92.「北朝鮮拉致家族の子供情報・5」
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H16/11/18
 (1)脱北亡命者の証言/日本からの帰国者の北朝鮮での生活状況

 帰国者には、党から監視の人が付いていて「帰国者には近づくな」、「なんであいつ、帰国者と一緒に遊んでいるんだ」と言われた。

 日本が経済的に発展していることは、帰国者にいろいろなものが送られてくることで知った。
「トヨタ」や「日産」も知っていた。

 日本から来た帰国者たちの生活は羨望の的だった。
彼らは、新車の自家用車、スポーツ用のてトレーニング道具、カメラなどを送ってもらっていた。

 日本の親戚からの仕送りがある人は、いい暮らしをしている。
仕送りがない人は商売ができず、生活力がない。

 日本の親戚から送金してもらえる帰国者はいいが、そうでない人の生活は惨めだ。
近くに日本人夫妻が住んでいたが、病身の夫は布団の生地がなくなった綿の中で寝ていた。(帰国者談)

 日本からの帰国者の家には、当局の人が時々、どんな電気製品があるか調べに来る。
冷蔵庫、テレビ、電気アイロンは許可されたが、電気釜は没収された。(帰国者談)

「北朝鮮からの亡命者・60人の証言」(1997年、朝日新聞アエラ編集部刊)より「金日成」没(1994年7月8日)前後の、比較的に新しい亡命者の証言から抜粋しました。
H16/10/07
ジェンキンスさんに関する軍法会議が、11月3日に在日米陸軍のキャンプ座間で開かれることになったと7日発表されました。
 米軍法に詳しい駿河台大法科大学院教授の島伸一弁護士は「いきなり軍法会議に入るということは、ジェンキンスさんが自分の意思で予備審問を放棄したことを意味し、司法取引が成立した可能性が高い」とし、不名誉除隊や執行猶予などで決着する可能性を指摘していますが、軍法会議の期間については、ジェンキンスさんが有罪を認めて詳しい審理を省く簡易手続きもあり、書類手続きなどを除けば即日か数日で終わる可能性もあります。
 在日米陸軍のスポークスマンは、軍法会議前の予備審問が開かれないとの見通しを示唆し、専門家は司法取引が成立した可能性が高く、不名誉除隊などでの決着が考えられるとしています。
 また東京発のロイター通信は7日、ジェンキンスさんが司法取引で、減刑と引き換えに罪を一部認め、北朝鮮に関する情報を提供する公算が大きいと伝えました。
H16/10/14
曽我ひとみさんが14日、帰国から2年となるのを前に「娘たちは日本の生活に慣れてきている。佐渡が大好きだと言っている」と家族の近況を記した文書を公開しました。
 報道陣の質問に、曽我さんが直筆の文書で答えたもので、佐渡市に滞在中の美花さん、ブリンダさんについて、「まだ学ぶこともたくさんあるが、子どもたちなりに日本に慣れるために日本語の勉強を一生懸命やっている」とつづっています。
 高野宏一郎佐渡市長も14日、記者会見し「娘さん2人は平仮名と片仮名を読めるようになり、曽我さんとも日本語を交えて会話している」と近況を報告しました。
 2人は週2回、佐渡市役所真野支所に通い日本語を学習しているほか、美花さんは近所の保育所で見学実習し、音楽関係の仕事が夢というブリンダさんは、ピアノの個人レッスンを受けているそうで、帰郷を聞いて集まった母の友人らに「ふるさと」や「さくら」など日本の曲を上手に演奏してみせました。
 「本当に優しい娘さんです」。曽我さんが住む市営住宅の近所の70歳代の女性は、美花さんについてそう語りました。
つえをついて大きなゴミ袋を抱えた女性に、「私が運びます」と美花さんが駆け寄ってきました。
女性が痛めた足をかばうと、「痛そう」と気遣ったそうです。
H14/10/14
 地村さん夫妻の親類の男性は8月、長女の恵未さんと二男の清志さんを映画観賞に誘いました。
車中、カーステレオから流れた曲に恵未さんは「お気に入りなんです」と身を乗り出しました。
SMAPの「世界に一つだけの花」」でした。
 長男、保彦さんも含めた子供3人の部屋には、日本のヒット曲のCDが積み上げられており、3人は、県が設けた日本語学習室に通ってますが、周囲は、「まず、歌を通して日本に慣れてほしい」と願っています。
 「拉致され、北朝鮮で暮らした24年間、夫妻にとっても歌は心の支えでした。
日本人と明かさないまま、子どもたちが寝静まった夜、小学校の校歌や、都はるみの「北の宿から」を2人で歌いました。
「日本語を忘れないように、歌に支えられとったんよ」と富貴恵さんは周囲に話しています。
 実は、北朝鮮で子どもたちに唯一、教えた歌がありますが、それは童謡の「どんぐりころころ」です。
「どんぐりに自分たちの心情を託したのでは」と保志さんの父、保さんは語っています。
 夫妻は来春をめどに、子どもたちを就職や進学させる意向だそうです。

