105.「北朝鮮拉致家族の子供情報・18」
"地村"さんの一家
"蓮池"さんの一家
その他"関連情報"
"曽我"さんの一家
H19/07/16 (週刊新潮 08/01/3、10日新年特大号)
ジェンキンスさんが日本に来て3年余が経つ。
近く腸の手術を控えるジェンキンスさんは、知人に「ハワイへ行きたい」と洩らしているという。
「ジェンキンスさんは、06年7月から、佐渡歴史伝説館で働いていますよ」と、同館の関係者がいう。
「観光客が少なくなる冬場を除く4月から11月までの契約で、お土産を売るコーナーで働いてもらっています。観光客が一緒に記念写真を希望することが多いのですが、嫌な顔ひとつせず、応じています。10年前に比べると観光客の数自体は半分に減っているのに、ジェンキンスさんのおかげで、土産物の売上は逆に倍増しているんです。"ジェンキンス効果"だと、皆喜んでいます」
せんべいや饅頭の土産物に、拉致被害者の帰国を願うブルーリボンのシールを自らつけてくれるので、観光客も感激するという。
「本人は日本語が話せないのですが、写真を後で送ってくれた人には、館の葉書に英語でサンキューと書いて礼状を送っています」
そんなジェンキンスさんの趣味は、バイクである。
知人によれば、「ジェンキンスさんはバイク狂と言っていいくらいのバイク好きですよ。ホンダ『マグナ』250ccに乗っていますが、最初400ccに乗るのも考えていたみたいだけど、車検がない250ccを選んだんです。まだ佐渡一周はしていませんが、それが夢のようです」
そんなジェンキンスさんは近々、入院の予定だ。
別の知人が言う。「以前北朝鮮で受けた腸の手術で受けた縫合部分が破れ、腸ヘルニアなっているのです。その手術をすることになっていたのですが、07年初めにお酒を飲んで自宅で転倒。肋骨を折り、脾臓にも出血が見られたため、延期になっていたんです。(勤務のない)冬場の内に手術をするそうです。こちらに来てから、48キロだった体重は72キロにまでなり、今は63キロから65キロ。北朝鮮にいる頃に比べ、随分と太りました。彼は野菜をあまり食べず、チーズやピザ、パスタなどが大好き。どうしても太ってしまいますね」
以前は日本酒を相当飲んでいましたが、最近はビールを缶で1、2本だという。ひとみさんもビールが好きで、夫婦で晩酌を楽しんでいるようだ。
「最近ジェンキンスさんは、ハワイに行きたいと漏らしています。暖かいところへ家族旅行に行きたいようです。05年にアメリカに帰郷した時、"元脱走兵"ということで歓待してもらえなかった。だから故郷ではなく、ハワイに行きたいのでしょう。彼はもう故郷アメリカではなく、佐渡が終の住拠と思っているはずですよ」(友人の1人)
ひとみさんも07年4月から市の正職員になり、准看護婦として養護老人ホームで働いている。
次女のブリンダさんも、佐渡の大手ホテルに就職が決まり、間もなく佐渡に帰ってくる予定である。
H19/07/16 (週刊新潮 08/01/3、10日新年特大号)
02年5月、中国の日本総領事館に駆け込み、韓国へ亡命したハンミちゃん一家。
2歳だったあの子もすでに小学生になった。しかし、家族が幸せだったのも束の間、この1年の間に母親は逮捕され、家族は離散という悲劇に見舞われている。
一家は韓国で最初、順風満帆な生活を送っていた。
父親のキムさんは、大手電機メーカーに就職したと報じられた。
その後3人は06年春に米国を訪れ、ブッシュ大統領と面会した。
「北では地位の高い人と会えば、高価な贈り物が与えられ、仲間からは英雄扱いされます。おかげで帰国後、ハンミちゃん一家にも取り巻きというか、一家に取り入れば米国に行けるのではと勘違いした脱北者が大勢近寄ってくるようになったのです」(一家と付き合いのある脱北者)
「母親のイさんも、そんな人を相手にしなければいいのに、"中国は物価も安い。向こうに行き、事業をやる"と言い出した。脱北者から少しずつお金を借り始め、ハンミちゃんと夫を置いて中国に行ってしまったんです」
とはいえ、脱北女性一人では何もできない。不倫関係に陥った韓国人支援者と中国へ渡った、とも言われていたのだ。
この時、妻のイさんは、一家の有り金全部と脱北者からの借金、合わせて1億ウオン(約1200万円)を持ち去ったという。
