資本を引き上げさせる。
対して、リビアは報復として1988年、スコットランド上空で米パンナム機爆破事件を実行(犠牲者は270人)。さらに翌1989年に、フランスUTA機をアフリカ・ニジェール上空で爆破し、170人の犠牲者を出した。

そして1996年8月、アメリカは、リビアが化学兵器工場を建設中だとして、リビア制裁を強化した。
このように、西側諸国とリビアの関係は最悪の状態にまでなった。

カダフィ大佐-3‥‥ところが、その後事態は急速に改善に向かうことになる。リビアは1999年にパンナム機爆破事件の容疑者を引き渡し、国連の制裁解除を得た。

この後カダフィ大佐は、アラブ・イスラム世界へ関与することをやめ、アフリカ社会の一員となる道を選び始めた。2000年7月、トーゴで開かれたアフリカ統一機構サミットは、カダフィ大佐のアフリカ世界への公式復帰祝典に近いようなものとなった。さらに、2002年7月には彼が提唱したヨーロッパ連合(EU)を模範とする「アフリカ連合(AU)」 の会議が実行された。

また、2001年の9・11テロでも弔意を表明し、さらに欧米の観光客がアルジェリアで誘拐された時には、カダフィ子飼いの財団が自腹を切って身代金を払うなど、欧米寄りの姿勢を見せた。また、先の2つのリビアによるテロ事件では、リビアがアメリカ・イギリス・フランスに賠償金を払った。

カダフィ大佐-4‥‥そしてカダフィ大佐は、鎖国的な今までの方針から転換。2003年12月、ブッシュ大統領はホワイトハウスで声明を発表し、リビアがすべての大量破壊兵器の廃棄を約束、国際機関による即時かつ無条件の査察受け入れに合意したことを明らかにした。リビア政府も同日、自らの意思で廃棄を決定したとの声明を発表し、カダフィ大佐が「北朝鮮なども大量破壊兵器を手放すように」 と迫るような状況にまでなった。


リビアは石油資源も豊富なため、大量破壊兵器なんかを所有して維持費はかかる上に国際的に孤立するよりも、石油を利用して繁栄した方が得。カダフィ大佐は、そこに気がついたのかも知れない。当然、この「恩返し」 のために、アメリカはリビアに 「見返り」 を与えることになる。またアメリカは石油の利権も確保する。

カダフィ大佐-5‥‥しかし今後を考えると、現在の解放政策にいち早く乗り込み、なんらかの商売を始めることができる資産と才覚を持った人がますます富み、資産もなくおとなしい人がますます取り残されるといくという「格差社会化」 に対して、リビアの政治体制がどのように対処していくのか。また、カリスマ性を持つカダフィ大佐が、政権から完全に離れたらどうなるのだろうか。

現地で聞いたところでは、カダフィ大佐自身は自分以降の体制に対してのアナウンスはしてないが、国民はカダフィの息子が跡を継ぐことを希望しているようだとも聞いた。ただし何が本音かは分からず、今後10年間が勝負どころかも知れない。 「格差社会化」 は日本含めて世界共通の課題である。  (戻る)
カダフィ大佐
若き日のカダフィ大佐
若き日のカダフィ大佐
(ジャマヒリア博物館にて撮影)
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カダフィ大佐-1‥‥1912年にイタリアがリビアを占領した。そのため、第2次世界大戦ではリビアは激戦地の1つとなり、戦後フランスが統治。1949年にはリビアの独立が決定した。そして、1950年にこの地域で大きな影響力のあるイスラム教指導者が国王に任命された。

1951年に憲法発布、そして独立宣言、1952年には選挙の実施とアラブ連盟へ加盟、1955年に国際連合加盟と、国際社会の一員として登場していく。

しかし、世界有数の産油国となり、GNPが世界のトップクラスにランクされたにもかかわらず、王制の下での実質的な西欧植民地支配では、民衆にとってなんら変わることがなかった。ところが、そんな動きを苦々しく見ていた青年将校達が、1969年9月に無血クーデターを決行。トルコで療養中の国王を追放し、当時28歳のカダフィ陸軍大尉を中心とする社会主義政権が誕生した。

カダフィ大佐は、1942年9月にリビアの遊牧民カダファ族として生まれた。彼は、アラブ民族主義を説き、1952年エジプト革命を起こしたナセルの思想に共感していた。そして、カダフィ大佐は無血クーデターで国内掌握した以降、リビア最高指導者として君臨している。

カダフィ大佐-2‥‥カダフィ大佐は、国内では外国勢力の追放と国家による資本所有を実行。また、イスラエルで活動をするPLOへの援助や、イスラム過激派テロリストにも支援。アメリカとの関係は1980年代に最悪に達し、1981年にはアメリカ軍の航空機がリビアに侵入し、リビア空軍機2機を撃墜。これを契機に、互いに攻撃と報復を繰り返した。 (右上へ続く)
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