 県の学習室で始まった日本語学習は9月末までの予定でしたが、夫妻の意向で年末まで延長されました。
小浜市の村上利夫市長と12日に面談した保志さんは「今年いっぱい日本語の勉強をさせ、そのうえで長男、次男の進学を相談したい。長女は就職するか専修学校で勉強するか、まだはっきりしない」と話しましたが、保さんによると、保育士のような仕事をしたがっているようです。
H16/10/14
 「お父さんも3年生。私も同じ3年生。お互い、頑張らないとね」。

 蓮池薫さんが47回目の誕生日を迎えた9月29日に、薫さんの大学復学と長女、重代さんの大学編入祝いを兼ねて、市内の喫茶店で開いた食事会の席で、重代さんは流ちょうな日本語で話したそうです。
 帰国直後、薫さんと妻、祐木子さんの最大の心配は「日本になじんでくれるだろうか」ということでしたが、重代さんと長男の克也さんは、ほどなく、自分たちから「日本語を勉強したい」と言い出し、2人そろって市内の新潟産業大に通い、台湾などからの留学生に交じって日本語の学習を始めました。
「英語を生かした仕事がしたい」という希望を持つ重代さんはそのまま同大3年生に編入。
克也さんは、コンピューターの知識を生かすため、理系の大学への進学を目指しています。
 「国をまたにかけて活躍できる人間になって欲しい」と子どもたちについて、親しい知人に打ち明けた薫さんも、26年前の拉致当時に通っていた母校・中央大に復学を果たし、法学部3年生として在宅学習での再スタートを切りました。