「でも、いくらお金があってもそううまくいくはずがない。あっという間にスッカラカンになり、直ぐに帰国したのです」
むろん、韓国では彼女に金を貸した脱北者たちが待ち受けていた。
「何人かが警察に訴え、イさんは帰国後間もなく詐欺などの容疑で逮捕されたそうです」
別の脱北者の話。
「キムさんは、残された借金の返済に苦労していた。家賃がかかるため順天の家も引き払い、11月には協議離婚しました。ソウル市内に、一緒に脱北した祖母が住んでいて、ハンミちゃんはそこに身を寄せています。キムさんは借金取りから逃げるため、その近くで隠れるように暮らしています」
天国から再び地獄へ。まるでドラマのような展開である。
H19/12/27(共同通信)
【ジェンキンスさんに感謝状 接客で佐渡の観光に貢献】
新潟県の佐渡観光協会は27日、土産店での接客などを通して佐渡の観光に貢献したとして、拉致被害者曽我ひとみさん(48)の夫ジェンキンスさん(67)に佐渡市役所で感謝状を贈った。
7月の新潟県中越沖地震の風評被害で佐渡市の観光も大打撃を受けた中、笑顔で店頭に立ち土産のせんべいの販売を続けた姿が評価された。
ジェンキンスさんは報道陣の取材に応じ「お客さんと抱擁したり握手するのが一番楽しい。来年は日本語を覚え、交流したい」と抱負を語った。
ジェンキンスさんは2006年7月から佐渡市の博物館「佐渡歴史伝説館」に勤務。同館の土産店で店頭に立ち、観光客との記念撮影にも気さくに応じている。
同館によると、今年のせんべいの売り上げは前年比6割増という。
H19/12/29(毎日新聞)
【ジェンキンス氏 大腸ヘルニア手術で入院へ】
ジェンキンスさんが大腸ヘルニアの手術のため、来年1月7日から新潟大医歯学総合病院に入院することになった。
北朝鮮で04年に受けた手術の縫合部分が腹圧で開きかけているため。
生活に支障はなく手術しないことも考えたが、ひとみさんらが「しっかり治した方がいい」と説得したという。
手術後、1週間ほど入院する予定。
H20/01/05(時事通信)
【ジェンキンスさんの母、重体=7日急きょ渡米】
ジェンキンスさんの母親が病気のため重体に陥り、ジェンキンスさんが7日、急きょ渡米することになった。
佐渡市などによると、米ノースカロライナ州で暮らすジェンキンスさんの母パティ・キャスパーさん(94)が脳卒中で半身不随となり、意識不明の状態で入院したとの連絡を受けた。担当医は「どれぐらい持つか、誰にも分からない」と話しているという。
ジェンキンスさんは、ヘルニア手術のため7日に新潟大学医歯学総合病院に入院する予定だったが、延期した。
米国での滞在期間は未定で、家族は同行せず、1人で渡航する。
H20/01/10(毎日新聞)
【ジェンキンスさん、家に母の病状連絡 帰国時期は未定】
ジェンキンスさんは9日、母親の病気見舞いのため帰国中の米国から、佐渡市の自宅に電話連絡した。
母パティ・キャスパーさんは脳卒中で倒れ意識がない状態という。ジェンキンスさんの帰国時期は未定。
市の拉致被害者対策係によると、ジェンキンスさんは曽我さんに「無事到着して母を見舞ったが、帰国については母の様子をもう少し見てからにしたい」と話したという。
H20/01/21(読売新聞)
ジェンキンスさんの母パティ・キャスパーさんが、米国で20日死去したと、21日に曽我さんから新潟県佐渡市に連絡があった。94歳。
1月上旬に脳卒中で意識不明となり、ジェンキンスさんが渡米、看病していた。
H20/01/26(産経新聞)
ジェンキンスさんが、母パティー・キャスパーさんの葬儀を終えて、25日午後、新潟県佐渡市に到着した。ジェンキンスさんは佐渡市を通じ、「意識のない母に面会したとき、長い間の親不孝をわびた。
2週間、特に何かをしてやれるわけでもなかったが、側にいてやれたことがせめてもの償いになった」とコメントを発表した。
H20/02/02(毎日新聞)
ジェンキンスさんが大腸ヘルニアの手術のため4日、新潟大医歯学総合病院に入院する。1日午後、曽我さんが佐渡市に伝えた。
先月7日の入院を予定していたが、母パティ・キャスパーさん(1月22日死去)が倒れ、米国へ一時帰国。
パティさんの葬儀を終え25日、佐渡に戻っていた。
ジェンキンスさんは8日に手術し、1週間程度で退院する見込み。
<その後>
ジェンキンスさんは2月19日、腸ヘルニアの手術を終え、新潟市の新潟大医歯学総合病院を退院した。
