入院中に親しくなった"親分さん"から、好意ある、でも"驚愕の申し出"を受けたことがありました。
私は、神奈川県某市の市立病院の、内科病棟の8人部屋に、急性肝炎で入院していたことがありますが、どういう訳かその病棟には、胃潰瘍や肝臓病の患者が異常にに多く、彼らと付き合っているうちに、患者には、いろんな性癖の人がいることに気が付きました。
私の隣のベッドに70歳を過ぎたお爺ちゃんがいたんですが、このお爺ちゃんが、昼食の時になると必ずナースコールのブザーを押します。
すると看護師がお丸を持って駆けつけて来て、仕切りのカーテンをあわただしく閉めます。
間もなくそのカーテンの隙間から、異臭が漂って来ます。
神経質な私は、昼食の度のその行為にすっかり食欲をなくし、そのお爺ちゃんの一刻も早い死を真剣に望んだものでした。
食事が終わるとそのままベッドの上で歯を磨くおじさんもいました。
しかも食事の時に自分が飲んでいた"湯呑み"で、ガラガラとうがいをし、自分が食事して空になった"ご飯茶碗"に白い液体をペッと吐き出し、最後に、残ったお茶をゴクッと飲み込むんです。
まさに、鬼気迫る様子で、おじさんがその行為を始める前に、私に食欲があるうちに、あわててご飯をかきこむ始末でした。
その行為が始まったら、とても食事を続行することなんかできるものではありません。
胃潰瘍は、今はよい薬ができて、入院したり手術したりしないでも結構直るようになったらしいんですが、当時は重い場合には手術していましたし、投薬するにしても入院しながらというケースが多かったような記憶があります。
胃潰瘍は神経質な人に多いの病気だと聞いたことがありますが、入院してみると、その言葉が実感できました。
お風呂には毎日は入れないので、夕食後に各自、洗面所で体を拭くんですが、毎晩30分以上もかけて歯を磨いたり体を拭いたりする10代の少年がいました。
この若さで可愛そうに、慢性の胃潰瘍なんですが、素人目にも、この異常なほどの潔癖症が病気の原因になっていることは一目瞭然でした。
又部屋を出入りする度に、先ずウェットティッシュでドアノブを拭いてからでないとノブに触れることのできない、典型的な潔癖症の人もいました。
一度洗面所で手を洗っている彼に出会ったんですが、私が用を足して出てきても未だ手を洗っていました。
私はウイルス性のA型急性肝炎だったんですが、肝臓の患者の共通点は何だか、分かりますか?
それは、大酒飲みです。
寄ると触ると、ガンマGTPという検査値の話題が、病室で飛び交っています。
アルコール性肝炎の患者の特徴は、入退院を繰り返す」ことです。
酒を止めれば直る病気なのに、殆どの人は退院すると、また酒浸りの生活に入るからです。
私が入院していた2か月の間にも、酒で出戻って来た人が2人もいました。
ある日私の隣のベッドに、数人の若い人に介護されてよろめきながら入院してきた50歳ほどの男の人がいました。
でっぷりと太っていて、顔つきに凄みがあり、黙っていても周囲に威圧感を与える一見"や○ざの幹部"といった感じの人でしたが、矢張り"や○ざの親分"でした。
尤も、「たいした"組"ではない」と、後で本人は言っていましたが。
彼(以下、親分と書きます)はアルコール性肝炎の悪化で緊急入院をしてきたのです。
親分はこの病院で入退院を繰り返している常連で、入院当日は元気がなかったものの、点滴などで元気になるや、翌日からはベッドの上で数人の付き添いの若い人達にあれこれ指示を出したり、ひっきりなしに訪れる見舞い客の対応に追われていました。
私にはベッドが隣同士のよしみでよく話しかけてきましたが、個室に空きがないので、空くまでの間、大部屋にいるんだと言っていました。
連日届けられる見舞いの菓子や果物をもてあまし、それを同室者に気前よく分けてくれる有難い親分でした。