 14日、蓮池夫妻は「一歩一歩、日本社会への復帰と順応の道を歩んでおります」との談話を発表しました。
重代さん克也さんも柏崎市の新潟産業大学で学ぶなど、順調に日本の生活に溶け込んでいるということでした。
H16/10/22
 佐渡島に帰省中の曽我ひとみさんが、美花さん、ブリンダさんとともに、今月25日から再び、在日米陸軍のキャンプ座間に滞在することが明らかになりました。
 キャンプ座間では、米軍提供の宿舎で夫ジェンキンスさんと一緒に生活し、来月3日から始まるジェンキンスさんの軍事法廷を見守ります。
H16/10/24
 父茂さん(72)を見舞うため帰郷している曽我ひとみさん(45)と娘2人の米軍キャンプ座間への出発は、中越地震の被害により新幹線の運行再開のめどが立たないことなどから延期されることになりました。
H16/10/27
 地村富貴恵さんが体調を崩し、検査のため福井市内の病院入院していることが26日分かりました。
小浜市によると、富貴恵さん体の不調を訴えて25日に病院で診察を受け、そのまま入院しました。
 富貴恵さんは県の嘱託職員として働いていますが、しばらく仕事を休むそうです。
H16/11/01
 ジェンキンスさんの軍法会議が3日、米軍キャンプ座間で開かれます。
軍法会議にかけるかどうか判断する「予備審問」が省略されたとみられることから司法取引が成立したとの見方もあり、ジェンキンスさんの望む「不名誉除隊」などで即日決着する可能性もありそうです。
 曽我さんと二人の娘は基地に滞在中で、軍法会議を傍聴するとみられます。
 軍法会議は軍人や軍属を裁くための特別な裁判で(1)高等(2)特別(3)簡易の3種類がありますが、脱走などの重罪は通常、高等軍法会議にかけられます。
被告が有罪を認める代わりに、軍法会議に先立って量刑の上限を決める「事前審理」制度が設けられておりますが、それは一般の刑事裁判の「司法取引」に相当し、軍法会議を招集する司令官と被告の間で合意すると、それを上回る判決が出ても、事前に決めた量刑が適用されます。
 司法取引が成立すると、予備審問は省略され、軍法会議でも、罪状認否で被告が有罪を認める代わりに事実認定などの審理が省略され、判決言い渡しまで数日で終わりますが、即日で決着することもあります。
 司令官はその後の判決確定手続きで、量刑を軽くすることもできますし、もし実刑判決でない場合は、被告が上訴権を放棄すれば除隊して自由になれます。
H16/11/03
 ジェンキンスさんに対する軍法会議が3日、6時間半にわたって「キャンプ座間」で開かれ、裁判官のバウエル大佐は起訴された(1)他の兵士への脱走教唆(2)脱走(3)利敵行為(4)軍への背任奨励の4罪のうち、脱走と利敵行為の罪を認め、執行猶予つき禁固6カ月の判決を言い渡しました。
 罪状認否で、ジェンキンスさんは、2つの罪を認めましたが、他兵への脱走教唆、軍への背任奨励の2つの罪については否認し、検察側は、他の2つの罪状については証拠不十分などの理由で訴追を取り下げました。
 ジェンキンスさんは軍法会議全体を統括する司令官のパーキンス陸軍少将との間で結んだ裁判前合意により、最高30日の禁固となり、3日夜にも横須賀基地内の拘置施設に収容されます。
判決は(1)最下位(二等兵)への降格、(2)給与や福利厚生の剥奪、(3)不名誉除隊も決めました。
 ジェンキンスさんは上訴しない方針で、神奈川県横須賀市の米海軍施設で服役した後、正式に除隊する見通しですが、収容期間は短縮される可能性もあり、その後曽我さんら家族と日本に永住することになる見通しです。
 被告人質問で、ジェンキンスさんは在韓米軍軍曹だった65年1月に軍事境界線を越え北朝鮮に脱走したとされる点について、「ベトナム戦争に派遣されることへの不安から酒を飲み決断した」と説明しました。

 また平壌の軍事大学で81年から85年まで英語を教えたことが「敵への支援」にあたるとされた点については「拒否すれば地方に送られ過酷な日々を送ることになるので従わざるをえなかった」などと、涙ながらに語りました。
 
 法廷は曽我さんや娘の美花さん、ブリンダさんも傍聴し、同日午後には情状証人として曽我さんが証言しました。
 1カ月あたり10日間は停電し、水道から湯が出たことはなく、冬は暖房もない中で重ね着して寝たことや、指導員の同伴なしに外出は不可能だったことなど北朝鮮での厳しい生活を明かしました。
「夫も私同様に北朝鮮が好きではなかったが、私は『口をつぐんでいれば北朝鮮は家族の生活は保証してくれる』と夫に話した」とも語りました。
 