術後の経過は良好という。
H20/02/25
地村保彦さん(24)が、4月に同市の電気機器メーカー「日本電産シバウラ」へ就職することになりました。
保彦さんは帰国後の平成17年4月に福井大学工学部・機械工学科2年に編入し、来月卒業予定です。
両親の地村夫妻は文書で、「最初は新しい生活環境の中で戸惑うこともあったようだが、これからは大学で学んだ知識を生かし、社会人として立派に羽ばたいてほしい」とコメントしました。
H20/03/03
蓮池薫さんが、在学していた中央大法学部法律学科を今春卒業することが決まりました。
今月25日に同大多摩キャンパスで行われる卒業式に出席します。
蓮池さんは同大の3年だった78年7月に、北朝鮮に拉致され、帰国後の04年9月に復学しましたが、警備上の都合などから、自宅での学習や専任の指導教授による出張授業などで所定の単位を修めました。
蓮池さんは「普通なら人生のうち4年という大学時代を、私は30年かかってようやく卒業することができました。
これまで私を応援して下さった多くの大学関係者、『支える会』のメンバーの皆さんに深く感謝いたします」とする談話を公表し、そのうえで、ほかの拉致被害者にも「母校があり、やり残した勉強もあったはずです」として、未帰国者の早期帰国に尽くしたいとの決意を述べました。
H20/02/02(毎日新聞)
蓮池薫さんは、先月23日から今月1日の8日間、妻祐木子さんと韓国を訪問していたことを自身のブログで明らかにした。
蓮池さんが朝鮮半島を訪れたのは、北朝鮮から帰国した02年10月以来約5年半ぶり。
ブログによると、出版社の取材に伴う訪韓で、「拉致被害者として暮らさなければならなかった北朝鮮。その陸続きにはまったく異なる体制を持つ国がある。その国を、この目で見てみたい」と記し、かねてからの希望だったと明かした。
そのうえで「あっという間に過ぎた8日間でした。見て感じたことは数限りなく、伝える価値のあることが多々ある」としてい
る。今後、訪韓の様子を数回紹介する予定。
蓮池さんは現在、新潟産業大(新潟県柏崎市)の非常勤講師で朝鮮語を教え、留学生の相談にも応じている。その一方で10冊余りの本の翻訳も手がける。祐木子さんは市立保育園で調理補助をしている。
H20/03/25(産経新聞)
蓮池薫さんが25日、中央大八王子キャンパスで行われた法・文学部の卒業式に出席し、「みなさんが助けてくれたおかげ。これから色々なことに挑戦し、(拉致された)24年間を取り戻したい」と述べる一方で、帰国を果たせていない被害者に触れて「政府に積極的に動いていただき、拉致問題を解決してほしい」と訴えた。
薫さんは紺色スーツに青色ストライプのネクタイ姿で、他の卒業生から「おめでとうございます」と祝福され、笑顔で握手する場面も。式には父、秀量さん(80)、母、ハツイさん(76)、兄、透さん(53)も参列し、卒業を見守った。
薫さんは昭和53年7月、法学部3年生の時に拉致され、消息不明のまま除籍となっていたが、平成14年10月に帰国。16年9月に復学を果たしていた。
式では、横田めぐみさん=拉致当時(13)=らのことを考えたといい、「みなさんやり終えていないことがたくさんあり、早くできるような状況になってほしい。そうでなければ私の中の拉致事件は終わらない」と話した。
H20/04/01(時事通信)
曽我ひとみさんは1日、二女ブリンダさんが同日、新潟県佐渡市の両津やまきホテルに入社したのを受け、佐渡市役所を通じて「晴れてこの日を迎えることができ、親として最高にうれしい日になりました」とのコメントを発表した。
ブリンダさんは3月に新潟市の専門学校を卒業。今後、ブライダル関係の仕事を中心にホテル業務に携わるという。
H20/04/02(朝日新聞)
新潟産業大学(新潟県柏崎市)の嘱託職員の蓮池薫さんが新年度から同大の専任教員となり、2日、辞令交付式があった。
蓮池さんは「ますます大きな責任を背負った。さらに質の高い教育ができるように自分を磨いていきたい」と抱負を語っ
た。
帰国した翌年の03年から同大の非常勤講師を務め、05年からは嘱託職員として韓国語の教育や留学生の指導にあたってきた。広川俊男学長は「非常に面倒見が良く、学生の信頼も厚い」と評価する。
