レプティス・マグナ遺跡平面図 libya005002.gif
地図は「リビア新書」(野田正彰著)
よりコピーさせて戴きました
レプティス・マグナの歴史/フェニキアの時代‥‥レプティスはリビアの首都トリポリの東130km にある。BC 9世紀頃、地中海を商業活動によって制覇していたフェニキア人はレプティスを貿易の中継地として、アフリカ内地から金、象牙、奴隷を搬出した。

そしてBC 4世紀にカルタゴが地中海の一大勢力となるにつれ、ますます繁栄した。背景に豊かな穀倉地帯が控えていたため、長年月にわたり多くの建造物が築かれた。
 
BC 146年の第3次カルタゴ戦争でカルタゴがローマに敗れた以降はローマ領となったが、その時すでに本国ローマの都市にも劣らない景観を有していたと言う。

レプティス・マグナの歴史/ローマ帝国の時代‥‥レプティスの絶頂期は、この町の出身者セプティミウス・セウェルスがローマ皇帝(在位AD 193〜211)となった時代であった。彼が全ての属州の都市のなかでレプティスを最優遇し、惜しげもなく財を投入し建築事業を推進した結果、レプティスはカルタゴ、アレキサンドリアに次ぐアフリカ第三の大都市となった。現在見られる偉大な遺跡は彼の功績を記念したものが多い。

何時の時代、何処の国も政治家はその出身地を大事にするのであろう。

レプティス・マグナの歴史/衰退の時代 ‥‥しかし、交易が急激に減少した「ローマ帝国3世紀の危機」、および農業生産力の減少により、レプティス・マグナは衰退の一途をたどった。5世紀にはゲルマンの侵略を受け、ビザンチン帝国によって一時は部分的に復興されたが、6世紀にアラブ人が侵略し、港が汚泥に覆われるようになり街は荒廃した。

その後砂漠の砂が押し寄せ、この古代都市は砂に埋もれていった。しかし砂によって密閉されたことが幸いし、建築物や彫刻群は損傷を免れ、良好な状態で保存されるという皮肉な運命をたどった。

(戻る)
libya005001.gif