キュレーネ遺跡平面図 libya006002.gif
地図は「リビア新書」(野田正彰著)
よりコピーさせて戴きました
キレーネの歴史/ギリシャ時代(1)‥‥キレーネはベンガジ地方最大の、ギリシャ人が建設した植民都市である。古代ギリシャでは物事を決定するときに神の裁断を仰いでいた。BC 630年、ギリシャのサントリーニ島で数年にわたり雨が降らないため、住民がアポロンの信託を受けに行く。

信託は 「リビアに行って新天地を探せ。そこには金があるだろう」というお告げだった。そのため、バットスを指導者とする200人の植民団がリビアを目指した。

入植後バットスは初代の王となり、40年にわたり統治し、都市の中心にアゴラ(広場)を設けアポロン神殿を築いた。穀倉地帯で近くに港湾都市(アポロニア)が開かれたこともあり、大いに栄えた。

キレーネの歴史/ギリシャ時代(2)‥‥キレーネは海岸からは20kmほど離れていて、キレナイカ丘陵(海抜600m)が海に向かって切れ落ちていく境のところにある。

丘陵の上の方が平坦地多く、水もあり都市建設には都合が良い上に、「神々は山の上」というギリシャの伝統にも則っているので、港湾都市(アポロニア)よりもこちらが主要都市になった。

キレーネの歴史/ローマ帝国時代‥‥BC 331年、アレキサンダー大王がエジプトに侵攻した折りにも、キレーネからはふんだんに進物が贈られ、それによって友好条約が結ばれ街は守られた。

その後一時期古代エジプト、プトレマイオス朝の支配下となり、アレキサンドリアと並ぶ北部アフリカの中心地として栄えた。

やがてエジプトはキレーネをローマに寄贈し、BC 96年にローマ帝国の属州となり、さらに殖民都市として栄えたが、AD 4世紀頃までにはほとんど衰退し、イスラム軍の侵入を経て打ち捨てられ、18世紀になってようやく発見されるに至った。

(戻る)
libya006001.gif