 最後に曽我さんは「家族の小さな幸せをもっと大きな幸せに。それだけを願っています」と語りました。
 ジェンキンスさんは今日にも横須賀の海軍施設内にある拘置施設に送られ、他の囚人と共に鉄格子のある独房で24時間監視の禁固生活を送ることになりますが、特別扱いは一切ないそうです。
 また、曽我さんら家族は、引き続き基地内でこれまで通りの生活が保証されます。
H16/11/05
 「脱走前の状態に戻れるのなら戻りたかった」とジェンキンスさんは、11月3日の審理で65年1月に脱走した後の生活ぶりを詳しく語りました。
 部屋で盗聴されたことや暴行を受けたことなど、つらい生活を思い出しながら涙で訴えました。
「脱走した65年の後、72年までの7年間は米国人3人と共同生活を送り、毎日10時間は主体思想を学んだ。
風呂は月1回しか入れず、仲間の一人が天井裏の隠しマイクを見つけたこともあった。
そんな中、ひそかにラジオを組み立てBBCなどの海外放送を聴いた。
 80年にヒトミ・ソガと知り合って人生が変わった。彼女を心から愛し子供も深く愛した。
平壌の水道や電気の通った家に引っ越しもした。
 81年に大学で3人とともに英語を教えるよう言われた。
ノーと言いたかったが、地方へ飛ばされ苦しい生活に逆戻りするのを恐れた。そんな境遇に陥った人を何人も知っていた。
ある時、教室に行くのを拒否すると、縛られて殴られた。けががひどく20日間は出勤できなかった」。
 85年に英語教師の職を失いますが、「おまえの英語は北朝鮮なまりになった」というのが北朝鮮側の理由だったそうです。
「北朝鮮での生活はあまりにも悲しくて死にたくなるときがある。40年間、脱走したあの夜に戻れるのなら戻りたかった」。
 ジェンキンスさんは、娘2人を連れて日本に来た理由を「米国のような自由は北朝鮮にはない。
娘たちには日本での自由を味わわせたかった」と語りました。
H16/11/8
 曽我ひとみさんは7日、軍法会議後初めて夫のジェンキンスさんと米海軍横須賀基地で面会しました。
関係者によりますと、曽我さんは7日昼、車で訪れ基地内の拘置施設で約4時間面会しました。
 3日夜に収監されたジェンキンスさんは、独居房での健康診断を終え集合房に移ったそうです。
 基地関係者によると、「週に1回、家族との面会が許されている」そうです。
拘置施設は基地の北端で東京湾に面し、周囲は金網フェンスが張り巡らされ、窓には鉄格子が入っています。
H16/11/12
 当初はここでは、ゴシップ情報などを掲載するつもりはなかったんですが、拉致家族の子供達の情報も最近はめっきり聞かれなくなり、今後も今までみたいな情報量は期待できないし、とは言っても更新無しで放置するのも悔しいし・・・・、という訳で心機一転、毒にならない程度のゴシップもはさむことにしました。
 因みに"ゴシップ"とは辞書によると、「世間に伝えられる興味本位のうわさ話」ということですが、興味本位にならないように心がけるつもりです。

 ジェンキンスさんはお酒が大好きで、北朝鮮ではナイトクラブへも通っていた(「週刊新潮」情報)そうです。
そこで、「えっ、北朝鮮にもナイトクラブがあるの?」という疑問が生じますが、あるんです。
 首都"平壌"の上級軍人、労働党のメンバー、エリートたちのいわゆる特権階級の世界では、高級なレストラン、ヨーロッパの食料を置いた外交官地区の店、ナイトクラブ、カジノまであり、贅沢な暮らしを楽しめるようになっています。

 また中朝国境付近、経済特区に指定された羅津市のホテルの中にナイトクラブがあり、客は商用の中国人がほとんどで北朝鮮の美人(国家公務員らしい)が接待にあたります。
 値段が非常に高くて一般の北朝鮮人が入ることはほとんどありません。ビール1本が約6ドルです。

