サブラータ遺跡平面図 libya004002.gif
地図は「リビア新書」(野田正彰著)
よりコピーさせて戴きました
サブラタの歴史/フェニキアの時代‥‥サブラタは、トリポリの西約65kmの地中海沿岸にある。BC 3000年頃現在のレバノンから発生し交易によって栄え、地中海を西へと勢力を伸ばしたフェニキア人は、BC 9世紀に北アフリカを拠点とした海洋国家「カルタゴ」 を建設した。

そしてBC 6世紀の末には交易都市サブラタ港を建設し、アフリカの後背地の産品積出港としていた。

しかし地中海の覇者と言われたカルタゴも、ローマ帝国との第3次ポエニ戦争(BC 146年)で滅亡し、サブラタは一時、西アフリカのベルベル人の国家(ヌミディア王国)の支配下に入る。


サブラタの歴史/ローマ帝国の時代‥‥やがてローマはベルベル人のヌミディア王国と対立し、サブラタはBC 2世紀頃ローマ帝国に組み込まれた。

AD 2世紀始めにローマの属州から殖民都市に昇格し、3世紀にローマ式プランによって都市が再建された。

セプティミウス・セウェルス帝が近隣のレプティス・マグナに生まれたこともあって、彼の治世下がレプティス・マグナ同様にサブラタにとっても絶頂期であった。

サブラタの歴史/衰退の時代‥‥しかし、サブラタは4世紀に相次いだ地震の被害を受け、とりわけ365年の地震の被害が大きかった。5世紀には北部ヨーロッパから南下したゲルマン系のヴァンダル人が襲来して建物を破壊した。

その後、ビザンチン帝国総督のもとで規模を縮減する形で町は再建されたが、7世紀に北西アフリカ諸国をアラブが占領して数百年と経つうちに、交易の拠点は移り変わり、それにつれてサブラタは一村落へと衰退していった。現在でも倍以上の広さの町が発掘されずに埋まっている。

1930年にイタリアの援助により発掘と修復がなされたが、塩害に弱い材料を用いた性急な修復によって、遺跡の痛みがいっそう激しくなっている。

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