今後の研究について蓮池さんは「韓国語を教える上で必要な韓国の歴史や文化を勉強したい。将来は日本を中心とした環日本海全体の勉強を深め、レパートリーを広げたい」と話した。
H20/04/07(産経新聞)
米紙ワシントン・ポスト(6日付)は、チャールズ・ジェンキンスさん(68)のインタビュー記事を佐渡発で伝えた。
「北朝鮮から帰還の米人、日本でセレブ(著名人)生活を満喫」という見出しは、米陸軍の脱走兵だったジェンキンスさんにやや手厳しいものの、なお北朝鮮の影におびえる夫妻の心情をはじめ、日本人拉致問題の側面を紹介する内容となっている。
はっぴ姿で観光客にみやげ物を売り、握手やサインに応じるジェンキンスさんは、「日本では誰もが私を知っているんだ」と日常の暮らしぶりを紹介。家の改築を終え、2人の娘も幼児教育や結婚プランナーへの道を歩むなど、家族の近況にも触れた。
在韓米軍時代、ビールで酔った揚げ句に軍事境界線を北に越えたことでは、「あまりに無知だった」と回顧し、北朝鮮の政治宣伝映画に出演するなど、「巨大で常軌を逸した監獄」での生活を紹介した。ジェンキンスさんは日本到着後に在日米軍に脱走兵として出頭したが、存命のまま出頭した米兵の脱走期間では最長記録だとしている。
記事はジェンキンスさんの著書「告白」の英語版宣伝のため今春渡米を計画していたことを紹介した。体験談の出版については、「妻は私が北朝鮮にやられることを心配している。車庫を開けて犬の散歩に出たところを頭に1発くらうことは、あり得る話だ」と語った。
拉致問題については、日本政府が死亡したとされる被害者8人の追及を続けていることなどを説明。米軍の脱走兵少なくとも1人が北朝鮮で生存中であることにも触れた。
H20/06/24(朝日新聞)
ジェンキンスさんが24日、新潟市東区の東京入国管理局新潟出張所を訪れ、日本への永住資格を申請した。
ジェンキンスさんは04年12月から、曽我さんの故郷である新潟県佐渡市で家族と暮らし、観光施設「佐渡歴史伝説館」の土産物店で働いている。同市の担当者によると、ジェンキンスさんは当初から日本永住の意向を示しており、滞在期間が3年を過ぎたことなど永住申請に必要な条件が整ったという。
米国籍のジェンキンスさんは現在、3年ごとに更新が必要な配偶者ビザで滞在しているが、永住権を取得すればビザ更新の必要がなくなる。東京入管によると、通常は申請から半年程度で法務相の許可、不許可が決まるという。
H20/07/11(読売新聞)
鳩山法相は11日午前の閣議後の記者会見で、ジェンキンスさんの永住を許可するよう、同日、入国管理局に指示したことを明らかにした。
入管は同日中にジェンキンスさんに連絡し、ジェンキンスさんが入管を訪れれば永住が認められる運びだ。
ジェンキンスさんは曽我さんの配偶者として在留資格があるが、3年ごとの資格更新が必要なため、6月24日に東京入国管理局新潟出張所に永住許可を申請していた。
通常は「許可までに数か月かかる」(法務省幹部)が、約半月の早さでの許可となった。
H20/07/15(朝日新聞)
ジェンキンスさんが15日、日本での永住許可を取得した。
ジェンキンスさんは、曽我さんの配偶者として在留資格を得ていたが、3年ごとに更新が必要だった。本人の希望で6月24日に永住許可を申請。鳩山法相の指示もあって、法務省入国管理局は、通例では半年近くかかる審査を今月11日に済ませた。
東京入国管理局新潟出張所(新潟市東区)で15日午前、手続きを済ませたジェンキンスさんは、記者団に「こんなに早く許可をもらえてうれしい。法相にはとても感謝している。できることなら日本国籍も取りたい。死ぬまでここ(日本)にいたい」と語った。
H20/08/04(時事通信)
拉致の早期解決を訴える講演会のため新潟県佐渡市を訪れた横田滋さんと妻早紀江さんが4日、チャールズ・ジェンキンスさんと対面した。滋さんは拉致された長女めぐみさん(当時13歳)が北朝鮮でお世話になったとお礼を述べた。滋さんとジェンキンスさんが対面するのは初めて。
滋さんは、北朝鮮に拉致された後のめぐみさんについて「(ひとみさんとは)年も近く、(一緒にいて)安心したと思う。お世話になった」と述べると、ジェンキンスさんは「めぐみさんがひとみに朝鮮語を教えてくれた」と応じた。早紀江さんも、「(一緒で)どんなにか心強かったかと思う」と話した。