 新義州という経済特区には、賭博場、レストラン、喫茶店、ナイトクラブ、カラオケ、パチンコ店までぜんぶ揃っています。
 ここでも客は、中国からやってくる新富裕層と、海外に住む朝鮮籍の人々です。
H16/11/12
 日朝実務者協議のため平壌入りしている薮中三十二・外務省アジア大洋州局長ら日本政府代表団は12日、安否不明の拉致被害者の一人、横田めぐみさんの夫だったとされるキム・チョルジュン氏から事情を聴きました。
 また横田さんが入院していたという病院も訪問し、担当医師から当時の状況を聴取しました。
当初の日程は、この日で協議を終了し日本代表団は13日に北京経由で帰国する予定でしたが、滞在日程を15日まで延長し、協議や関係者との面会などを続けることを決めました。
 詳しい内容は盗聴の問題もあり明らかにされていませんが、日本側はキム氏に対して、北朝鮮が2002年9月の小泉純一郎首相の初訪朝時に示した横田さんに関する調査結果、特に「93年3月に平壌市の病院で精神病で死亡」とした点を中心にその真偽や詳しい事情を聴いたもようです。
薮中氏らはこれに先立ち、横田さんが入院していたとされる平壌市郊外にある"平壌49予防院"を訪れ、担当医師らから、横田さんの病状などについて質問しました。
H16/11/14
 曽我ひとみさんが14日、夫ジェンキンスさんと、米海軍横須賀基地の拘置施設内で面会しました。
面会は今月7日に次いで2度目で、施設では週1回、収容者と近親者との面会が認められています。
 関係者によると、曽我さんと娘2人は午前11時半すぎ、米陸軍関係者とともにワゴン車で横須賀基地を訪問し、施設内で約3時間面会した後、午後3時すぎに基地を出て、滞在先の米陸軍キャンプ座間に戻りました。
H16/11/15
 北朝鮮による日本人拉致問題をめぐる第3回日朝実務者協議から帰国した日本側代表団は15日午後、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」に対して、北朝鮮側が示し、日本側が持ち帰った安否不明者10人に関する「物証」の内容を説明しました。
 
 6日間の協議・調査は、陳局長の聴取のほか、拉致被害者の一人、横田めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュン氏との面会、横田さんが自殺したとされる病院の訪問、安否不明被害者が一時滞在したとされる「招待所」関係者からの聴取などを行ないました。
 北朝鮮側は02年9月、平壌を訪問した小泉首相に対し、横田さんの拉致を認めたうえで、93年3月に「うつ病」で自殺したと説明しましたが、北朝鮮側は今回、横田さんの死亡時期を94年4月に訂正したうえで、「遺体はいったん入院先の病院の裏山に土葬されたが、夫が2年半後に掘り返して火葬し、骨つぼに入れて保存していた」と説明し、骨つぼに入った骨を日本側に提供しました。
 横田さんに関しては、ほかにも自筆のメモや娘のキム・ヘギョンさん、夫とされるキム・チョルジュンさん3人で写っている写真、カルテの写しなどが提供されたました。
日本側はキム・チョルジュンさんが本当の夫か確認するため、血液などの提出を要求しましたが、特殊機関に勤めていることを理由に拒否されました。
 
 このほか、交通事故で死亡したと説明している田口八重子さん(失跡当時22)、松木薫さん(同26)の事故調査資料、石岡亨さん(同22)や松木さんの写真などが渡されました。
 また、拉致事件の責任者2人の裁判記録の写しも示されました。
 
 資料は「物証」としての価値に差があるとされ、そのため、死亡とされる一人一人に関する具体的な情報に差が出る可能性があり、政府は「外務省と警察庁で科学的検証を含め作業を行う予定です。
H16/11/17
 横田めぐみさんが入院後に死亡したと北朝鮮が説明した病院について、拉致被害者の蓮池薫さんが「めぐみさんの夫からは、別の病院だと聞いた」と証言していることが、兄の透さんの話でわかりました。
 透さんによると、薫さんは、めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュン氏と1980年代後半から数年間、同僚でした。
キム氏は薫さんに対し、めぐみさんは「(北朝鮮北西部の)義州の病院に入院した。その後のことは知らない」と話したそうです。
北朝鮮側は、めぐみさんは94年4月、平壌郊外の「49号予防院」で死亡し、キム氏が病院の裏山から遺体を掘り出したと説明しており、薫さんの話と食い違っています。
 49号予防院は、曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんも「外国人は入れない」と証言していました。
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