ある日やっと個室が空いたので彼はそちらへ移ることになりましたが、「個室じゃ寂しいからたまには遊びに来てくれや」と、なんとも心細そうに私ごとき素人に向かって嘆願します。
病棟には面会時間というものがあり、その時間以外には、身内といえども病室に入ることは許されません。
その間が寂しいらしいのです。
それでちょくちょく彼の病室に顔を出す破目になってしまいました。
1対1で向かい合うようになって初めて気が付いたんですが、入院中にもかかわらず、親分は身だしなみが実にさっぱりしています。
いつ訪ねても、ひげは青々と剃られ、髪もきちんと整えられています。
それに安ものはひとつも身につけていません。
ガウンもパジャマも、それに肌着も、一見して高価だと分かるものです。
毎日面会にやって来る奥様も、昔はさぞかしと思われる美人で、他人との応対にもソツがなく、私の妻にも是非見習わせたいと思うほどでした。
この奥様でもマジ切れするような椿事がありました
まだ大部屋にいた時のことですが、親分のもとに、馴染みのバーのママさんが、店の女の子を数人引き連れて見舞いに来たことがあります。
ガードの固い奥様の監視網に引っかかることは目に見えているので、入院のことは伏せていたらしいんですが、蛇の道はヘビ、どこからか聞きつけて早速見舞いに駆けつけて来たわけです。
当然奥様と鉢合わせすることになってしまいました。
奥様は親分がこのバーのママさんと親密な関係にあるということを知っていたらしいんです。
病室前の廊下で、「主人は重体で面会謝絶となっていますから、面会させるわけにはいきません。お引取り下さい」という、奥様のかん高い、しかし毅然とした声が聞こえ、「それじゃあ、○○が見舞いに来たと伝えてください」と捨てゼリフを吐いて退散するママさんの声がそれにかぶりました。
親分は、布団をかぶって寝たフリをしていましたが、奥様はたった今起きた出来事については一言も触れず、その日は平穏に過ぎていきました。
そうこうするうちに私の退院の日が迫ってきました。
明日退院という日に、私は親分の個室を訪ねました。
親分にはかねてから明日の退院のことは話してはあったんですが、親分は私の退院を非常に残念がって(?)くれた上で、私に"驚愕の提案"をしました。
「明日俺の車であんたを家まで送るように、うちの若いもんに言っといたから」
「俺の車」
よーく知っていますとも。
病室から見える駐車場に停まっている、ピカピカに磨き上げられた黒塗りの高級車、や○ざの人達が最も愛用するドイツの高級車、そう、あの「メルセデスベンツ」です。
そのベンツで、私を家まで送り届けようというのです。
身の毛のよだつような、有難くも恐ろしい申し出です。
これ程のありがた迷惑な申し出に遭遇したことはかつて一度もありませんし、恐らく今後もないでしょう。
私は固辞し、お気持ちだけを有難くいただくということで、親分には納得してもらいました。
退院の日の朝に私は親分の1人っきりの個室に顔を出し、お別れのあいさつをしました。
親分は寂しそうにポツリと言いました。
「俺もそろそろ退院だな……。俺の場合は、入院は医者に決めさせるが、退院はいつも俺が自分で決めるんだ」
その一言に、親分の凄さと、面目躍如たるものを垣間見たような気がしました。
私は迎えに来た妻と2人で、JRと私鉄を乗り継いで、2時間もかけて、長い間留守にしていた我が家へ帰って行きました。
親分さん、その後お元気でしょうか?
入院中の語らいの中で、親分も相当に無茶なことをなさってきたみたいで、別荘暮らしの体験も1度ならずの印象を受けましたが、私も親分からいろいろ学ばせていただいたこともあり、その時のことを時々思い出しては、感傷に浸る年の瀬です。
それでは佳いお年をお迎え下さい。
平成15年12月30日
130.「入院中の親分とわたし」